行きつけのお店でランチタイム
「……というわけで、うちのヒサトが今回、戦闘候補生に選ばれたのです」
ヒサトの保育官こと、アルクメネは、薄い陶磁製のティーカップを口に運びながら、テーブル向かいで座っている女性に話しかけた。
「…………」
眼前の女性。ゆるくウェーブを描く長髪と切れ長の眼を持つその女性、は、アルクメネの語りに沈黙で答えた。軽軽率率と答えるのを良しとしなかったのだろう。彼女も同じくティーカップを口元に運ぶ。
「ですがメリッサ……。私はいまだ戦闘候補生を担当したことがありませんでしたので、今後、どのようにヒサトに接すれば良いか分からなくなってしまったのです」
アルクメネはそう言いながら、ティーカップの中の澄んだ水色に目を落とす。
とてもはかなくほのかな薄茶色のそれは、春摘み紅茶のゆえんによるものだろう。立ち昇る春風のようにさわやかな香気が鼻腔を満たす。
食器ひとつといい、時節に合った茶葉を出してくる気配りといい、この店の細かな心配りには感心するばかりだ。
――こういうのをプロの仕事というのよね……。私もヒサトに出す料理のお出汁のとり方工夫してみようかしら。普段は日高昆布でお出汁をとっているけれども、料理によっては利尻昆布を使ったりとか、加熱する前のお水にさらす時間とか……。まだまだ研究の余地がある気がします……。
本題から逸れようとしていたアルクメネの思考を、眼前の女性、メリッサが引き戻した。
「私もそう何人もの子供を育ててきたわけでもないけど……。教えるべきことは、アルクメネ、あなたも分かっていると思うのね」
そう言ってから「ああ、アルクメネが聞きたいのはそういうことじゃないのよね……」とは思ったが、答えようの難しい問いかけであったため、メリッサはひとまずアルクメネの出方を伺おう、と考えた。
メリッサから見ても、アルクメネは優等生タイプで、実際に学生時代に優秀な成績を修めてきたのを知っている。ただひとつ欠点を言うなれば、アルクメネはその明晰な頭脳に比して、思考の上滑りもまた、凡人を著しく凌駕しているのだ。
――こうやって私が黙っている間にも、きっとこの子は、紅茶の春摘みに気付いたところから始まって、日高昆布がどうの利尻昆布がこうの、とか考えているに違いないわ……。この子には余計なことを考える時間を与えてはダメ……。
……恐るべき旧知の仲、恐るべきメリッサの洞察力、であった。
「…………」
今度はアルクメネが黙してしまう。
メリッサは、紅茶のかたわらに添えられていたスコーンのひとつに手を伸ばし、ほんのひとくち、かじりついた。
今はランチタイムであるが、彼女たちが食しているのは、紅茶付け添えのスコーン数個だ。
アルクメネは、ティーポットに貯えられていた紅茶がいつの間にか尽きているのに気付き、店主を呼んだ。
「すみませーん。ドリンクバー、おかわり、お願いしまーす」
店の奥から現れたのは、壮年の男性、喫茶『レベッカ』の店主、吉永漢一41歳であった。
たくましい相貌に、にっこりとした笑顔が張り付いている。
そのスマイルは女性客からも人気が高い。
だが、アルクメネに呼ばれて出てきた時のそれには、多少の歪みというか、無理が祟っている節があった。
本日6度目の、ティーポット交換である……。無理もない……。
吉永漢一は、一念発起で喫茶店を持つことにした、商売人である。
外食産業での新たなビジネススタイルを模索していた彼は、古書などを探るうち、『フランチャイズ』と呼ばれるビジネスモデルがあったことを知った。
ちなみに『フランチャイズ』とは、一定のブランドを確立しておいて、他者にそのブランドイメージでの商売を認可し、対価を受け取るというビジネスモデルだ。
なぜか現在でこそ、そうしたスタイルを採るお店は無かったのだが、逆にそれがチャンス!、と吉永漢一は考えたのだった。
フランチャイズが現行の法律に抵触しないことを確認した彼は、即日この『レベッカ』1号店を旗揚げしたのである。
開店当初、『レベッカ』1号店の経営は好調だった。
古書を参考にしたサービス、『ドリンクバー』という、『ドリンク何杯飲んでも値段一律』というサービスも好評を博し、客数は日増しに順調に伸びていった。
すべては好調で、世界は吉永漢一を中心に廻っているかに思えたほどだ。
が、しかし、ある日すべては変わった。
『ドリンクバー』の噂を聞きつけた保育官たちが、連日、何組も訪れるようになったせいである。
保育官は、一般の教育過程とは異なり、特殊性の高い育成プログラムを通して、輩出される。
そのプログラムは、高度化された学習内容や礼儀作法に留まらず、起床就寝などの生活リズムや、食事内容などにまで及んでいる。
食事にいたっては、その代謝リズムにまで最適化が施されているほどだ。
成人となった保育官であれば、身体維持のための最低限の栄養食品を、数日に一度摂取するだけでこと足りる。
また、彼ら/彼女らは、食事に執着することや、煩わされることも無いのだった。
しかしながら一方、彼ら/彼女らは、諸一般の芸術や芸事に通じており、その対象は食のテイスティングにも及んでいる。
そしてまた、カフェインなどの化学物質を摂取することは、精神メンテナンスの一環として組み込まれているため、保育官は、紅茶などの嗜好品をたしなむことを良しとするし、それらに軽い依存症を起こす者も少なからずいたのだった。
というわけで。
保育官たちにドリンクバーを最大限に有効活用(お茶をガバガバ馬鹿飲み)されて、2号店の出店もおぼつかなくなった喫茶『レベッカ』の店主、吉永漢一は、アルクメネとメリッサの本日6杯目のティーポット交換に、心中穏やかでない、というわけである。
「よろしくお願いしますね。店主さま」
アルクメネは微笑みながらそう言い、空になったティーポットを丁寧な所作で店主に渡す。
そう、そうなのだ。
保育官たちは、その職業柄もあってか、いずれも見目麗しく、その所作も優美で洗練されている。
実際、見目麗しい保育官たちがお茶をたしなむ、その姿を眺めたいが故に押し寄せる客も、また多いのだった。
男性客、女性客を問わず……。
そのため邪険に扱うわけにもいかず、またその微笑みに巻かれた吉永漢一個人の心情としてもつい『は~い、承りました~。喜んで~♪』となってしまうのであった。
小躍りしながら厨房に消える男店主……。その瞳はなぜか潤んでいる(気がした)。
そんな店主に優しく手を振りながら見送ったあとで、アルクメネも、スコーンの一個を手に取り、たしなみ程度にそれを齧った。
アルクメネとメリッサの、歓談を交えたランチタイムは、そのままシエスタ気取りの優雅なティータイムに突入しようとしていた……。




