waking up, princess
セツナはゆっくりと瞳を開いた。
久方ぶりに見る世界の光はまぶしい。
上体を起こす。
目線を遣ったさきには、ベッドの側に寄せられたパイプ椅子に腰掛けながら、上体をベッドに預け、うつ伏せになって眠る、ヒサトの姿があった。
そしてそのヒサトの左手は、セツナの右手によって握りこまれている。
――…………。
夢うつつで事情を理解できていないセツナに、もうひとり部屋に同席していた者、壁際のパイプ椅子にもたれながら、情報端末をいじっていた女性。黛ユウカは声を掛けた。
「おはようお姫さま。……具合いはどう?」
――…………。
セツナはまだ本調子ではない。黛ユウカは話を続けた。
「馬鹿っぽく思えるかもしれないけど……、これでもセツナっちのことは心配してたんだぜ。……ヒサトと僕、力不足のせいでセツナっちに負担掛けたようなもんだからな」
黛ユウカはそう言い終わったあとで顔をしかめた。
セツナの言葉はひとりごとのように紡ぎ出される。
「ずっと一緒にいてくれたの? ふたりとも」
そういうと、セツナはゆっくりと黛ユウカの方向に目線を向けた。
黛ユウカはその鋭く尖りがちな目をセツナから逸らせ、言った。
「まさか。あれからまる1日以上経ってるんだよ。……僕がたまたまここに顔を出したら、そこのバカがベッドに突っ伏してたってわけ」
「…………。そう」
セツナはなんの気なしに、ベッドに突っ伏すヒサトの頭を撫でていた。
もう一方の手は、ヒサトの手に添えられたままだ。
黛ユウカはひと息吸って罵声を浴びせようかとも思いつつ、いったんそれを飲み込んだ。セツナの振る舞いは素からにじみ出るものだろう、と思ったからだ。
「……なんにしても、僕はあんたの単独行動は許せないけどね。次は従ってもらうから」
セツナはそれを聴くとも聴かぬともせず、ヒサトの頭をただ撫ぜていた。
黛ユウカは続ける。
「聞いてる!? 納得いかないなら、話し合って決めたいんだけど!?」
セツナは黛ユウカに返事する。
「ごめんなさい」
さきほどのそれは無言の返答ではなく、聴いていたことを反芻していたがゆえだったようだ。
よどみなく、くっきりとした謝罪の声。
その目線は宙を舞っていたものの、その声ははっきりと発せられた。
黛ユウカは思わず毒気を抜かれてしまう。
「……ま、まあ。判ったんならそれでいいけど」
「いま、何時?」
「ん……。昼の3時。模擬戦からは丸1日以上経ってる。セツナっちの体調不良でもらった休みは3日。今日はその2日目」
「そう……」
セツナはヒサトの頭を撫ぜる手をとめ、虚空を見つめた。
そうしていると、まるで良くできた西洋人形のようだ。
そのさまは、女性である黛ユウカの目からでも魅力的に見えた。
「……ったく」
思わず悪態のひとつも出ようと言うものだ。
しばし間があって、セツナは黛ユウカにこう言った。
「お休みは明日もあるのね? それじゃ、明日お買い物につきあってもらえないかな?」
黛ユウカは唐突な申し出に呆気にとられる。セツナは黛ユウカを見つめて言った。
「駄目?」
美貌の主に真っ直ぐに見据えられ、黛ユウカの顔は思わず真っ赤になる。
「……って、なに買うんだよ!?」
「…………。なに、買うんだろう……」
「は? 僕が知るか!!」
「それじゃお食事でも……。ヒサトも連れて」
黛ユウカはそこで素に戻る。なにやらむかっ腹が立つのは判ったが、その矛先はセツナというよりは、ヒサトに向いていた。
黛ユウカはガタンと音を立てながら椅子より身を起こすと、セツナのベッド脇にまで歩いていき、うつ伏せのままのヒサトの襟ぐりをぐいと引っ張る。
「ま。親睦を深めるように、とはB・ブルック先生からも言われてるからね! いいよ! でヒサト、いつまで女の子の寝込んでるベッドに突っ伏してんだ!!! あんたも行くんだからね! 聞いてたんだろう!?」
ヒサトはとっさのことに覚醒もままならぬまま呆然としていた。襟を掴んだままの黛ユウカをぼんやりと見つめる。
黛ユウカは、こんの天然ボケばかりが!、とでも言わんぐらいの勢いで、ヒサトを片手でぐいと引き上げて立たせた。
片頬を引きつらせ気味に黛ユウカは言う。
「んじゃ!!! 明日の10時でいいね! せいぜいおめかしして来るんだね! ……ヒサト、あんたにはちょっと話がある。ちょっと屋上まで顔貸しな!!!」
と。
誰の返答も待たぬまま、黛ユウカはヒサトの片襟をつかみ、引きずる体で病室を出て行こうとした。
その背中に、セツナのかぼそい声が掛けられた。
「うん。また明日……。楽しみにしてる」
屋上の風は気持ちいい。
吹き抜ける風に吹かれて、ようやくヒサトの目も覚めたようだ。
黛ユウカはフェンスに体を預けながら、遠景をぼんやりと眺めている。
ヒサトはいまひとつ事情を理解できぬまま、それでも何か声を掛けずらいその雰囲気に躊躇していた。
ようやく黛ユウカは口にする。
「……あした、セツナっちから私らふたり、デートのお誘い受けた。……もちろん来るよね」
どんななりゆきでそんな話となったのか。
良く判らなかったが、特に断る理由も無いヒサトは生返事をする。
「あ、ああ。話が読めないけど」
「……僕もわかんない」
黛ユウカはくすりと笑う。そして意地悪く。
「まあ、お姫さまの折角のお誘いを断る手は無いよねぇ。ヒサト君」
それに応えてヒサトは。
「正直俺、セツナのこと良くわかんね。やたら必死なところとか。今の話もやたら唐突だし」
「そう……ね。なんであの子、あんなに肩肘張っちゃうのかな」
「日常感が無いっていうか」
「…………。LLのセツナっていえば結構有名だけど、家庭環境も変わってるらしいから。保育官が親の子って変わってる子多いからそれかな?」
「ああ……、それは俺もそう」
「……っ。気に障ったならごめんね。ヒサトは親しみやすくて普通だから。…………。あの子の保育官は、ビショップ、ていう名の歴戦の兵だったみたい」
そこで、会話はぽつり、と途絶えてしまう。
黛ユウカは考えた。
わたし、ヒサトを引っ張り出して、なにがしたかったのかな……。
ん……。
まあ、いいや。
黛ユウカはヒサトに向き直ると、仕切りなおしてこう言った。
「とにかく! 明日はお姫さまを丁重にエスコートする必要があるんだから! ……ヒサト君、朝10時だからね? わかってる!?」




