ジェシカの実家
「一体何をしてるのかしらねぇ」
俺の身長の二倍強はありそうな大きな門の前で俺達は待ちぼうけを食らっていた。人一人が通れそうな程に開けっ放しにされた門の向こうにはあれが王宮ですよ? と言われても疑いようもないくらい豪奢な建物が広大な庭の向こうにそびえ立っているのが見える。
「なんか門番の人、血相変えて行きましたよね?」
「十ヶ月ぶりに実家に帰っただけなのにね。全く……」
合同庁舎C棟から王宮を挟んで昨日とは逆方面に伸びる大通りを歩いて実に十分ほど歩いたこの門の向こうの建物、それがジェシカさんの実家だった。ジェシカさんが話しかけると血相を変えて門を開け、開いた門はそのままに門番が屋敷の方へ駆け出して五分位立っている。屋敷の誰かを呼びに行ったで間違いないんだろうが、これは立派な職場放棄ではないだろうか?
そんなわけで俺たちは門をこのままにしておくわけにもいかないだろうってことで一応この場から動かないで待っている。
「ジェシカってお姫様だったんだね……」
目をキラキラと輝かせながらお屋敷を見つめティアが言うと
「あたしはお姫様じゃないよ。んー、精々お嬢様ってところかな」
ジェシカさんは少し嫌そうに答えを口した。そういう風に見られるのは確かあまり好きじゃなかったよな、この人。等と思い返していると、
「お嬢様ぁぁああぁぁぁぁあぁ!」
門の隙間から見える屋敷へと続く道を全速力でこちらへ向け駆け抜けながら燕尾服の男が叫んでいるのが見えた。その後ろには盛大に土煙を立てながら他の屋敷の職員達もこちらへ向け走ってきているのが見える。あまりにも人数が多いのでもしかすると全員が出てきているのかもしれない。
「……アイン君、門、閉めて。早く」
ちょっとだけ顔を引き攣らせつつも有無を言わせぬ低い声でジェシカさんに言われた俺は言われた通り門を閉じた。
閉じられた門の向こう側から地響きとお嬢様と叫ぶ声がものすごい速度で近づきすぐそこまで来たと感じた瞬間、
ガァンっ!!
と扉に何かを思いっきり叩きつけたような打撃音が盛大に響き、少し間を開けて、ガン! ガン! ガン! と次々に何かがぶつかった。何かとは言ったけどぶつかったのはおそらく……
「あの、閉めてよかったんでしょうか?」
「真っ直ぐ突っ込んでこられる方が困るでしょ? 大体あんな風慌てて来てたら何人か車道に出ちゃうだろうし」
「それもそうですけど……って、うわぁ」
言いかけた俺は開かれた門から流れ出てきた人の波に弾かれた。ジェシカさんを中心に人の輪が驚異的な速度で広がっていく。呆気にとられながら人の輪が膨れ上がっていくのを見つめていると、それが歩道を塞ぐ程に成長した頃、門の中からぼろっぼろになった黒い服の男が鼻血を垂らしたまま飛び出し、人込みを掻き分けその中心へと突き進んでいった。相当思い切りぶつかったんだろうな、あれ。門を閉めたことに罪悪感を感じる。
「お嬢様ぁぁああぁ! よくぞ帰ってきてくださいましたぁああぁ!」
どうやらジェシカさんの前までたどり着けたのかその男のものらしき叫び声が通りに響く。流石に大げさ過ぎるんじゃないだろうか。と思っていると
「皆ぁ! 『お客様の』前、ですよ?」
とジェシカさんの声が喧噪の中から響いた。
まず、シンっと全員がそれを聞いて静まり返った。
次に、一同が目をまん丸くしたままで、俺たちの方に一斉に顔を向けた。
「ひぃっ!」
小さく悲鳴を上げ、ティアが俺のズボンの裾をやぶれてしまいそうなほどギュッと掴んで俺の後ろに回った。その瞳からはボロボロと涙が零れはじめている。正直、俺も逃げ出したいほどに……怖い。
呆然としているためなのだろうか? 全員の表情からは感情らしきものが一切感じられずそれがまた怖さを際立たせている。
「アイン、えぐっ、怖いよぉ」
ティアが言った言葉がきっかけになったのか。それを聞いた一同は
「お見苦しいところをお見せして大変申し訳ありませんでした!」
と全員が綺麗にそろった声で謝りながら深々と頭を下げた。そのシンクロっぷりがむしろ逆に恐ろしい。
全員が頭を下げたので普通に立っていたジェシカさんの上半身が輪の中心から現れたが、その顔を見ると彼女はものすごいあきれ顔をしながら、露骨にため息をついていた。
「ノールズ様、お紅茶はいかがでしょう? ティア様はオレンジジュースでいかがですかな?」
先ほどとは打って変わって執事然とした落ち着きを取り戻した(服もどうやら着替えてきたようだ)男に俺とティアは客間らしき部屋でもてなしを受けている。なんでらしきなどと言うかと言うと、とにかくだだっ広過ぎてパーティールームですと言われたら素直に納得してしまいそうな場所だったからだ。
「先ほどは大変失礼いたしました。屋敷一同つい我を忘れてしまいお恥ずかしい限りです。重ね重ねお詫び申し上げます」
「いえいえ、気になさらないでください……」
申し訳なさそうに言うこの初老の男性はホレスさんというそうだ。ジェシカさんが自室に着替えに行ってしまったため俺とホレスさんはこんな当たり障りのないやり取りをして時間をつぶしている。
早くジェシカさんに戻ってきてほしいんだけどなぁと考えているとドアがゆっくりと開き、ジェシカさんが姿を現した。
「これはこれはおk」
「わー、ジェシカっ!」
ホレスさんの言葉を遮ってティアがジェシカさんに向けて駆けていき、クルクルとその周りを回り出した。
「ジェシカっ! やっぱりお姫様だよ! とっても綺麗」
着替えてきたジェシカさんはなんとこれぞドレスと言わんばかりに豪奢にフリルのあしらわれた、かと言って品の悪くない薄いピンク色のドレスを身にまとっていた。髪も毛先にくるりとパーマを当てていて、扇子まで持っちゃてまさにお姫様と言った風情だ。さっき自分のことをお嬢様ということすら嫌そうにしていた人とはとても思えない。
多分家柄もあってそういう格好をすることを強いられているんだろうなぁ。さぞ嫌そうな顔をしているのかと思いきや、彼女はすごく晴れやかな顔でティアを見つめていた。
ん? なんか変じゃないか?
と思ったのも束の間、彼女は扇子を床に落としつつもティアを抱き上げると心底嬉しそうに頬ずりし始めた。きゃ、キャラまで違う……
「じぇ、ジェシカ? えっと、何? どうしたの?」
ティアも普段とは違うジェシカさんの行動に狼狽えている。
「ホレスぅ! ジェシカちゃんの古い服はどこの部屋にまとめてあったかしらっ!?」
「は、二階の衣裳部屋の一番手前に少しばかり。先日すべて綺麗に洗っておりますゆえ、すぐに使えるかと」
「じゃあ、あとは任せたわ!!」
そう言うなりクルリと振り向き部屋から飛び出していこうとしたが誰かに道を阻まれたのか数歩後ずさり、ティアを抱きしめていた腕を力なくだらりと垂らした。
一人でなにやってんだろ、この人。
「アイン、アインっ!」
解放されたティアが俺の下へと駆け寄ってくる。
「ジェシカが、ジェシカがっ!」
うんうん。なんか変だよね、ジェシカさん。
「ふ、二人いるっ!」
うんうん。二人いるね。
……へ?
何言ってるんだと言う前に答えが出た。ジェシカさんが入ってきた扉からもう一人ジェシカさんが姿を現したのだ。
先に入ってきた方とは違い、黒いワンピースに青い宝石をあしらったネックレスを付けたジェシカさんがそこにいた。
向かい合う二人のジェシカさん。
だが、この非現実的な出来事にはすぐに答えが降りてきた。黒い方のジェシカさんが
「お客様に失礼ですよ、お母様」
そう口にしたからだ。
「ジェシカちゃん、その……おかえりなさい」
もう一人の、お母様と呼ばれたジェシカさんはバツが悪そうにそう答えた。




