ティアと猫
翌朝、稽古を終えた俺とジェシカさんは朝一でティアを連れて役所に行ってきた。
役所の職員いわく、孤児の少ないグリーン地方には孤児院はすでに一ヶ所もなく、帝都に行くしかないらしい。また、身元の割り出しも頼んではおいたが、ここ100年没落した貴族などいないし、破産した富豪という線も探すのは困難とのことだった。もっとも仮にそれが分かったからなんだという話でもあるのだが。
「しょうがないから、今回の仕事が終わったらさ、あたしが帝都に連れていくことに決めたわ。その方が速いし。それまではティアには宿でお留守番してもらっておこう」
「それで大丈夫ですかね?」
今、役場を出た俺たちはカフェテラスで遅めの朝食を食べながら、今後のことについて話している。
「アイン、これ、美味しいね」
俺の隣でティアはベーコンレタスサンドイッチの中身をボロボロと皿の上にこぼしながらも、美味しそうにそれをほうばっている。
「ティア、こうやってぐっぐっってしっかり上と下のパンで具を挟み込んで食べれば落ちないよ?」
「ぐっぐっ。あむ......ほんとだ、落ちないね。ありがとう」
ホントに全然外のこと知らないんだな、この子。宿に一人でいさせても平気なのか? 少し不安を感じる。
「っていっても外に連れて歩くわけにも行かないでしょ? 子供だし」
「そうですよねぇ」
俺は目の前のバタートーストを齧りつつ答える。
「ねぇ、ティアはどうすればいいの?」
いつの間にかサンドイッチを平らげたティアは、足をパタパタさせながら聞いてきた。
「とりあえず、おねぇちゃんとお洋服買いに行ってさ、その後は宿でお留守番しててね」
「ティアはアインと一緒にいちゃダメなの?」
ティアは不服そうな目でジェシカさんを見つめた。
「ティア、あのね、お姉ちゃんもアイン君もやらなきゃいけないことがあるの。ティアが一緒にいると危ない目に合わせてしまうかもしれないからお部屋で待っててほしいんだ。分かるかな?」
ジェシカさんは優しくティアに言うものの、
「やだ! ティアはアインと一緒がいい!」
完全にお断りのご様子でぷいとそっぽを向いてしまう。ジェシカさんはジェシカさんでちょっと笑顔がひきつってるし。このまま放っておくのは不味いかもしれない。
「ジェシカさん、ティアはたぶん大丈夫ですよ。モンスターだらけの森で一人で暮らしてたんですから」
「でもアイン君の調べてくれた話だとさ、今日行くところは結構やばいでしょ?」
今日訪れようと思っているヴェルデ峡谷は昨日の森よりも危険なモンスターも多く、俺の実力を考えてもティアを連れていくのは少々、いや、かなり不味い気がする。
「あねさぁーん。お元気そうで何よりですー」
俺たちがどうしたものかと考えていると、その空気を割るような妙なイントネーションの声と共に、猫耳を頭に生やした少年が俺たちのテーブルに駆け寄ってきた。
「ガト!?」
「アインはんもお元気そうで何より。ゆーても、一昨日ぶりですが。あはは」
妙にテンションの高いガトはジェシカさんの隣の席に座る。そして、その真ん前、俺とジェシカさんの間に座っているティアを見るなり、
「お、お二人さん、お子さんいらしたんでっか!?!? ......マジか......」
耳も尻尾もだらんと下げて全身でがっくりするガト。そのテンションにティアが怯えてか、ジェシカさんの腕をぎゅっと掴む。
ジェシカさんもさぞ引いているのだろうと思いきや、俺の予想とは違いその顔はニヤリと笑っていた。
「まぁ、わても戦いの心得位はありますけどね」
三時間後、俺とティア、そしてガトの三人はヴェルデ峡谷へと来ていた。
「まさか子守り頼まれるとは思いませんでしたわ……あっ! ふぁあぁ……ってちょ、ちょっとぉ、今さっきダメだってゆーたばかりやないかっ! 特に根っこはあかんの!!」
ガトの尻尾がよほど気になるのだろうか。ここまで来る間にティアはガトの尻尾にちょくちょく触っては怒られている。
「ティア、なんか感じちゃってるみたいだからホント、いい加減やめたげて」
ガトのしっぽはかなり敏感なのか、触られる度に妙な声を上げるので俺もいい加減やめてもらいたい。
「だって、ふわふわだよ、アイン。すっごく気持ちいいの」
「そーゆ問題ちゃうねん! もー! アインはんも、親ならもっとキツく言わんとあかんよ!」
「分かったよガト。後、さっきも言ったけど、俺たちの娘じゃないから」
「血縁の問題やなくて、今はアインはんがこの子の保護者なんやからしっかりせんとあかんでしょう?」
いきなりまともなことを言い出すガト。この件がそんなに怒る必要があるかどうかはともかく、俺がしっかりいろいろと教えてあげないといけないのは確かなので耳が痛い。
「ティア、ふわふわして気持ちいいのは分かるけどさ、いざというときにこのお兄ちゃんが動けなくなっちゃってすごく危ないんだ。ここは危険なモンスターも出るし、本当にもうやめないとダメだよ、分かるよね?」
「分かった。ごめんね、ガト」
「はぁ、分かってくれたならええですよ、ティアはん。そろそろモンスターも多くなりますよって、気を引き締めていきましょ」
そういうとガトは指に嵌めたナックルダスターの位置を直した。
正直、マラカイト山脈での印象からほとんど期待していなかったのだが、ガトは意外にも戦い慣れしていた。
「ひっさぁつ! 猫パンチ」
ドゴォッ!
名前の響きからは想像もつかないような強烈な一撃がモンスターを吹き飛ばす。
「意外とここのモンスター強いですなぁ。こりゃあ猫の手も借りたくなりますね」
「なぁ、笑いどこなのか? それ」
妙なギャグを言いつつもガトは猫の獣人らしく俊敏に動き回り、攻撃をさっとかわしてはカウンター気味の攻撃で次々とモンスターを倒していく。
「でもこんなとこになんで来ないとあかんのです? こんなちっさい子連れてまで」
ティアもティアで上手くモンスターに気づかれにくい位置に移動して逃げてはいるが、戦いは出来ない様子で戦力にはなっていない。
目の前のでかいトカゲのようなモンスターと戦いながら俺はガトの問いかけに答える。
「ジェシカさんがさっ! 以前捕まえた密猟者の親玉がきっとここに来るだろうって言うから、早いうちに下見と、おっと、見回りを兼ねてさ!」
ザクッ!
「ハァハァ、来ておかないといけなかったんだけどさ」
尻尾を切り捨て逃げていく大トカゲ。その尻尾に刺した剣を引き抜き、辺りの様子をうかがう。とりあえず、モンスターの気配はすべて消えたようだ。隠れていたティアも、俺に近づいてくる。怪我はないようだ。
「なるほどなぁ……でも、必ず来るとは限らないでしょ?わざわざ危険を冒してまで見回りする意味ないですやん」
「ところがさ、ここに今度新しく絶滅危惧指定されるモンスターがいるんだよ。すっごく高く売れるやつ」
ジェシカさんいわく、モノアイタイタンが絶滅危惧指定されるという噂が流れているならば今のうちに一匹でも多く狩ろうとして相手も大きく動くに違いないということだった。
勿論、絶滅危惧指定されていない現状ではそれを理由に拘束は出来ないが、動きがあれば人物の特定は早くなるはずだ。
「それって一つ目のことでっか……」
そういうとガトは少しは難しそうな顔を作り、考え込むようなポーズをとる。
「なぁ、アインはん。わてが今回取引急がされたのがなんでか、分かった気がしますわ」
「どういうこと?」
「これ、顧客情報だからホントは教えたらあかんのですけど、わてが運んでたのな、最新式のマジックカノンなんですよ。工業国イソジスからの舶来品で、めっちゃくちゃ高価な代物なんです。」
「まじっくかのん? で? それってなにができるの?」
「普通、銃とか砲は発射するもんに人の手が触れんので魔法を付与することができんのですが、マジックカノンの場合やと弾に魔宝石を使うてることで魔法付与をすることが出来るんです。」
「それで?」
「わてが今回売ったんは、マジックカノンと雷魔法石弾なんですよ。雷魔法の使い手が使えば耐性のないモンスターならおそらく、大小関係なく電気で麻痺させるなり気絶させるなりすることが出来ます。これな、捕獲にうってつけやと思いません?」
「取引相手がそれを使って狩りをする可能性が高い、ってことか!」
「そゆことです。......これ、顧客情報流出になるから、ホント内緒にしといて下さいよ?あねさんのお役に立ちたいのと、この子のためですからね」
そして、俺はガトからその取引相手の名を耳打ちをされた。