第一話:学校の人気者、うさ耳生える(2)
「――って感じでさ、朝起きたらいきなりこの姿になってたわけ!家族全員で『何これーっ!?』って大騒ぎしちゃったよ!」
休み時間、宇咲さんはケモノツキになった時のことをクラスメイトに話しながら、ケラケラと笑っている。
――宇咲さん、元気でよかった。
自分の席から宇咲さんの様子を眺めながら、心の中で呟く。
宇咲さんは私が思っているよりもずっと強くて前向きな人だったみたいだ。
「それにしても、宇咲さんは人気だな……」
私がケモノツキになった時、クラスメイトはほとんど私から離れていった。
私はオオカミのケモノツキだから。
人を簡単に傷付けられる爪と牙を持っていて、身長も男子生徒みたいに高かった私の姿はとにかく威圧的に見えたのだろう。
それでも私に変わらず接してくれる友達はいた。
でも、その子は私が――。
「私もウサギのケモノツキだったらよかったのに……」
クラスメイトに囲まれて楽しそうな宇咲さんを眺めながら、誰にも聞こえない小さな声でボソッと呟く。
するとその時、宇咲さんの耳がピクリと動いた。
「……っ!?」
――もしかして、聞かれた?
私はふとそう思った。
でも、その考えはすぐに捨てることにした。
だって、宇咲さんはクラスメイトとお喋りをしている最中だったから。
だからきっと、偶然タイミングが重なっただけだ。
***
宇咲さんがケモノツキとして学校に通い始めて、数日が経った。
そして、その事件は突然起こった。
――ん?教室がなんか騒がしい?
朝、玄関から教室へと向かう最中、妙に私のクラスの教室が騒がしいことに気付く。
『誰?酷くない?』
『ちょっと、これ消した方がいいんじゃない?』
『でも、これ本当だったらどうする?』
音の数からして、他クラスの生徒もいるらしい。
それに、何故か声に混じってスマホのシャッターを切る音が聞こえてくる。
何か嫌な予感を抱きながら、私は教室へと向かう。
『ケモノツキの姿はそいつの本性!』
『ウサギのケモノツキ 宇咲百花はヤりたがりなクソビッチ!』
『繁殖相手 絶賛募集中!』
教室の黒板にデカデカとそう書かれていた。
「……一体いつこんなものが?」
最後に教室を出た生徒は私だった。
でも、私が帰る時にはこんなものは書かれていなかった。
――ひどい。本当にひどい!
悪意に満ちた刃物みたいなこの言葉たちを、宇咲さんに届かせるわけにはいかない。
私はすぐに駆け出して、黒板消しを手に取る。
「大上さんって、そういうことする人だっけ?」
ボソリと誰かが言った。
すると、周りの視線が私に集中する。
「もしかして、書いてあることってマジだったりする?」
「同じケモノツキだから、宇咲さんを庇って?」
「むしろ、自分のためじゃない?」
まるで水面を揺らす波紋のように、何の根拠もない自分勝手な憶測が広がっていく。
「ち、違……ただ私は……っ!」
そこまで言って、私の声は途端に力を失った。
まるで檻から外に出てしまった動物を見ているかのような視線。
誰一人、私を同じ人間として見てくれる人はいない。
――そんな目で私を見ないで……。
私の姿を映す瞳が、かつて私の親友だった女の子が最後に向けてきた瞳と重なる。
気付けば、私の身体はひどく震えていた。
手の中にあった黒板消しは私から逃げるようにスルリと滑り落ちて、そのままどこかへ行ってしまう。
「皆、おはよう!」
陰湿な空気で充満した教室に響き渡る宇咲さんの声。
何も知らない宇咲さんはいつものようにニコニコと明るい表情を浮かべながら、教室に入ってくる。
「……?」
教室の空気が違うことに気付いたのか、辺りを見渡す宇咲さん。
別教室から来た生徒、スマホを持つクラスメイト、黒板の前にいる私、そして――。
それを見た途端、宇咲さんのウサギ耳がゆっくりと伸びていく。
そのまま数秒間、目を丸くさせながら無言で立ち尽くす宇咲さん。
「あはは、そんなわけないじゃん!一体どこ情報?」
次の瞬間、宇咲さんは突然ケラケラと笑いだす。
「もしかして、皆これ信じちゃいそうになってた感じ?ありえないよ。もしこれが本当なら、ももが今まで誰とも付き合ってないのはおかしくない?」
「でも、大上さんが消そうとしてたよ。本当のことだからじゃないの?」
そう問いかけたのは、クラスメイトの一人だった。
「クラスメイトの悪口が書いてあったら、その子の目に入る前に消そうとするのは普通のことじゃない?もしももが大上さんと同じ立場なら、同じ事するよ」
宇咲さんは「っていうか……」と呟いて、さらに続ける。
「消そうとしてくれたのって、大上さんだけ?皆は何してたの?」
教室をぐるりと見渡して、その場にいる人たちへ視線を送る宇咲さん。
すると、皆宇咲さんから逃げるように視線や顔を逸らす。
教室がしんと静まり返る。
その場の空気に耐えきれず、去っていく野次馬。
「……何これ?何かあった?」
誰も言葉を発せない重苦しい空気を破ったのは、ちょうど教室にやってきた望月さんだった。
「恋!見てよ、これ!」
「うわ、これまた手の込んだ……」
「ひどくない?」
「ひどいけど、書いた奴は馬鹿だな。こんなデタラメを信じる奴なんていないだろ。いや、余程ももを知らない奴なら信じるか?」
無意識に宇咲さんへ疑惑の眼差しを向けていたクラスメイトを思いっ切り一刀両断する望月さん。
望月さんは鞄を自分の席に降ろすと、足元に転がっていた――私がさっき落とした黒板を手に取って、まっすぐ黒板の前にやって来る。
「そうそう。さっき、まゆ先と会ってさ。ももと大上さんを探してたよ。これは私が消しとくから、早く行ってきなよ」
――まゆ先生?ああ、田塚先生。
田塚まゆり先生。
養護教諭、つまり保健室の先生だ。
――でも、どうして先生が私たちを?それも、もう少しでホームルームが始まっちゃう時間に?
「そうなの?じゃあ、ごめんだけどお願いね。大上さん、行こ?」
「え、あ……」
宇咲さんは私の制服の袖を掴むと、返事を待たずに歩き出す。
そうして、私と宇咲さんはは重苦しい空気漂う教室を後にした。
***
「宇咲さん、どこに行くんですか?保健室はそっちの反対ですよ?」
保健室の先生に呼ばれて教室を出た私たち。
でも、宇咲さんは私の手を引いたまま、何故か保健室とは真逆の方向に進み続ける。
「……分かってるよ。そんなこと」
こちらに背を向けたまま、そう返事をする宇咲さん。
「早く先生のところに行かないと、ホームルーム始まってしまいますよ?」
「大丈夫だよ。先生が呼んでるって、話は嘘だから」
「え?」
「中学からの付き合いだからさ、恋はもものことよく分かってるんだよ。こういう時は本当敵わないなーってなる」
何を言っているのか、私にはよく分からない。
でも、宇咲さんの声を聞いて、いつもと違うことにふと気付く。
「宇咲さん。もしかして、泣いてますか?」
「あはは、そんなわけないじゃん!ももはまだまだ元気一杯だよ!」
背を向けながら、ケラケラと笑う宇咲さん。
その声はまるで元気を無理やり絞り出してるみたいだった。
以前放課後にチラリと見せた、苦しそうな笑みがチラリと過ぎる。
「宇咲さん……私、誰にも言いません。だから、我慢しないでください」
「ええ?大上さん、何の話ししてるの?」
「宇咲さん!」
――もう見てられない。
次の瞬間、私の身体は動いていた。
誰にも見つからないよう、廊下の陰に宇咲さんを隠して、私よりも二回りほど小さなその身体を腕の中にしまい込む。
「……他人に触れるの苦手じゃなかったの?」
「苦手ですよ。怖くて、震えが止まりません」
少しでも力加減を間違えば最後。
私の爪は宇咲さんの柔らかい肌を貫いて、そのまま引き裂いてしまう。
もちろん、そうならないように手入れはしている。
それでも、時々ボールに穴をあけてしまったりするから油断はできない。
――本音を言うと、早く離れたいです。
「でも、宇咲さんのそんな姿をもう見たくないんです!宇咲さんには心の底から笑っていて欲しいんです!」
「だから、触れてくれるんだ……そっか……ありがと……」
宇咲さんは私の胸の中で静かに泣き続ける。
そこには、いつも笑顔な明るい学校の人気者はいない。
傷付きやすくて繊細な、ガラスの心を持った女の子だった。
***
「……大上さん、我がまま言ってもいい?」
しばらくして、抑えていた涙を出し切った宇咲さんは私の胸に顔を押さえつけながら、そう問いかけてくる。
「えっと、はい。私にできることなら……」
「もっと……ギュッてして……」
「え!?」
――今でも結構力を込めているんですけど……。
これ以上腕に力を込めたら、宇咲さんの身体が壊れてしまいそうだった。
「ダメ?」
瞳を潤ませながら、上目遣いで私を見つめてくる宇咲さん。
いつもと違う甘えたがりな雰囲気に、不覚にもドキッとしてしまう。
「……痛いと感じたら、すぐに言ってくださいね」
「うん、分かった」
私の悪い癖が出た。
すぐに相手のペースにのみ込まれる。
「これくらいですか?」
「もっと、強くてもいいよ?」
「え……」
これ以上抱きしめる力を強くしたら、宇咲さんを抱き潰してしまう。
「あはは、冗談だよ。このままももを抱きしめていて」
そう言うと、宇咲さんは突然私の腰に手を回す。
「う、宇咲さん!?」
「……」
胸に顔を埋めたまま、無言で私を抱きしめ返す宇咲さん。
「う、宇咲さん。大丈夫ですか……?」
「何が?」
「心臓の音、すごく早いです」
密着する身体を通して響いてくる宇咲さんの心臓の音は、まるで運動後のように早くて、それでいて太鼓を打ち鳴らすように力強く鼓動している。
「……大上さんのせいだよ」
「え!?もしかして、苦しかったですか!?ごめんなさい!」
「全然苦しくなんてないよ。むしろ、すごく気持ちいい。だから、このまま抱きしめてて」
「は、はい……」
――じゃあ、私のせいって何のこと?
何のことか見当がつかなくて、私は頭の上にハテナを浮かべる。
すると、宇咲さんが問いかけてくる。
「……ねえ、もう一つ我がまま言ってもいい?」
「はい。何ですか?」
次の瞬間、宇咲さんは何故か黙り込んでしまう。
宇咲さんのピンと持ち上がったうさ耳は、どこか力んでいるようにも見えた。
「……して」
「え?」
「だから……して」
胸に顔を埋めたままのせいで、よく聞こえない。
「ごめんなさい。聞こえませんでした」
「だ、から……」
パッと顔を上げる宇咲さん。
宇咲さんの頬は赤く火照っていた。
「キスして」
宇咲さんは声を震わせながら、ハッキリとそう言った。
「え……?」
あまりに突然のことで、理解が追いつかない。
「キ、キス……?冗談ですよね?」
「本気だよ」
私を映すその瞳の奥には、噴火する火山のように激しいく鮮烈な感情が渦巻いていた。
その言葉が嘘じゃないことを嫌でも分からされる。
「待ってください。じゃあ、宇咲さんがずっと言っていた『好きな人』って……わ、私ってことですか?」
「……」
宇咲さんは私を見つめたまま、小さく首を縦に振る。
――宇咲さんが私のことを……どうして……?
「私はオオカミのケモノツキですよ?」
「うん、もちろん知ってるよ」
「じゃあ、どうして……?」
「大上さんが世界一優しいオオカミだからだよ」
宇咲さんは私の手を掴むと、そのまま自分の顔を私の手の平に擦り付ける。
――宇咲さんの顔が爪の近くに!?
宇咲さんの綺麗な肌が爪に触れそうなる。
私は指をピンと伸ばして、宇咲さんから爪を遠ざける。
「ほらね。大上さんは優しいから、私が傷付かないようにしてくれる」
「爪を持つケモノツキなら、皆きっと同じことをすると思います」
「もしそうだとしても、ももの悪口を真っ先に消そうとはしてくれるのは、大上さんだけだよ。ももはそんな優しい大上さんのことが好き。世界中の人が大上さんのことを嫌っても、ももだけは大上さんのことを好きでいるよ」
宇咲さんは熱のこもった瞳でまっすぐ私を見つけてくる。
「ももは大上さんと付き合いたい。ももを大上さんの恋人にして」
「そんなこと、急に言われても……もう予想外のことが過ぎて、私の頭はもうパンクしちゃいそうです……」
「そっか。じゃあ、こうしよう」
宇咲さんは指を一本立てて、私の顔の前に突き出す。
「今から、ももとキスしよ。キスが気持ちよかったら、ももの勝ち。大上さんはももと付き合うの」
「キ、キス!?どうして!?」
「そんなの……ももがキスしたくて堪んないからに決まってるじゃん」
そう言うと、宇咲さんは流れるようにサラリと私の両頬に手をあてがう。
「待ってください!ほ、本当にするんですか!?」
「当たり前じゃん。振り解いてもいいけど、ももも抵抗するから。それでも、ももに怪我させずに振り解く自信があるなら、どうぞ?」
「ず、ずるい……」
宇咲さんを抱きしめるだけでも精一杯だったのだ。
本気で取っ組み合いなんてしたら、絶対に怪我を負わせてしまう。
「ごめんね。でも、もう待ってるのが嫌になっちゃったから」
宇咲さんは踵を浮かせ、背筋を伸ばす。
頭一つ半の身長差が少しずつ縮まっていく。
そうして、気付けば、私たちの顔は鼻先が触れ合う距離まで近付いていた。
「キス、するね」
その言葉の直後、更に顔が迫ってくる。
キスなんて、人生で一度もしたことがなかった。
だから、どうすればいいのか分からない私は宇崎さんに全部任せて、ただ目を閉じる。
次の瞬間、唇に何かが触れた。
マシュマロのように柔らかく、弾力があって、それでいて程よく温かい。
胸の奥が温かくなって、全身へと広がっていく。
――これが、キス……。
宇咲さんの唇がゆっくりと離れる。
目蓋を持ち上げると、キスをする前より数段と頬を赤らめた宇咲さんの顔が飛び込んでくる。
「大上さん、顔が真っ赤だよ」
「宇咲さんもですよ」
「マジ?あはは、そりゃそうだよね。やっと好きな人とキスできたわけだし……」
宇咲さんは顔を赤くさせたままニコリと微笑んで、照れ隠し。
「それで、ももとのキスは気持ちよかった……?」
「えっと、その……」
唇が震えて、続きが言えない。
まだ自分でも感情に整理が追いついていないみたいだった。
「ダメだった?そっか……」
「あっ!ち、違うんです!」
「え?違うの?」
期待に満ちた眼差しが私に注がれる。
続きを口にする恥ずかしさで、心臓が爆発してしまいそうだった。
「キ、キス……すごく、気持ちよかったです……」
私は真っ赤になった顔を手で隠し、声をひどく震わせながら、宇咲さんに伝える。
「そっか。よかった〜」
宇咲さんの声から力が抜けるのと一緒に、瞳からキラキラと輝く涙がブワッと溢れてくる。
「宇咲さん!?だ、大丈夫ですか!?」
「大上さんのせいだよ。あはは、嬉しすぎて、涙止まんないよ」
涙を流しながら、笑みを浮かべる宇咲さん。
その笑顔は、私が今まで見た笑顔の中で一番生き生きしていた。
するとその時、校舎にホームルームを知らせる予鈴が鳴り響く。
「なんだか、ももたちのことをお祝いしてるみたいだね」
「宇咲さん。本当に私でいいんですか?」
「ももは大上さんがいいの」
宇咲さんのその言葉を聞いて、胸の奥がキュッと引き締まる。
オオカミのケモノツキになってから、私を求めてくれる人は誰一人いなかったから。
「これから恋人としてよろしくね、大上さん」
宇咲さんは上目づかいでニコリと笑う。
恋人という響きはまだ慣れなくてムズムズする。
でも、不思議と宇咲さんの恋人なら悪くないとも思えた。
「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします……」
こうして、私と宇咲さんは恋仲になった。
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