第九話 『 カグラの過去(前編) 』
――ゴクトーの島。
……四季豊かなその島は大陸と海を隔てている為、独特の文化を築き上げていた。
そして、そのゴクトーの島には一人の剣士とその息子がいた。
「覚悟ォォォォォォォオオ!」
剣士の息子が剣士の背後から竹刀を振り降ろした。
――スカッ、しかし剣士は意図も容易く剣士の息子の不意打ちをかわした。
「奇声上げながら襲っても普通に気付くわ、ボケ」
剣士は剣士の息子の足に自分の脚を掛けて転ばせた。
「ぐえっ」と変な声を溢して、剣士の息子は地面を転がった。
「イテテッ……容赦無しかよ、バカ親父」
剣士の息子が服に付いた土汚れを払い落としながら不満げに睨み付けた。
「ホントお前はアホだなぁ――……」
そんな剣士の息子に剣士が呆れ気味に笑った。
「 カグラ 」
アホと言われて不貞腐れたカグラと呼ばれた少年は剣士に背を向けた。
「……帰る」
カグラはそれだけ言って自宅のある方まで向かった……が、剣士に襟首を掴まれて止められた。
「おいおい、勝手に帰るなよ。今日は薪を取りに来たんだろ」
そう、二人はその日の火を焚く為の薪を採りによく茂った林に足を運んでいたのだ………ちなみに、先程の不意打ちは二人で始めた〝賭け〟なのだ。
〝賭け〟の内容は単純明快、カグラが剣士から一本でも取れば剣士の旅への同行を許される。逆にカグラが一本取られる度にその日の鍛練を増量させられるというものである。
「あーい」
通算、〇勝一七九九敗のカグラが不満げに承諾して、中断していた薪拾いを再開した。ちなみに、カムイは元帝国の剣術指南を勤めていた経歴があり、カグラの〇勝一七九九敗はある意味当然の結果であった。
……季節は秋。
……山には紅葉に彩られ。
……足下に募る落ち葉が冬の到来を報せた。
「ただいまー」
カグラと剣士は山程の薪を担いで、素朴ながらも広い木造の一軒家の玄関を潜った。
部屋の奥から立ち込める豚の出し汁の芳ばしい香りがカグラの鼻孔を擽った。
空腹からかカグラは腹を鳴らした。すると部屋の奥からタッタッタッと足音が聴こえた。
「おかえり、カグラ、あなた」
長く、癖の無い黒髪を跳ねさせながら妙齢の麗人がカグラと剣士を迎えた。
「もう夕飯の支度はできているから席に着いていてね」
そう言って黒髪の麗人は台所の方へと軽やかな足取りで向かった。
カグラは駆け足で食卓へ向かい、剣士もその後を追った。
……剣士の名はカムイ。
……麗人の名はカリン。
……そんな二人の間に生まれた少年、カグラは幸せだった。
カグラは中々旅への同行を許してくれない意地悪なカムイと優しくて時々厳しいカリンが大好きだった。そして、そんな二人といる時間が大好きだった。
……温かくて、橙色で、ふわふわしていて、幸せな毎日を過ごしていた。
明日も、明後日も、同じ温かさで同じ色で同じ感触の一日があるものだと思っていた。
そんなある日。雨が降り、風の強い日――
「……初めまして、お尋ねしたいことがあるのですが」
――〝あの男〟がカグラの家に訪れたのだ。
〝あの男〟は年季の入ったローブを纏った二十幾ばかの青年であった。
そして、その男には付き添いがおり、その者は優しげな面に長い白髭を携えた老人であった。
カムイが家を空けていた為、客人を出迎えたのはカリンとカグラであった。
「捜している人がいるのですが、この顔に見覚えはありませんか」
対応するカリンに〝あの男〟は一枚の紙を広げた。
その紙には絵が描かれており、それは――
……白衣を身に纏い、
……だらしなく無精髭を生やし、
……眠そうな顔をした、
――そんな男であった。
「見覚えはありますか」
〝あの男〟は笑顔で、しかし、何処か威圧的に問うた。
「申し訳御座いません、私の知る限りではそのような人物に心当たりはありません」
本当に知らなかったカリンは丁重に対応し頭を垂れた。
「……」
すると〝あの男〟は言葉の真偽を確かめるようにカリンの整った細面を凝視した。
「……そうですか、お忙しい中失礼しました」
しかし、すぐに〝あの男〟はカリンから視線を外した。
「帰るぞ、イカルゴ=パープル」
あの男〟は自分より二回りは年配なイカルゴと呼ばれた老人を従え、カリンに背を向けた。
それからカグラとカリンは遠ざかる二つの背中が見送った。
「……何だったんだろ」
「さあね、迷子だったりして」
「そんなわけないじゃん」
「ふふっ、夕飯の準備に戻ろうかな」
カリンは朗らかに笑って、台所へ向かった。
「……あっ」
カリンの後を追って台所へ向かおうとしたカグラであったが、あるものを見付けて戻る足を止めた。
「……何だ、これ」
……玄関の隅に小包が落ちていたのだ。
先ほどまでそんなものは無かった筈であった。つまり……。
「母ちゃん、さっきの人たちが何か落としているよ」
……ということになる。
「そうなのー、じゃあカグラが持っていってくれる」
「えぇー」
「文句言わないのっ、今日はカグラの好きな豚汁を大盛りにしようと思ったのにっ」
「行ってきまーす!」
カグラは小包を掴んで、玄関から飛び出した。
毎日走り込みをしているカグラの脚は速く、次々と景色を追い抜いて行った。
このペースであれば歩く二人にすぐに追い付くであろう。
そうこうする内にカグラは二つの背中を捉えた。
年季の入ったローブを纏った青年と老人、間違いなく先ほどの客人であった。
しかし、客人はカグラが呼び止めるよりも早く茂みに入ってしまった。
(……茂み? 何でそんなところに?)
客人の行動に首を傾げるも、茂みの前に到着したカグラは茂みを掻き分けて直進した。
一歩、二歩、三歩と前進し、そして十二歩目……。
「……えっ?」
……カグラが前進する足と茂みを掻き分ける手を止めた。
カグラの目の前、そこには三種類の生き物がいた。
一つは青年。
もう一つは老人。
そして、最後に――
「……バケ……モノ?」
――体表に金を纏う怪物がいた。
「おやおや、こんなところに子鼠が一匹、迷い込んでしまったようですね」
老人が優しげな面を崩さないまま青年に言葉を投げ掛けた。
「おい、坊主」
思わず逃げ出そうとしたカグラを青年が呼び止めた。
「何でこんなところにいるんだ」
先ほどまでは感じることの無かった圧倒的な威圧感がカグラの小さな肩にのし掛かった。
「……えっと……俺は」
その威圧感を前にあらゆる嘘は許されることも無く、カグラは正直に答えることにした。
「落とし物があって……その……だから、届けよう……と」
恐怖で上手く喋れなかったが、握った小包を突き出してどうにかして意思表示した。
「そうか、そいつはありがとな」
青年は威圧感を解いて、カグラの差し出した小包を受け取った。
「わざわざ届けてくれるなんてな」
そして、その小包を――引き裂いた。
「こんなものの為に」
小包は裂け、中から金塊がこぼれ落ちた。
「運が悪かったな、坊主」
その金塊に金色の怪物が飛び付き、噛み砕いた。
「お前は死ぬんだ」
――ゾクッ、その言葉に全身の血の気が引いた。
「こんなものの為に、な」
……意味がわからなかった。
カグラはただ忘れものを届けようと茂みに入っただけなのに。
それで運悪く、金色の怪物を見てしまっただけなのに。
理不尽だ。
意味がわからない。
死にたくない。
だから。
だからだからだから。
「うわァァァァァァァァァァッッッ」
……気付けばカグラは走り出していた。
「捕まえろ、イカルゴ=パープル」
「御意」
――ガシッ、しかしカグラは意図も簡単に右手を掴まれてしまった。
「申し訳無いが少年よ」
イカルゴの右手は力強く、非力なカグラがその手から逃れられることは叶わなかった。
「君は見てはならないものを見てしまった」
カグラは高く高く持ち上げられ、一本釣りされた魚のように吊り上げられた。
「だから大人しく死んでくれないか」
「嫌だァァァァ!」
カグラは身をよじってイカルゴの横顔目掛けて蹴りを叩き込んだ。
「おやおや」
しかし、カグラの蹴りはイカルゴの左腕に阻まれて届かなかった。
「聞き分けの悪い子鼠だね」
その左腕の指先にあるアメジストの指輪が妖しげに煌めいた。
「お仕置きが必要だ」
次の瞬間、イカルゴの右手から紫色の煙が噴き出した。
「これが私の金論術――〝毒の王〟……この毒に掛かれば全ての生物は問答無用で死が運命付けられる」
カグラとイカルゴの視線が交差する。
「試してみたくはないか」
イカルゴが毒の左腕を振りかざした。
「君の運命が私の毒に勝るかどうか」
「――っ」
……あっ、死んだ。カグラが死を覚悟した――その瞬間。
――イカルゴの振りかざした左腕が一刀両断された。
『……えっ?』
カグラとイカルゴの声が重なった。
「そいつに手ェ出すなよ」
イカルゴの左腕を切り落とした張本人の声がイカルゴの背中に突き刺さった。
「斬るぞ」
間髪容れずに今度はカグラを吊り上げた右腕が一刀両断された。
カグラの身体が重力に従い落下する、がイカルゴの両腕を切り落とした張本人が受け止めた。
「ぐおォォ、ぉぉぉぉっ……!」
イカルゴが両腕から多量に出血しながら呻き、踞った。
「お前、何者だ」
一方、青年の方は踞る老人を見向きもせずに来訪者の名を訊ねた。
「ああ? 俺かァ」
来訪者はカグラを抱えたままその名を叫んだ。
「 カムイ 」
……風が吹く。
……木々がざわめく。
「コイツの父親だ、ボケナス」
……父が怒る。




