別れの一言
お待ちいただいていた方、お待たせいたしました。
迷いに迷いましたが投稿します。予定と変わり分割になりましたが、一部最終話どうぞお楽しみください。
「ねぇ、ママ?」
明かりを落とし暗くなった部屋のベッドの上で眠りにつこうとするあたしのことを、隣で同じように仰向けに寝ている少女は昼間と同じように呼んだ。
それを聞いて、こんな調子で本当にこの子は明日、彼と別れることが出来るのだろうかという不安が頭をよぎる。今日はあたしも調子に乗ってやり過ぎてしまったかもしれない。自分の軽率さを悔やみたくなる。
「なに? ティア」
その為か少し硬くなってしまった自分の声に驚きつつも返事を待つ。
「あのね。今日は、ありがとう。ティアね、すっごく楽しかったよ」
それを別に気にする様子もなく、ティアは感謝の言葉を述べた。あたしは右肩を上げ、姿勢を変えて体ごと彼女の方を見る。暗がりではっきりとは見えないが瞼を開き天井を見つめているようだ。
「どういたしまして。あたしもすごく楽しかった。こんなに楽しかったのはほんと、久しぶり」
自然と顔がほころぶ。本当に今日は楽しい一日だった。
今の課に配属になる前からあたしは単独行動になることがほとんどだった。諜報活動なんてことをやっていたときは任務中は当然のように一人ぼっちだったし、その後異動したモンスター討伐課時代もあたしは変わらず一人だった。
「お前にはついてけねぇよ」「あの女、この間はフロストドラゴン一人で倒しちまったらしいぜ」「マジかよ、ありえねぇ」「はいはい、かしこまりました女勇者、様」「ば、化け物!?」「どうして俺がこいつと組まないといけないんですか!?」「そんなに、俺が邪魔かよ」「もうあいつ一人でいいんじゃねぇか?」「あんな女、ほっとけよ。」
当時あたしにかけられた言葉たちがまるで耳元で言われているかのように響き、思わずはっとする。
女として、いや、人としても強くなりすぎたあたしの横に並ぶ人間は誰もいなかった。大抵の人間はその強さを恐れるか、やっかむか。皆仲間と呼ぶに足る存在とは程遠かった。
勿論あたしにだって普通の人よりはきっと少ないけれど友達はいる。でも、仕事までは一緒にはしたことはない。普通のことだ。だから、仕事の場ではいつも一人。
今は同じ課になった子もいるけれども、課の人材事情として基本は少数精鋭の個別行動になりがちなせいで一緒に調査に出られることはまずない。そもそもあの子、内勤メインだし。外勤がメインのあたしとは課に戻ったときに位しか会うことはない。そして、そんな課は課長のバカが人事異動の話に首を縦に振らないせいで人が増える様子もない。
多分、今回帰っても新人はいないだろう。
「......でね、ジェシカ」
思考にどっぷりと浸かっていたあたしはいつの間にか話し始めていたティアの声にはっとする。
「ごめん、聞いてなかった。えっとなぁに?」
「もー。ちゃんと聞いて。じゃあもう一回言うね。えっと、ティアはね、もう大丈夫」
一瞬だけふて腐れたような声を上げるもすぐにまた言葉を選ぶように落ち着いて話し出すティア。何が大丈夫なんだろう。話の流れを思い返す。
「アインとさよならしても、ジェシカとさよならしても、もうティア大丈夫だよ」
あぁ、お別れのことか。いつの間にかティアはいつも通りにあたしのことをジェシカって呼ぶようになっている。ティアはあたしが考えるよりもずっと強かったようだ。これで安心して明日を迎えられるなと胸を撫で下ろす。
「でね、あのね」
ティアは言いづらいことを言う様に口ごもっている。まだ何か別のお願い事があるんだろうか?
そして、少し経ってから意を決したようにティアはあたしに問いかけた。
「ジェシカは、大丈夫?」
『旅立ちは晴れの方がいい。だってその方が気持ち良く駆けだせるから』
勇者サイレーンが魔王討伐に出るときに口にしたというその言葉を思い出さずにはいられないほど、今日も良い天気だ。もっとも、旅立つのは俺ではなく、目の前の彼女達の方だけれど。
俺たちのいる街の前に設けられた停車場には旅立つ人、故郷へ帰る人、そしてそれを見送る人、おおよそ百名ばかりの人々が口々にお別れの言葉を言い合っている。長い乗車時間を考慮してか、簡単な軽食等も売られていて、首から軽食やら飲み物やらお菓子屋らを山のように乗せたトレーを下げた売り子もおり、人の海に紛れ声を張り上げ商売に精を出している。
そんな雑踏の中に静かに立つ俺達三人。
俺の目の前には出会った時と同じボロボロのドレスを着て昨日の写真を持つティア。なんでもこの服でお別れするんだと言って聞かなかったらしい。その横にはいつも通りの服装に左腰に剣を下げたジェシカさんが手ぶらで立っている。荷物の方はすでに積荷係りに預けてあるのであとは乗り込むだけといった形だ。
対する俺の方は折れた剣は鍛冶屋に売ってしまったので、荷物は左肩から下げているずた袋だけになっている。
村へ帰るためには剣がいる。前の剣を売った金ではとても新しいものは買えなかったので、宿に泊まることを止め、貯金をすることにした俺は彼女達と一緒に宿を出た。
ギルドに登録して戦う危険のない仕事をコツコツとこなしていればそう遠くない内に剣は買えるだろう。何日か野宿生活になるがそれもまぁ仕方がない。俺一人に戻った旅はもうちょっとだけ続きそうだ。
「アイン、この写真、ずっと大事にするね」
ティアは額に入れられた写真を大事そうに胸に抱きしめながら俺に言った。
「あぁ、俺には写真はないけど、ティアのことは忘れないよ」
「絶対?」
「絶対。大きくなったらさ、俺の村に遊びにおいで。美味しいサンドイッチいーっぱい用意してあげるからさ」
「うん! 行く! サンドイッチいっぱいだからね!」
嬉しそうに笑うティア。心配していたが本当にしっかりとケジメが付いたようだ。気を緩めると泣いてしまいそうな俺の方がよっぽどこの子よりも未練がましいのかもしれない。
「でも、アインは来てくれないの?」
「あー。お金貯まったらさ、俺も遊びに行くよ、うん」
「絶対だよ! すぐだよ!」
「すぐにはちょっと......うん、頑張るよ、なるべく」
「もー」
話の中でまた一つ、約束をする。次に会うための約束。今度の約束も絶対に守ろう。俺は心に固く誓う。その為にはまずバリバリ働いて稼いで、しっかり鍛えて強くならないと。
「アイン君」
それまで黙って俺達のやり取りを見ていたジェシカさんは硬い表情のまま腰に手をやると、剣を外し、俺に向け突き出してきた。
「これ、持って行って」
ジェシカさんは自らの剣を俺に譲る気らしかった。今までちゃんと見ることはなかったが、飾り過ぎてはいないものの丁寧に施された装飾は高価なものでありそうな雰囲気を全面に漂わせている。
「え、こ、こんな良いものもらえませんよ!」
手を前に出し、俺は申し出を断る。
「剣、ないと困るでしょ? あたしのはどうせ支給品だし。それにあたし、よく折っちゃうから言い訳も利くし。とりあえずの代わりは途中の村で買うから平気」
ジェシカさんはそう言って剣を俺の手にぐっと押し付けてきた。そのまま彼女はパッと手を放す。落ちそうになる剣を慌てて掴むと、彼女は手はすでに組まれた腕の中にあった。この感じだと返しても多分受け取っては貰えないだろう。
「では、有難く、いただきます。......大事に、しますね」
「うん」
どこか固い空気が流れる。
「三番馬車ー。コバルト温泉街経由、帝都・ゴールド地方行き馬車にお乗りのお客様ー。間もなく発車をいたしまーす。お早目のご乗車をよろしくお願いしまーす」
御者が喧噪に紛れぬ様声を張り上げ、発車の知らせをしている。
別れの時が来てしまった。
「お別れ、ですね」
「そうだね」
「今まで、ありがとう」
そう静かに言うとジェシカさんとティアは馬車へと向けて歩き出した。
木でしっかりと囲われた馬車の側面に沿う様に一列に並べられたクッション。乗り込んでその一番後ろに隣り合って座る二人が大きく開かれた開口部から見える。もっとも後ろの部分にティアは座りこちらを向いて手を振っている。周りの喧騒に負けないように、俺に届くように、精一杯大きな声を上げ彼女は別れの挨拶を俺にした。
「アイン! バイバイ!!」
「ティア! 元気でね! 体には気を付けるんだよ!!」
俺も精一杯大きな声でティアに返す。そして、
「ジェシカさん! 短い間でしたが、本当に! 本当に! ありがとうございましたっ!! どうかお元気で!!」
俺は彼女に対する精一杯の感謝を叫んだ。
ティアの隣に座るジェシカさん。俯き加減のせいで今一つはっきりとは見えないが彼女のその表情は硬く、口はキュッと結ばれているように見える。彼女もまた俺と同じように別れを惜しんでくれているのだろうか?
そう考えていると開かれていた扉が閉じられ、馬車はゆっくりと動き始めた。
彼が別れの挨拶を告げている。
私も何かを言わないと。
あたし、まだ一言もちゃんとお別れの言葉を言えてない。
ちゃんとお別れしたいって望んでたじゃない。
今、言わないでいつ言えるの?
もう一人のあたしが問いかけてくる......でも、言葉が、出てこない。
『さよなら』
たった四文字の言葉。
それすら声にすることが出来なかった。
自分はこんなにも情けない人間だっただろうか?
別れなんて初めての経験じゃないはずなのに。
昨日、あたしは「大丈夫?」と訊くティアに対し、別れを受け止めているはずなのに何故か逡巡する自分に気づきつつもそれを誤魔化すように「勿論、大丈夫だよ」と返した。
だが、どうだろう。いざ蓋を開けてみた今、全然大丈夫じゃない自分がここにいる。
ゴトッと音を立て、まるであたしを引き留めるように後ろに引っ張る小さな力が体にかかり、馬車はゆっくりと走り出した。
向かう先はあたしの故郷。そこには仲間はいなくても、友達がいる。別に会いたいとも思わないが一応家族も。帰りたくないとは思わない。
でも、この力に身を預け、ここに残り続けてしまいたい。そう感じる自分もいる。
「ジェシカ!」
隣に座る少女があたしの肩を揺さぶる。
「アインにお別れ! しなくていいの!?」
あたしは力なく首を動かし、見送りの人の群れを見つめる。そこにはゆっくりと遠ざかっていく彼の姿。
短い間ではあったがずっとあたしについてきてくれた初めての人。こんな短い時間の中でいつの間に彼はこんなにもあたしの中で大きくなっていたのだろう?
その彼がゆっくりと遠ざかり、小さくなっていく。このまま小さくなってすぐに見えなくなるだろう。あたしの中でもちゃんとそうなっていくのだろうか。
―――これでいいの!? 本当に!?
もう一人のあたしが声を張り上げている。身体同様に心も揺さぶられている。
―――あたしは......あたしは。




