第三話:去年の出会い、すれ違い(2)
宇咲さんたちの前から逃げ出した私が駆け込んだのは、保健室だった。
「おや、君か」
保健室に行くと、白衣を着た天然パーマのショートヘアーの女性の姿があった。
アーモンド型の目元に存在感のある太くて長いまつ毛、右目の涙袋のすぐ下にはほくろが一つ。
彼女は田塚 まゆり先生。
この学校の養護教諭だ。
「どうしたんだい?また爪切りかな?」
「あの、体調が悪くて……」
「そうか。では、軽く症状を確認させてもらうかな」
田塚先生に従って、体温計測や来室カードの記入をしていく。
「体温は平熱。症状は気持ち悪いだけ、と。了解したよ。それじゃあ、ちょうどベッドも空いているし、少し休んでいくといい。担任には私から伝えておこう」
「……ありがとうございます」
私は空いているベッドで横になる。
すると、ベッドを囲むカーテンの向こうから、田塚先生が「そう言えば」という声が聞こえてくる。
「大上君。君、宇咲君と交際を始めたみたいだね」
突然のことで、ドキッとした。
「ど、どうしてそれを……!?」
「学校中その話題で持ちきりなんだ。嫌でも耳に入ってしまうんだよ」
そう言うと、「良くも悪くも存在感がある二人だから仕方ないね」と付け加えた。
「あれから一年か。長かったね」
田塚先生は感慨深そうに呟く。
その言葉を聞いていて、私はふと違和感を覚えた。
「あの、先生……」
「ん?どうしたのかな?」
「『あれから』って、何のことですか?」
そう問いかけると、突然カーテンが開く。
カーテンの向こうから現れた田塚先生は目を丸くしていた。
「おや、あの時のことを覚えてないのかい?ああ、いや待てよ。確かあの後すぐ、彼女がそんなことを言っていたな」
「先生。何か知っていたら、あの……教えてほしいです」
「教えるのはいいが、それは彼女に直接聞いてみてはどうだい?彼女は君がそれを覚えていないことはすでに承知のはずだからね」
「それは、えっと……」
きっとここに来る前だったら、できたかもしれない。
でも、今の状況でそうする勇気と度胸を私は持ち合わせていない。
「その反応を見るに、宇咲君と何かあったのかな?」
私は首を縦に振る。
「ふむ、なるほど」
田塚先生はそれ以上踏み込んで聞いてくることはなかった。
そして、「少々待っていてくれ」と言って、ベッドから離れていく。
それから少しの間、カーテンの向こうで田塚先生が何かを探す音が聞こえた。
「ああ、これだ」
戻ってきた田塚先生の手には、一枚の紙が握られていた。
「これに見覚えはないかい?」
――来室カード?
田塚先生から手渡されたのは、来室カードだった。
記入者は宇咲さんだ。
日付はちょうど一年前、来室時間は最終下校時間ギリギリと書かれている。
「階段から落ちて足首を捻った。歩けないくらい痛い」
当時宇咲さんが書いたであろう症状の欄を口に出して読む。
――これと私に何の関係が……?
「……一年前?」
何かを忘れている、そんな予感が私の中で生まれる。
「君は一年前のこの日、足を痛めて動けなかった彼女をここまで運んで来たんだよ」
「私が……?」
田塚先生にそう言われても、私は「思い出した!」とはならなかった。
――運んで来た?それってつまり、宇咲さんに触って……?
一番最初湧いたのは、信じられないという感情だった。
他人との接触を避けてきた私が、特に親しくもない、初対面の相手に触れるとは思えないからだ。
「まだ思い出せないみたいだね」
「……ごめんなさい」
「別に謝ることではないよ。一休みしながら、ゆっくり思い出すといい」
そう言って、田塚先生は校内スピーカーを指さす。
するとタイミングよく、スピーカーから午後の授業を知らせる予鈴が鳴った。
「それじゃあ、私は仕事に戻るよ。用があれば、いつでも呼んでくれ」
「あ、先生。これは?」
「今だけ君に預けておくよ。出ていく時に返してくれればいい」
最後に「くれぐれも、汚さないように」と付け加え、田塚先生はカーテンの向こうへと消えていった。
「……」
カーテンで仕切られたベッドの上で、一人私は手元に残された来室カードを見つめる。
でも、やっぱり当時の記憶は深い霧の奥に隠されたみたいに掴めないままだった。
『他人に興味がなければ、そんなものだよ』
望月さんに言われた一言が、まるで杭のように胸に突き刺さる。
――私が空気になったら誰も傷つかずに済む、そう思ってた。
そこに存在していても、認識されなければいい。
それはつまり、その人にとって存在していないのと同じだから。
――でも、本当に空気になっていたのは私じゃなくて……。
そこで考えるのを止めた。
そして、私は布団を頭から被って、無理やりにでも目を瞑って眠ることにした。
***
「……大上君、調子はどうだい?」
しばらくして、私は田塚先生の声で目を覚ます。
突然耳元で声がしたので、私は飛び上がる勢いで身体を起こした。
「あ、おはようございます……」
「おはよう。ちょうど今授業が終わったところだけど、どうする?」
「え?予鈴は?」
「もうとっくに鳴ったよ」
まったく聞こえていなかった。
こんな事は初めてだった。
「オオカミ並みの聴力を持つ君があの大音量を聞き逃すとは。珍しいこともあるものだね」
「今日は、寝不足で……」
「恋人ができて、妄想がはかどってしまったか」
「ち、違いますっ!」
「君も年頃の乙女だ。恋人ができて盛り上がってしまうのも仕方がない」
「先生……!」
田塚先生はクスクスと笑う。
「さて、冗談はこの辺にしておいて。次の授業には出られそうかい?」
「えっと……」
一番に思い浮かんだのは、宇咲さんのことだった。
教室に戻れば、否が応でも宇咲さんと顔を合わせることになる。
「無理ならもう一時間休んでいくかい?」
「……」
突然、保健室の扉がガラリと音を立てながら開く。
「失礼します!」
宇咲さんだった。
私はその声を聞いた途端、肩をビクリと飛び上がらせる。
「あれ?先生いない?」
「いるよ」
そう返事をしながら、田塚先生はすぐにカーテンの向こう側へと出ていく。
「どうしたのかな?」
「大上さんが体調悪いって聞いて」
「心配になって、様子を見に来たわけかい?」
「はい。大上さんはそこですか?」
「ああ、そうだよ」
直後、私のいるベッドに足音が近付いてくる。
――宇咲さんが来ちゃう!
どんな顔で私を見るのだろう。
どんなことを言うのだろう。
今、どんな気持ちでここに来たんだろう。
そんなことを考えていると、心が押し潰されそうになる。
「お、大上さん……?」
カーテンに宇咲さんの手がかけられる。
私は咄嗟に布団を頭から被る。
「大上さん、寝てるの?」
「……」
静かに私の返事を待ち続ける宇咲さん。
数秒後、「あっ」と声を漏らす。
「これ、大上さんと初めてあった時の……」
ベッド横のローテーブルに置いてあった来室カードだ。
宇咲さんはそれを懐かしそうに眺めている。
「……大上さんは覚えてないんだよね」
ぽつりと呟いたその声はとても寂しそうだった。
「ももは今ではテニス部のエースって言われてるけど、実は去年までラケットも持ったことがなかったんだよ」
まるで私に語り掛けるように、そう言う宇咲さん。
そして、さらにこう続ける。
「部活勧誘の時、押しの強い先輩がいてさ。恋と一緒に流される感じで入部したんだ。そしたら、意外と楽しくて。先生に無理言って、一人で居残り練習してたんだ」
宇咲さんの話を聞いていて、ふと思い出す。
パコン、パコン……。
日没の迫った放課後。
生徒がいなくなり静まり返る校庭に、ラケットを振る音だけが響く。
教室にいると、毎日のようにその音が聞こえてきた。
「この日もギリギリまで練習しててね。終わって部室出る時にはもう真っ暗だった。だから、階段がよく見えなくて……踏み外して落ちちゃったんだよね」
宇咲さんはかつての自分に呆れるように「あはは……」と笑う。
「どの部活ももう終わってたから、部活棟にはもも以外誰も居なくて……おまけに、足首折れちゃったんじゃないかってくらい派手に捻っちゃってさ」
――そうだ。思い出した……。
ある日の放課後。
下校時間を告げる予鈴が鳴って、私は下校しようとしていた。
『あはは、どうしよう……このまま誰も来ないとかあるのかな……?』
校舎を出てすぐのことだ。
誰も居ないはずの部活棟の方から声が聞こえてきた。
その時、その場には私以外にも数人の生徒がいた。
けれど、百メートルほど離れた部活棟から響くその声を聞き取れたのは、ケモノツキの私だけだった。
「痛くて動けないし、夜の部活棟って暗くて不気味だし。正直、泣きそうだった。でも、そんな時にたった一人……大上さんだけは私に気付いて、助けに来てくれたんだよ」
***
あの日、私は助けを求めるその人を探しに部活棟へと向かった。
本当は別の人に頼みたかった。
けれど、声をかけようとすると、皆決まって逃げて行ってしまった。
見て見ぬ振りもできた。
でも、できなかった。
そして、とにかく焦っていた。
――どこにいるんだろう?
すっかり日も暮れて、本校舎前のグラウンドを抜けた更に奥にある部活棟は灯りはほぼなく、足元もよく見えない状態だった。
オオカミのケモノツキは夜目が効くので、その程度でも十分だった。
「だ、誰かいるの……?」
恐る恐るといったような、怯えた声が聞こえてくる。
声がした方を見やると、階段の側で足を抑えてうずくまる一人の女子生徒の姿があった。
向こうはまだ私を目視できておらず、忙しなく周囲を見渡している。
「……大丈夫ですか?」
「わっ!?誰!?」
「お、落ち着いてください!えっと……助けに来ました。声が聞こえて……」
私はたどたどしくなりながら、必死に説明する。
すると、溜まった涙が今にも溢れてしまいそうな彼女の顔に安堵の色が浮かび上がる。
「あなた、すごいね。絶対誰も聞こえないと思ってた」
「……」
どう反応していいのか分からなくて、愛想笑い。
「あ、あの……もしかして、階段から落ちたんですか?」
「うん。暗かったから踏み間違えちゃって、捻っちゃった……」
「他に頭を打ったりとかはしてませんか?」
「他は大丈夫だよ。ありがとう」
私はホッと胸を撫でおろす。
これで焦る一番の要因が消えた。
「でも、折れてるかも……」
「え?」
「捻ったところ、すごく痛いんだ。私だけ先生に無理言って練習してた罰かな……あはは……」
引っ込み始めた涙がまた目に溜まり始める。
「歩けなくなっちゃったらどうしよう……もも、頭よくないのに……運動できなくなったら、何もできない子になっちゃう……」
涙を流しながら、怯えるように身体を震わせる。
一人にしたら闇に連れ去られてしまいそうなほど弱々しい彼女の姿を前に、私は居ても立ってもいられなかった。
「泣かないでください。私がいます。そのため、私はここに来たんです」
「え?わっ!?」
私は彼女の身体に手を回し、お姫様抱っこで抱き上げる。
「爪が刺さってしまうかもしれないので、動かないでくださいね」
「え?つ、爪ってどういう――」
私は彼女の言葉を待たずに駆け出した。
部活棟からグラウンドへと飛び込むと、そこから一気にフルスピードでグラウンドを突っ切る。
そして、保健室の扉の前に着くと力一杯に叫ぶ。
「先生いますか!先生!」
直後、中から田塚先生が慌てた様子で出てくる。
「こんな遅くにどうしたんだい!?」
「この人が怪我してて――」
田塚先生に説明をしながら、視線を抱きかかえている女子生徒の方に向ける。
彼女は目を丸くして、ひどく驚いたように私を見つめていた。
――あ……。
そこで私は我に返った。
こうする以上、正体を知られることは覚悟していた。
でも、私の姿を見て驚くその表情をいざ目にすると、恐怖されることへの怖さが勝ってしまったのだ。
「怪我だって?分かったよ。君、悪いがそのまま中まで運んでくれないかい?」
「……はい」
私は田塚先生に指示されるまま、女子生徒を保健室へ運んだ。
「……さあ、まずはこれを書いておくれ」
「はい」
田塚先生は女子生徒を来室カードを手渡す。
「大上君、ありがとう。君のお陰で助かったよ。あとは私に任せてくれ」
「……はい」
「あ、あの!」
保健室から出ていこうとすると、女子生徒が私を呼び止めようとする。
――ごめんなさい。
彼女の言葉が恐ろしくてたまらなくて、私は逃げるように保健室から出て行った。
そうして、私はこの日の出来事を記憶から消した。
きっともう彼女に関わることはないだろうからと、自分勝手にその女子生徒のことを「空気」にしたのだ。
***
「……あの日、あの部活棟から私を助け出してくれた大上さんは白馬に乗った王子様だったんだよ」
宇咲さんは気恥ずかしそうに「あはは」と笑う。
「そりゃあ、オオカミのケモノツキの人だって知った時は、すごくビックリしたよ。でも、怖くはなかった。だって、大上さんの優しさに触れたから」
「……」
「ももは何言ってるんだろう……そういうことは直接言わないと意味ないのに……」
宇咲さんの声から伝わってくる切なさが私の胸を締め付ける。
「……」
私は頭を覆う布団を少しだけ持ち上げてみる。
すると、屈んで布団の隙間を覗き込むようにしていた宇咲さんと視線がかち合う。
宇咲さんは私を安心させるようにニコリと笑った。
「……大上さん、さっきは怖がっちゃってごめんね。大上さんの迫力がすごくて、ちょっとビックリしちゃっただけなんだ」
「謝るのは私の方です。ごめんなさい。宇咲さんと会っていたことを忘れてた上に、ひどいことを言ってしまいました」
「もしかして、思い出したの?」
私は頷く。
すると、宇咲さんは「ふ~ん」の言ってジロジロと私を見つめてくる。
「じゃあ、もう二、三個謝ることがあるよね?」
「え?」
「何その反応?もも、あれには結構傷ついたんだけどな……もしかして、思い出したっていうのは嘘なのかな?」
「え、ええ……!?」
何のことを言っているのだろうと、必死にあの日のことを思い返す。
「……もしかして、宇咲さんの話を無視して帰っちゃったことですか?」
「それだけ?」
どうやらまだあるらしい。
「宇咲さん、ごめんなさい。分からないです」
本当にお手上げだったので、謝るしかなかった。
宇咲さんは「もう……」と言って溜め息をつく。
「もも、次の日に大上さんに会いに行ったんだよ」
「え!?」
「当たり前じゃん!大上さん、お礼言う前に帰っちゃうんだもん!それで、ももが会いに行ったら大上さんはどうしたと思う?」
「……逃げたんじゃないでしょうか?」
「大正解!」
――ああ、やっぱり。
あの時、私は宇咲さんに自分から触れてしまった。
仕方なくでも偶然でもなく、自分から。
いつもの自分ならしないことをしてしまったのも相まって、当時の私は必要以上に臆病になっていたのだろう。
「大上さんが逃げるせいで、ももを怪我させたのは大上さんじゃないかって変な噂も立っちゃうし。誤解を解くのも本当に大変だったんだよ!」
「その節は、本当にごめんなさい……」
「いいよ、許してあげる」
宇咲さんは笑顔を浮かべると、私の被る布団に手をかける。
「う、宇咲さん!?」
「しーっ!先生いるんだから!」
小さな声でそう言いながら、人差し指を私の唇に押し当てる。
「次の授業までもうちょっと時間あるから、イチャイチャしよ?」
布団の中に潜り込んだ宇咲さんは私の背中に腕を回し、キュッと優しく抱きしめてくる。
「大上さん、好きだよ」
「……私も好きだと思います」
「何それ?他人事?」
「そういうわけじゃなくて……その……」
恥ずかしくて、唇が震える。
「私、前に恋愛したことがないって言いましたよね?」
「うん。言ってたね」
「実は、誰かを好きになったこともなくて……好きって感覚がどんな感じかがよく分からないんです……」
嘘でもいいなら、きっと「好き」と言えただろう。
でも、宇咲さんに嘘はつきたくなかった。
「じゃあ、大上さんは今どういう感覚なの?教えて?」
「ええ……ちょうどいい言葉がないんですが……」
「一言で言わなくていいから、一個ずつ言って」
「一個ずつですか!?」
「そうだよ!ほら、早く!」
宇咲さんは眉間にシワを寄せながら、顔を近づけてくる。
何度も「早く!」と繰り返し言ってくるので、私は慌てて言葉を探す。
「宇咲さんの体温が温かくて気持ちいいです。とても落ち着くんです。でも、心臓は締め付けられるみたいで少し息苦しいです。気持ちいいと苦しいが一緒に押し寄せてきて、不思議な気分なんです」
「ふふっ」
「宇咲さん?」
「それが好きって感覚だよ」
「これが好き……?」
宇咲さんはコクリと頷く。
――私たち、今同じ気持ちを共有している。
そう思った途端、私は触れ合う身体を通して宇咲さんと繋がっているような感覚がした。
でも、その繋がりは少しのことで切れてしまいそうなほど不安定で弱い。
だから、もっと強い繋がりが欲しくなる。
「大上さん、好きって言って」
宇咲さんも同じ気持ちなんだろう。
繋がっているから分かる。
「……す、好きです」
「ももも好き」
私の好きは言い慣れてなくて、ちょっと拙かった。
それで好きと言い合って、繋がりが少しだけ強くなった。
「もっと言って」
「はい」
私たちは布団の中で抱き合いながら、交互に好きと言い合う。
やがて、私たちを取り巻くこの空間は二人の好きで一杯になった。
「……」
「……」
言葉を忘れて見つめ合う。
宇咲さんの表情はいつもよりリラックスしているようで、トロンとしている。
それはきっと、私もそうなのだろう。
しばらく見つめ合っていると、宇咲さんはゆっくりと目蓋を落とした。
キスして、と言っているようだった。
――はい。私もしたいです……キス。
私は宇咲さんの唇に吸い込まれるように顔を近付ける。
「……こら、君たち」
突然、布団が取り払われる。
その瞬間、私たちは我に返った。
「盛り上がっているところ悪いね。だが、止められる分かるだろう?」
田塚先生の声には静かな怒りが宿っていた。
「君たちの関係については応援している。だが、保健室は恋人が愛を確かめ合う場所ではないんだよ。次やったら、担任には報告するからね」
「はい」
「……ごめんなさい」
すっかり萎縮した私たちは田塚先生に頭を下げる。
「さて、二人の間にあった問題は解決したようだね。大上君、授業はどうする?もう一時間休む必要はあるかい?」
「大丈夫です」
そう答えると、田塚先生は安心したように笑みを作る。
「では、残りの授業頑張ってね。また何かあれば来なさい。宇咲君もね」
「はーい」
「先生、ありがとうございました」
田塚先生はひらひらと手を振る。
そうして、私たちお互い笑顔で保健室をあとにしたのだった。
***
「いや〜、保健室だってことすっかり忘れてたよ」
「私も、先生がいることを忘れました」
教室に向かう道中、私と宇咲さんは保健室での出来事を語り合っていた。
「でも、なんかよかったね。すごく恋人って感じだった」
「そ、そうですね……」
「あ、目逸らした。照れてるの?」
「……」
肘をツンツンと私の脇腹に当てて、ちょっかいをかけてくる宇咲さん。
反撃する言葉も見つからなくて、耐えるしかないのが少し悔しい。
「……大上さんだ」
階段を登り、二年生のクラスのある階に近付いた時だった。
私の姿を目にした誰かがボソッと呟く。
すると、その周囲にいた人の視線が私に集まる。
「……」
まるで敵を見るような視線。
すごく居心地が悪い。
すると、私の手を温かくて柔らかいものが包み込む。
宇咲さんの手だ。
「大上さん、大丈夫だよ」
そう言って、私をまっすぐ見つめる。
不安な感情がスーッと消えていく。
「ほら、行こっ!」
「はい」
私は一緒に階段を登っていく。
直後、私の背後――下の階から勢いよくこちらに駆け上がってくる足音が聞こえた。
そして、その音は私たちのすぐ後ろまで来ると突然消える。
「……?」
不思議に思って振り返る。
――誰もいない。
「大上さん、どうしたの?」
「いえ、何も――」
視線を戻しながら振り返った時、それは起こった。
「え……?」
宇咲さんの身体が、突然不自然なくらい大きく後ろに傾く。
そして次の瞬間、宇咲さんは階段から投げ出されるように落ちていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ぜひ次回も読んでくださると嬉しいです。
「面白い!」と思ったら、高評価お願いします。
作者の創作意欲もぐんぐん上がります。
本作品は不定期で更新しています。
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