Side B : Alcmene's lesson #2
お昼休みが終わり、次の授業は音楽。
お昼を食べ終わったリアードとシャロンは、『ちょっと準備があるから』と、そそくさと中庭を去った。
残ったアルクメネは淹れてもらったお茶を楽しんだあと、食器を返す際にナタリーとちょっとした話をして、次の授業をとり行う場所、音楽室に向かった。
音楽室の扉を開くと、そこには既に、リアーナ、そしてリアードとシャロンが、準備を整え待っていた。
リアーナは普段どおり、女中用のロングドレスを身に着けている。
リアードとシャロンは、さきほどの普段着を着替えていた。
リアードは、タキシードを着込み。
シャロンは、サテンドレスに身を包んでいる。
年端も行かぬ子供二人とはいえ、正装に身を包むとその雰囲気は、幾分大人びたものへと変わる。
その表情も凛と引き締まっている。
「それではアルクメネ先生、よろしくお願いします」
シャロンは先ほどと一転、かしこまった物言いをする。
「え、ええ……」
「今度の演奏会に備えて曲の練習をしたいので、先生にも付き合って頂きたいです。次の間が器具室になってますので、お好きな楽器を選んで来てください」
アルクメネは、まるで180度、雰囲気の変わったシャロンに戸惑いながらも、次の間に入り楽器を物色する。
――まあでも『エクレールの聖歌隊』と言えば有名だし、子供といえどもこれが普通なのかな。
エクレールとその侍従たちで構成される『エクレールの聖歌隊』といえば、アルクメネも知っているくらいで。
その評価は、国内外を問わず高い。
彼女らは、祭事において駆り出されるだけに留まらず、名の通った音楽会の出演依頼を受けることや、時には海外からオファーを受けることまであると聞く。
彼女らは、アカペラの祝詞から、高度な管弦楽曲までこなす、一流楽団でもあるのだ。
――んー……。これでいいかな。
アルクメネがその手にしたのは、高身長のアルクメネを越えるほど大きな楽器、コントラバスだった。
アルクメネは大部屋に戻り、その一角に腰を据える。
待っていた侍従たちがそれぞれ手にしていた楽器。
リアーナはチェロ。
リアードはフルート。
そしてシャロンは、その小柄な体に似合わぬ大きなグランドピアノ前に陣取っている。
シャロンはアルクメネの持ち込んだ楽器、コントラバスを一瞥する。
リアーナはチェロを一定の音階、ラ音に保ちながら薄く弾いた。
アルクメネの調律に付き合おうとのことだろう。
アルクメネはそれに合わせ、4弦それぞれの調子を確認する。
準備が整ったところで。
リアーナは眼前のピアノで、その特徴的な旋律を軽快に弾ませた。
それは、『パッヘルベルのカノン』の主旋律だ。
「まずは、この曲で調子をみましょう」
リアーナが、手にしたチェロで旋律をなぞるように奏でる。
その音色は深く、豊かで落ち着いたものだ。
――さすがね。
アルクメネはその技術に感心する。
リアーナの長年の修練によるものであろう、音の奥行き、安定感もたいしたものだが。
シャロンが弾く鍵盤のそれも、十歳にもならないような子供が表現するレベルでは無い。
カノンの4拍子のシンプルなリズム。
だがそれ故に、わずかなニュアンス、タイミング、揺らぎが、奏でる者の技術の程度を詳らかにしてしまう。
シャロンの技術は既に、子供の真似事のそれではなく、円熟の音楽家のそれ、精緻なリズム感に裏打ちされ奏でられる、その域に達していた。
そこに、リアードのフルートの高音が合流する。
リアードの技術も相当なものだ。
その年端でいかようにしてフルートを。鳴らすのさえ困難、満足に奏でるには様々な技術が必要なフルートの作法を身につけたというのだろうか。
そして7小節目。
アルクメネは奏でられる管弦、リアーナのチェロに合わせて、そのコントラバスの低音をゆっくりと引いた。
今度はそれに、シャロンが目を見張ることとなる。
アルクメネのその演奏は、主張し過ぎることもなく、リアーナのチェロと完璧なまでのハーモニーを奏でる。
――な、なんなの!? アルクメネ先生、なんでこんなにあっさり私たちに合わせてこれるわけ!?
卓越した技術、というのなら、まだ理解もできよう。
だが、アルクメネのそれは、調和なのだ。
シャロン、リアード、リアーナには、幾度となく行った協演により培われた呼吸。
その演奏を臨機応変に足し引きする、まさに阿吽の呼吸、とでも呼ぶべきものがある。
それを。
目の前のアルクメネは、たったの数小節の演奏で読み解き、合わせて来たのだ。
――これじゃ『エクレールの聖歌隊たる者、楽器のひとつも満足に扱えないようじゃ失格だよね!』作戦失敗しちゃうじゃん!!
もし、アルクメネがエクレールの教育官として存在感を発揮するようになれば。
いま、重症を負って入院しているオディロン。
その傷が癒えたとしても、その頃には、オディロンの立場など無くなっているかもしれない。
そこで。
そうなる前に、アルクメネを体よく追い出す理由をこじつけてしまおう、というのが、今回の作戦だった。
リアーナは、チェロの奏法をアルコからピチカートを交えたものに変える。
アルクメネのバスが低音部をしっかりと支えてくれるため、ちょっとしたお遊びを入れても大丈夫、と判じたのだろう。
そのピチカートはシャロンの打鍵と相まり、ハーモニーにより醸される艶めきに、華やかさ、可愛らしさまでをも演出する。
そうして四人は数十小節を紡ぎ終える。
シャロンはその音の余韻を手放すのを惜しむように、鍵盤に置いた指をリリースせずにいた。
たっぷり一小節ほどの間を掛けて、ようやくシャロンは我に返る。
――はっ!!! だからこれは、アルクメネ先生を追い込むための策なんだってば!!!
陶然とする意識を無理やり理屈で叩き起こし、シャロンは言う。
「ふ、ふふん!! 少しは演るようね! でも練習曲なんて出来てあたりまえ。リアード、アレ出すわよ!!」
「あいさー」
シャロンとリアードはいそいそと次の間に入っていったかと思うと。
うんこら、どっこら、と。
キャスター付きの大層なシロモノを引っ張り出してきた。
シャロンとリアードが引っ張り出してきたモノ。
リアードがそのモノの側面にあった開閉器をパチンと開にすると。
その台座上に据えつけられた自律機械は、同じく据えつけられたドラムセットを激しく打ち鳴らし始めた。
その両手はスネアにタムにシンバルに、と忙しく行き来し。
その両脚はバスドラムとハイハットを巧みに操る。
圧巻のドラムソロのあと、尾を引くシンバルの音。
それの名は、『超絶ドラマー君、ドラムマシン3号』、と言った。
シャロンとリアードはなにやら誇らしげである。
それを見てこれより何が起こるのかを察したリアーナは、その手にする楽器を、チェロからバスサックスへと切り替えた。
シャロンはピアノを弾くその調子を、叩きつけるようなジャズのそれ、に変え、お手本のように鳴らす。
「これから、フリーのセッションを行います。やっぱり、この程度の対応力は無いとね!」
リアードの楽器はさきほどと同じくフルートだが、調子を確かめるべく動かしたその運指は、一層テクニカルなものに変わっている。
リアーナ、シャロン、リアードの三人の様子を見て、アルクメネの表情にも微笑み、挑戦的なそれ、が浮かんだ。
アルクメネはコントラバスの弓を傍らに置く。
ジャズのそれ、ピッキングによる演奏に、弓は必要ない。
セッションを紡ぎ終え、シャロンは言いようの無い多幸感に包まれていた。
ピアノの鍵盤、88鍵上でやさしく指を転がす。
あるがまま、つま弾かれたそれが、こんなにも美しい形となるとは……。
――って!!! 違っがあぁううぅ~~~!!! そうじゃない~~~!!!
シャロンは今のセッションを振り返る。
特に圧巻だったのは、アルクメネのベースソロだ。
超絶技巧運指で紡がれた8小節間。
アンプにすら繋がれていないコントラバスで、どうやってそこまでの存在感を表現できるというのか。
瞬く間に過ぎたアルクメネのソロ。
そこに、『超絶ドラマー君、ドラムマシン3号』が絶妙なタイミングでハイハットを被せて行く。
それは、鳥肌の立つような連携だった。
シャロンは一瞬、キッ、とアルクメネを睨んだ。
だが、その矛先はすぐさま取り下げられる。
少なくとも、今回の策が失敗なのは明白だったからだ。
そこに、拍手をしながら音楽室に入って来る者がいた。
ナタリーだった。
「アルクメネ先生、ベースお上手なんですね! ところでずいぶん本格的な演奏でしたが、どうしてそんな流れに?」
ナタリーの問いにシャロンは沈黙する。
そのだんまりを見て、リアーナが言った。
「アルクメネ先生が、あんまり完璧超人だったから、欠点探しでもしたくなっちゃったのかな?」
「ち、違うもん!!!」
「へ~。じゃあ、どうして今回、こんなに挑戦的だったのかしら?」
シャロンは伏し目で、まただんまりを決め込んでしまう。
それを見かねてリアードが言った。
「僕が言ったんだ」
「!!!」
「アルクメネ先生が、お屋敷のみんなに気に入られるようなことになったら、オディロンの居場所無くなっちゃうんじゃないか、って」
「……リアード」
「それで……、アルクメネ先生がオディロンの代わりになれない理由を見つけて、お屋敷に居づらくなるようにしようと思ったんだ」
リアードの告白、そして今も小さく俯いたままのシャロン。
それを見てリアーナとナタリーは顔を見合わせる。
ひと息おいたその後。
二人は、ぷっ、と吹き出した。
思わずアルクメネが口を出す。
「シャロンもリアードも! その、オディロンさんを心配してのことだったんですよね? なのに、笑うのは失礼なんじゃないですか!?」
「だ、だって、ねえ……」
「ねえ……」
ナタリーとリアーナは泣き笑いである。
二人の笑う理由がまったくわからず、アルクメネは困惑の表情だ。
そんなアルクメネを見て、ナタリーが説明した。
「うん。シャロンとリアードの気持ちはよく判ったんだけど……。でも、今回の計画には無理があるな、って思ったのよ」
「そうそう」
「???」
まだアルクメネは、二人が笑う理由を呑み込めない。
ナタリーは目元にうっすらと涙を浮かべながら言った。
「オディロンなんだけど、彼、音楽の素養がまるで無くって……。唄が下手なのはもちろん、バイオリンだって裏庭でノコギリ引っ張ってた方が良い音するんじゃないかしら」
「ぶっへっくしょおおぉい!!!」
場所は変わり。
ここは、ヘカーテ国内でも有数の総合病院だ。
オディロンはその病院の一室、ベッドにて横たわっていた。
――っ痛! まったく! 傷に響くわい……。
かつての旧友、ビショップとの対決。
それによりオディロンの負った怪我は、決して浅いものでは無かった。
頭部打撲、胸骨骨折、一部内臓破裂。
そのほか、さしあたりの生命活動には支障の無い、腕部や脚部の骨折、指の脱臼、裂傷、擦過傷まで含めれば、その数は枚挙にいとまがない。
――まったく!! ビショップのヤツめ!! 手加減てものを知らんのか、ヤツは!?
その戦闘技術において、オディロンさえも凌駕するビショップ。
ビショップは終始オディロンを圧倒しながら、最後はその拳打でもってオディロンを昏倒させた、ようだ。
いつの間に、そこまでの実力差が開いていたのか……。
オディロンは、この傷が癒えたらすぐにでも体を鍛え直さなければ、と考えていた。
――しかし、さっきのくしゃみ。誰か噂でもしたかのう……。
リアード、シャロン……。
脳裏に、真っ先にエクレールの侍従侍女たち、そしてエクレールの顔が浮かぶ。
早く、この傷を直してしまわねば。
わし以外は、特に大きな怪我もなく無事とは聞いている。
だがそれでも、わしの不在で、気を病んでいるかもしれん……。
そのとき、オディロンの病室の扉が開き、ひとりの人物が入って来た。
それはオディロンを担当する看護師、年は三十代ほどであろうか、眼鏡と穏やかな笑顔の特徴的な女性である。
「具合はいかがですか?」
「おお! もうピンピンじゃよ! 明日の昼頃には完治しているかのう」
「またまた……。けっして軽い怪我じゃありませんから、この際ゆっくり体を休めてくださいね」
看護師は点滴の具合や、オディロンのバイタルサインを速やかに確認して行く。
体温は……、平熱より若干高めな程度。
戦闘で受けた怪我はつい昨日のものであったというのに、鍛え上げられたオディロンの肉体は、着実に回復の方向へと向かっているようだった。
「ところで、看護師殿」
「はい?」
「その……、わしが意識を取り戻した、というのは、職場に連絡したのだったな?」
「ええ。お昼前には、連絡させて頂きましたよ?」
「ふむ……」
オディロンは考える。
普段のエクレール達の様子からすれば、オディロンが意識を取り戻した、とのことであれば、すぐさま病院に駆けつけても良さそうなものだった。
まあ、昨日の今日のことだし。
事件の後処理とかで、忙しいのかな?
「押し黙っちゃって、どうかなさいました?」
看護師が声を掛ける。
「ぬ? あぁ、いや……。こんな美人の看護師さんにご厄介になれて、わしって超ラッキーじゃね? とか思ってのう」
「またまた~、オディロンさん。……安静にしませんと、いつまで経っても怪我治りませんよ♪」
少しは照れでもしたのか看護師は、ベッドに横たわるオディロンの足元あたりを、ボスッ、と叩いた。
んぬぅ!!! くくくくぅ……。
そ、そこ痛いから! 骨折してるから!
「あら失礼……。じゃ念のため、職場の方へはもう一度連絡入れてみますね。それじゃくれぐれも安静になさってください♪」
看護師は扉の前で微笑むと、その病室を去っていった。
ふむ……。
病室にひとり取り残されたオディロンは、なんとも手持ち無沙汰な状況を持て余していた。
右手に握ったコントローラー。
そのコントローラーに設けられた上矢印を、何気なく押す。
ウイイイイン……。
それは、ベッドの背もたれを可動させ、オディロンの上体を起こした状態にする。
次に、コントローラーに示された下矢印を押す。
ウイイイイン……。
今度はリクライニング状態に、やがてベッドは真っ平らな状態に形状を変化させた。
もう一度、上矢印。
ウイイイイン……。
ベッドの背もたれが起き上がり、ともないオディロンの上体も起き上がる。
うむ……。
これ、いいな。お屋敷に戻ったら、姫様にねだって、購入を考えてもらおう……。
ウイイイイン……。
そのお屋敷では、さきほど、新参の教育官アルクメネを中心としたちょっとした事件が起きたものの、無事解決。大円団を迎えたところだった。
ひとり病室で、電動ベッドの快適さに悦に入るオディロンは。
未だ、そんな事件があったことさえ知らない……。




