星々の悲しみ (ぶっちょ)
「星々の悲しみ」批評会用短編小説。
寒風吹き荒れる師走のはじめ。
冴えない風貌の男が、その日の仕事が早く終わったので、早々と帰宅し一人自宅の台所で皿洗いをしていた時のことであった。
「――ただいま」
男の妻が、今にも消え入りそうな声でそう言いながら帰宅した。
「お帰りなさ……い」
妻の目は、これでもかと充血していて。
妻の瞼は、尋常でないほど腫れていて。
常日頃遅鈍と言われる男でも、何事かあったのだと理解した。
「そうだ……コーヒー、淹れようか」
「有難う。でもその前に、ダイブさせて」
男が快諾するや否や、妻は身に着けたスーツがよれるのもお構いなしに、思い切り居間のソファに飛び込んだ。
男も妻も、口を開こうとはしない。そんな沈黙を先に破ったのは、妻の方だった。
「……何度目だろ」
再度沈黙。男は次の言葉を待った。
「お前みたいな役立たず女、生きてる価値あんのか! って課長に言われちゃった。ほんのちょっとの、男の社員には笑って許す些細なミスなのに」
「考え方が古いんだろう、その上司。性別じゃなくてその人の個性でみないのかな」
個性、個性ね。妻は何度も繰り返しながら、くつくつと自嘲気味に笑った。
「いつか話したかもしれないけど、これでもテニスの全国大会で優勝したの。部長にもサークルの代表にも何度かなった。だけど……社会人になったら、どうでもいいことのように思えてきた」
男が何か言う前に妻はばっと起き上がり、ソファに座りなおって言った。
「星ね、星」
「星……?」
「星が一つ輝いてたらさ、明るさ関係なくそれを指して『星が綺麗だね』って言うじゃない?」
でもさ、と嗚咽の混じった声で続ける。
「たーくさん星があったら、『星が綺麗だね』ってのは、そこにあるたっくさんの星々について言ってるわけ。一つだけ選んで――まして光の弱い星を綺麗だなんて、言ってくれるわけない」
妻の肩が小さく震えていた。
男は遠目でそれを、追いつめられた小動物のような姿を眺めつつ、漆黒に近いコーヒーをカップに注いだ。そして妻の前にあるテーブルの上に、コースターやスティックシュガーと一緒に置いた。
「ミルク……はコーヒーミルクより牛乳の方がいいかい」
「……ミルクはいいわ、ありがとう。ごめんね」
「謝ることはないよ」
そう言って男はベランダに出た。
ふと、夜空を見上げる。
かなり曇っていて、星々はほとんど見えない。
男は長い間、安堵の表情で、憎々しげな視線で、祈るような心持ちで、大きな灰色の雲を見つめていた。