79.墓標のような屋敷
陽が高く昇り始めた頃、王都の門がようやく見えてきた。
遠くからでもその規模は一目瞭然で、白石で造られた高い城壁と、規則的に並ぶ監視塔が、まるで何かを拒むようにそびえ立っていた。
門前の広場には荷車や旅人が行き交い、城下の町の活気を物語っている。
だが――そのどこかに、静かに揺れる違和感があった。
「馬車はここまでだ。これ以上乗ってると目立っちまう」
ノクスがそう言って合図を送ると、馬車はゆっくりと止まり、一行は徒歩で門へと向かう。
城門から少し離れたところで、セディは立ち止まりヘリオスに一礼した。
「自分は街には入らず、先に周囲の様子を調べておきます」
それだけ告げて、その場を離れる。
旅慣れた足取りで、街外れの街道沿いへと消えていくその背を、誰もが黙って見送った。
セディの姿が見えなくなった頃、シオンは隣にいたヘリオスに目を向ける。
「ここから先、私たちも別行動になるけど……無理はしないでね」
「うん。船長たちも気をつけて」
返ってきた声は柔らかい。
けれど、その瞳ははっきりと覚悟を宿していた。
「……あんた、昔に比べて随分しっかりしてきたわね」
「船長と会ってから、まだそんなに経ってないよ?」
苦笑しながらも、ヘリオスは穏やかな視線でシオンを見つめる。
少し気恥ずかしくなったのか、シオンは照れ隠しのように目をそらした。
その様子を見ながら、ヘリオスは声を落として言う。
「巻き込んでごめん。……もし危ないと思ったら、構わず逃げてほしいんだ。君たちが、命をかける必要はないから」
「今更何言ってんのよ」
シオンの声には、呆れと、少しだけ嬉しさが混じっていた。
「私たちは大丈夫。だからあんたも、やるべきことを存分にやってきなさい」
「……ありがとう」
以前より、ずっと強い眼差し。
言葉の調子も、変わった。
それでも、優しい笑顔だけは、シオンの知るものと相違なかった。
短いやり取りだったが、互いの信頼は言葉の端々に滲んでいた。
そのまま、彼らは再び足を速め、城門へと向かう。
入国には身分証が必要だったが、そこはベルナルドの手腕により偽造済みだ。
複数の国で通用するほど精巧な“旅商人”用の書類だという。
「ほんと、便利よね。こういうとこだけは」
「“だけ”とは心外だね。俺はいつでも頼りになるでしょ?」
シオンの呆れたような呟きに、ベルナルドは悪びれもせず肩をすくめて答えた。
彼女は半眼で彼を見やり、「……自分で言わなければ完璧なんだけどね」と苦笑する。
少し緊張しつつ検問を受けたものの、全員が難なく通過した。
しかし、城門をくぐった瞬間――空気の“質”が違うことを、誰もが直感的に感じた。
賑わってはいる。
通りに並ぶ店や、活気づいた声、笑顔の市民。
表向きはごく普通の城下町だ。
だが、明るさの裏に、何かが沈んでいる。
(動き出す前の静けさ、みたいな……)
シオンが無意識に周囲を見渡していると、カルロが低く呟いた。
「本当は、被害が出る前に止めたいところだが……組織や合成獣の潜伏先がわからない以上、動きようがないな」
「そうね。それに下手に動けば警戒されて逃げられる可能性もある。……でも、後手に回るしかないのは、少し不安だわ」
シオンが言うと、カルロが僅かに微笑む。
「大丈夫。何かあっても、俺が何とかするよ」
「……頼りにしてるわ」
その一言に、カルロの耳が少しだけ赤く染まった。
「ほら、今はまだやれることもないし――観光でもしようか」
場の空気を変えるように、ベルナルドが軽く笑って、シオンの肩にひょいと手を回す。
その瞬間、シオンの身体がびくりと硬直した。
「……?」
その反応に驚いたのは、ベルナルドだけではなかった。
いつもなら赤くなりつつも、すぐ距離を取る彼女の反応が、今日はどこか違う。
「あ……わ、私、向こう見て回るから!」
慌てたようにベルナルドの手を振り払うと、シオンは真っ赤な顔で駆け出した。
その背を見送る間もなく、ルナリアが無言で後を追う。
残された三人は、しばし沈黙した。
「……お前、また何かしたのか?」
カルロの視線が静かにベルナルドを刺す。
いつもの調子で流そうとした彼だったが、その時通りのざわめきの中に、わずかなざらつきが混ざった。
ベルナルドは冗談めいた口調を止め、周囲を密やかに見渡す。
「……見られてるね」
言葉の調子が変わった。
「俺たちが何者かはバレてないだろうけど、“外から来た”というだけで警戒されてる」
「さっきから視線を感じていたが……やはりそれか」
カルロも低く同意する。
「なんか、嫌な感じがします……」
レイジが僅かに顔をしかめた。
「ま、ただの観光客装っておこうよ。変なことしなければ怪しまれないって」
ベルナルドは笑いながら、小さな紙片を取り出してカルロに手渡した。
「宿の場所。日が落ちる前に、ここに集合ね。シオンたちにも伝えといて」
そう言うと、軽く手を振って、人混みの中へと紛れる。
笑っているが、その背には油断の欠片もなく、確かに警戒の色を纏っていた。
まるで風の流れを読むように、彼は町の空気を感じ取っていく。
その姿は、冗談めいた態度とは裏腹に――次の一手を探していた。
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人の流れに紛れながら、ノクスはゆっくりと魔法で気配をぼかしていく。
周囲の視線は確かにあった。
けれど、それは“こちらを見張る”というより、“よそ者に対する警戒”に近いものだ。
(正体まではバレちゃいねぇな)
そう判断しながらも、慎重さは崩さない。
ここで不用意に気配を断ち切ったり、王弟の屋敷に真っ直ぐ向かえば、意図を悟られかねない。
だからこそ、徐々に薄くする。
ただの通行人と見分けがつかない程度にぼかし、周囲の興味を逸らす。
(……“偶然、見失った”と思わせる。それで十分だ)
街の喧騒の中を巡回するふりをしながら、ノクスたちは少しずつ歩調を変え、道を外れる。
やがて、ざわめきの薄れた路地に差しかかったところで、シュゼルが小さく呟いた。
「……視線が、消えたな」
ノクスは頷き、道の先へと目を向ける。
そのまま街の外れへと足を進めると、喧噪が背後へと遠ざかっていった。
並んでいた家々は途切れ、空が広がり始める。
そして、その先にーー目的の屋敷が見えてきた。
街の喧騒が嘘のように消えた先に、その屋敷はあった。
白い石造りの外壁はまだ堅牢な印象を保っているが、門柱の装飾には風雨の跡が浮かび、建物全体にどこか“手入れの止まった静寂”が漂っている。
大きな窓はすべて閉ざされ、庭には伸びた草木が揺れていた。
それは荒れているというより、「丁寧に放置された」ような静けさだった。
(……屋敷ってより、墓標みてぇだな)
門の前には、近衛兵の服を着た男が一人だけ立っている。
物言わぬその姿は、まるで置き物のように静かだ。
ノクスは門番の顔を見るなり、ほんのわずかに眉をひそめた。
「声、かけたくねぇが……」
低く短い言葉に、拒むような響きが混じる。
門番に見覚えがあるのだろう。
とはいえ、躊躇っている時間はなかった。
ため息まじりに小さく舌打ちしてから、ノクスは足音もなく歩み寄る。
男がこちらに気づき、顔を向けたその瞬間ーー目が大きく見開かれた。
「…………っ」
完全に固まったように見えた。
ノクスが何か短く言葉を交わすと、数拍の沈黙ののち、重々しい音とともに門が開く。
「行くぞ」
短い言葉とともに振り返り、仲間に合図を送る。
門番の視線が、しばらくノクスの背を追っていた。
「……なんか、すごく驚いてたみたいだけど」
ヘリオスが首をかしげると、ノクスは視線を向けずに淡々と答える。
「別に。帝国にいるはずの俺がここにいるのが、意外だっただけだろ」
それだけ言って、視線を屋敷へと戻した。
そして、ゆっくりと門をくぐり、敷地内へ足を踏み入れていく。
その背中はいつもと変わらぬ無表情だったが、微かな重みが滲んでいるように感じた。
シュゼルは何も言わず、彼の後に続く。
屋敷の門をくぐった途端、風が変わった。
空気がひんやりと静まり返る。
外の温かい陽射しが、まるで別世界のように感じられた。
かつて“家族だった”男の元へ。
その一歩一歩が、やけに重く響いた。




