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【番外編】太陽の名を君に

記憶を封じられ、城を出たあの日。

「アリウス」が、「ヘリオス」になった夜の物語です。

暗い道を、どれほど歩いただろうか。

城を離れ、王都を抜け、ただ遠くへと進む。


街を出てしまえば、人目はほとんどない。

しかも今は夜中だ。

それでも警戒を怠ることなく、歩き続ける。


(もう少し先に、……深い森があったはずだ)


目的地を思い浮かべながら、シュゼルはそっと息を吐いた。

磁場の乱れた森の奥ならば、しばらく身を隠せるはずだと。

そう考え、ただそこを目指して進む。


その先のことは、まだ考えていない。

本来であれば、国外への移動も計画に入っていた。

だが今は状況が変わり、自分たちの存在を悟られないことが最優先となった。


シュゼルは、抱えている青年――アリウスに視線を落とす。

記憶を封じる魔術をかけられてから、彼はずっと眠ったままだ。

穏やかな寝顔の頬には、まだ涙の跡が残っていた。


(私が、護らなければ)


幼い頃に、命を捧げると誓った主君。

そして、敬愛する第二王妃セレーナが、命がけで託した存在。


彼女が最後に残した言葉が、ふと脳裏をよぎる。

「違う名前を与えて、別人として生きてほしい」と。


身分も何も持たず、ただ一人の青年として――。


(……名前を、考えなければいけないか)


確か、"アリウス”はセレーナがつけたと聞いたことがある。

好きな花と、強く輝く星の名前から決めたのだと言っていた。


(どのような名前が相応しいだろうか。私にとって、彼は……)


初めて会った時の印象。

自分を認めてくれた時の、心を照らすような温もり。

――表すならば。


「……太陽、か。……そうだ、“ヘリオス”はどうだろう」


小さく呟いたその響きが、不思議と胸に馴染む。

シュゼルは歩く速度を少し早め、森へと急いだ。






ーーーーーーーーーーーーーーーー






やがて、鬱蒼とした森の入り口が見えてきた。

風さえ吹かず、木々は静寂の中に立ち尽くしている。

枝葉が空を覆い隠し、月明かりすら届かない。

人の気配など、微塵もない。

この深さならば、そう簡単には見つからないだろう。


シュゼルは一歩踏み入れると、慎重に足元を確かめながら奥へと進んだ。

磁場の乱れた土地特有の感覚が、皮膚を撫でていく。

しかしそれは、今の彼にとっては都合が良かった。


身体強化の術を維持しているためか、肉体的な疲労は思ったほどではない。

だが、精神の方は……自分でも誤魔化せなかった。


国を、王都を、過去を捨ててきた。

護るべき者と共に、これから先、どこまで歩いていけるのか。

この選択に、迷いも後悔もない。

しかし、正体のない不安が、音もなく背中にのしかかってくる。


(……まずは、夜を凌ぐ場所を)


奥深くまで進んだ先に、小さく開けた場所を見つける。

倒木のそばに荷を下ろし、片手でマントを外す。

木の根元にそれを広げ、アリウスを静かに寄りかからせた。

念の為、魔除けの結界も張っておく。


寝床の準備をしていると、ふと――

かすかに呻くような声が聞こえた。

振り返ると、アリウスの瞼がわずかに震えている。

その表情は苦悶の色はない。何か夢を見ているようだった。


(……目覚めそう、か?)


シュゼルは息を整えながら、傍に膝をつく。

目覚めた時、混乱させぬように。

すぐに状況を悟られぬよう、静かに迎えねばならない。

そう思いながら、焚き火の明かりを抑え、あたりの様子に目を凝らした。


「ん……ここは……?」

「目が覚めたか?」


薄っすらと目を開けたアリウスに、シュゼルは言う。

すると、アリウスは不思議そうな顔で瞬きをし、首を傾げた。


「……君、誰?」


その一言が、まるで胸に鉛を落とされたように響く。

だがそれと同時に、僅かな安堵も感じた。


――良かった。ちゃんと、忘れている。


知らない人を見るような目を向けられたことに、心が痛んだことは否定しない。

それでも、記憶の封印が成功していたことは喜ぶべきだった。


「覚えていないのか?」


記憶を失っている事は、知らぬふりをしなければ。

だから――あえて、少し驚いた声を出す。


「……わからない。君のことも、自分の名前も……なにも」


何も思い出せないことを不安そうにするアリウスの頭を、シュゼルは優しく撫でる。

アリウスは驚いた様子を見せたが、シュゼルは気にせず言葉を続けた。


「私はシュゼル。……君の幼馴染だ、ヘリオス」

「シュゼル……幼馴染……。……ヘリオスって、僕の名前?」

「ああ。……少し、話をしよう」


幼少期の雰囲気を思い出すようなあどけない顔に、シュゼルの口元が自然と緩む。

そして彼は、静かに話し始めた。


生まれた時から、一緒の村で過ごしていたこと。

その村が、野盗に襲われたこと。

他の村人は全員殺されてしまい、自分たちだけ逃げ切ったこと。

残酷すぎるその光景を見て、ショックで記憶が飛んだ可能性が高いこと。


アリウス――いや、ヘリオスが目覚める前に考えていた“設定”だった。

真実ではなくとも、この嘘で、護れるものがあると信じて。


「当面は野盗に見つからないよう、この森に身を隠そうと思う。不自由な思いをさせてしまうが……」


シュゼルが申し訳なさそうに言うと、ヘリオスは首を横に振る。


「確かにまだ、少し不安だけど……大丈夫。君は、信頼できそうだから」


生き残ったのが、自分ひとりじゃなくてよかったーー

そう力なく笑うヘリオスを見て、シュゼルの胸に小さな罪悪感が生まれる。

しかし、それは心の奥へと押し込めた。


「今日はもう遅い。結界を張ってあるから、安心して休んでくれ」

「ありがとう。確かに……なんだか、まだ眠い」


長く寝ていた自覚はあるようだが、それでも眠気が襲ってくることを不思議に思いつつ、ヘリオスは目元を擦る。

その仕草がどこか幼く見えて、無邪気だったかつてのアリウスと重なって見えた。


ーーいや。そもそも、これが本来の彼なのかもしれない。


暗殺の危機に晒され、自分のせいで誰かが傷つくたび、

徐々に心を閉ざしていった彼の姿は……もう、ここにはない。

それだけでも、この選択が「意味のあるもの」に思えた。








例え、誰に責められても。

記憶が戻ってしまった時、彼に軽蔑されたとしても。




構わない。

君が、生きていてくれるなら。






それだけが、シュゼルにとっての「真実」だった。



最後まで読んでくださってありがとうございます!

「太陽の名を君に」は、アリウスが“ヘリオス”という名前をもらった夜の話でした。


本文でも少し触れましたが、「アリウス」の名前は、母・セレーナがつけたもので、

花の「アネモネ」と、星の「シリウス」から名付けられたものです。


どちらも、どこか寂しげで、それでも強く美しいもの。

彼がその名前とともに、まっすぐ生きてくれるように……と、こっそり願いを込めています。

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