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70.あなたが幸せでありますように

「アリウスを……葬る?」


その言葉の意味を、さすがのシュゼルもすぐ理解はできなかった。

困惑する彼を見て、セレーナは少し申し訳なさそうに言う。


「言い方が悪くてごめんなさい。消すのは“アリウス”という存在……つまり、あの子を死んだことにして、外の世界に逃がそうと思っているです」


アリウスを城から遠ざけることは、以前から考えていた。

あの子は、権力争いの渦中に立つには、あまりに優しすぎる。

できることなら、昔のように――自由に、のびのびと生きてほしい。


けれど、この城にいる限り、それが叶わないことはわかりきっていた。


「けれど、ただ逃がすだけではすぐ追われてしまうでしょう。生きている限り、あの子の存在は脅威だから。だから、“王子は暗殺された”と思い込ませなければなりません」

「……そんな方法が、あるのですか?」


静かな問いに、セレーナはそっと頷く。


影武者でも立てない限り、成り立たない計画だ。

しかし、アリウスにそのような存在はいない。

だがそこで、シュゼルはある可能性に思い至った。

口に出さずとも、彼の表情を読み取ったセレーナが答える。


「幻影術を使います。私の姿を、アリウスに見せかけて……そして、私を殺させます」


シュゼルの肩が微かに震えた。


以前、書物で読んだ記憶がある。

幻影術ーー相手に幻を見せ、姿や音さえ偽る禁呪。

それを使えば、自分の姿を他者に見せかけることも可能だという。


だが、その代償はあまりにも大きい。

発動すれば、術者はひと月以上昏睡状態に陥ると書かれていた。

場合によっては、そのまま目覚めない可能性もあるらしい。


……だが、“死”を選ぼうとしているセレーナにとって、それは些細な代償でしかないのだろう。


「なぜ、あなたが犠牲にならなければならないのですか」


絞り出すように疑問を口にすると、セレーナはゆっくりと答えた。


「私の後ろ盾がないばかりに、あの子にはこれまで辛い思いをさせてきました。

これからも、私ではあの子を守りきれない。……ならば、私にできる最後のことをしたいのです」


違う。アリウスは、一度だってあなたを責めたことなどない。

後ろ盾がないせいで苦しいなどと、そんなふうに思ったこともない。


……だが、きっとそれは、セレーナもわかっている。

これは、アリウスがどう思っているかではなくーーセレーナが自分自身を許せないのだ。


母として、息子の盾になれないことを悔やんでいる。


「アリウスには、このことは伝えません。ただ、“外で生きてほしい”とだけ……」

「……」

「あなたにだけ、背負わせることになってしまって……本当に、ごめんなさい」


シュゼルは首を振った。

それは構わない。

アリウスに話せば、きっと反対する。ならば、自分が知っているだけでいい。


セレーナはそっと袖をまくり、小さな袋を取り出す。

中から現れたのは、深い緑の宝石をあしらった、華奢な銀の首飾りだった。


「これは……?」

「古くから伝わる、魔除けの首飾りです。……あなたたちの無事を祈って、作りました。

本当は、アリウスに渡すつもりだったけれど……、今はあなたに託します」


シュゼルは、一瞬だけ目を見開く。

それがどれほどの意味を持つか、言葉にされずとも理解していた。


「……お預かりします。必ず、お守りします。アリウスを、そして、あなたの願いを」


そう言って、首飾りを胸に抱くように受け取ると、深く頭を下げる。


「私を信頼して任せていただけること、光栄に思います」


深く、深く頭を下げたシュゼルは。

…………そのまま、静かに言葉を続けた。


「王妃様。不敬を承知で……ひとつだけ、お言葉を許していただけますか」

「構いません。何であっても、受け止めましょう」


一呼吸置いてから、彼は僅かに震えた声で言う。


「……私にとって、あなたは“母”のような方でした。心より、尊敬しております」


従者が王妃を“母”と呼ぶなど、本来なら許されない。

けれど、今だけは。


今、この瞬間だけは、どうしても伝えておきたかった。

もう二度と、こうして向き合って話すことはできないのだから。


セレーナは静かに、優しく微笑んだ。

そして、そっとシュゼルを抱きしめる。


「ありがとう、……とても嬉しい。私も、あなたのことが、息子のように大切でした」


その言葉に、シュゼルの瞳がかすかに揺れた。

けれど、流れるものはない。

その瞳に宿っていたのは、涙ではなくーーただ、揺るぎない覚悟だけだった。






ーーーーーーーーーーーーーーーー






王妃の私室に呼ばれたアリウスは、どこかいつもと違う、静かな母の様子に胸騒ぎを覚えた。

けれど、セレーナは穏やかな微笑を崩さぬまま、椅子に座るよう手で示す。


「アリウス。あなたに、……大切な話があります」


そう切り出された時から、彼はもう、ただ事ではないことを察していた。


「……あなたは、シュゼルと一緒にこの城を出て、外の世界で生きてください」


静かに、しかしはっきりと告げられた言葉。

その意味を、アリウスは一瞬、理解できなかった。


「……どういう、ことですか」

「あなたは優しすぎます。ここで生きていくには、それが弱さになってしまうでしょう。

私はもうこれ以上、あなたが傷つく姿を見ていたくありません」


アリウスは黙って、母の顔を見つめる。

その瞳の奥にあるものが、ただの心配や逃避ではないとわかってしまうからこそ、問い返せなかった。


けれど、やがて絞り出すように声を出す。


「……では、母上はどうなるのですか。

俺だけ逃げて、あなた一人を……この場所に残して、苦しませるんですか」


セレーナの微笑みが、かすかに揺れた。


「私は、もう十分です。

あなたが無事でいてくれるなら、それだけで、私は救われますから」


少しの、沈黙。

そしてアリウスは、ぽつりと呟いた。


「……俺が響術に目覚めていれば、母上を守れたんでしょうか……」


悔やむように発せられた声に、セレーナははっきりと首を振る。


「いいえ。それは関係ありません。

それどころか、もし目覚めていたら、きっと今以上に争いの火種になっていたでしょう。

“ただの第三王子”でさえ、これほどの脅威なのです。

もし“継承権を持った第三王子”になってしまったら、暗殺の勢いはもっと加速していたはずですから」


それは真実だった。

響術がなかったからこそ、彼はまだ生きている。


アリウスは自分が無力だからではなく、“強さが利用される世界にいる”ということに、初めて気づかされた。


ただ、彼女は感じていた。

アリウスがいずれ、響術に目覚めるであろうことを。

きっと今は、まだ、”その時”ではないだけなのだろうと。


「……あなたも、いずれ目覚めるでしょう。

強くて優しい、光の力に」


気がつけば、セレーナは穏やかにそう告げていた。


「その時は、国や王位のためではなく……

あなたや、あなたの大切な人のために、その力を使ってほしい」


アリウスは黙って、母の言葉を受け止める。


「ただ、もし目覚めなかったとしてもーー

あなたは私にとって、かけがえのない存在です。それだけは忘れないで」


それは、王子としてでも、器としてでもなく。

ひとりの息子として、ただひとりの命として。一生揺らぐことはない。

深く、静かに、告げられた。


 

もう、何を言っても、きっと彼女の決意は変わらない。

その瞳が、そう物語っていた。


アリウスはそっと視線を落とし、数秒の沈黙の末、ゆっくりと頷く。


「……わかりました。

俺、シュゼルと一緒に行きます。……必ず、生き延びます」


セレーナは、わずかに微笑んだ。


「ありがとう、アリウス」


そしてわずかに目を伏せてから、彼女は声を潜めて言う。


「……あなたたちは、明日の夜、この城を出てください」


アリウスが少しだけ目を見開く。


「明日の……夜?」

「そう。必ず、誰にも見られずに。準備は既に、シュゼルが進めています」


その語り口は変わらず穏やかだったが、どこか“決意の重さ”が滲んでいた。


アリウスは思わず口を開きかける。

だが、理由を尋ねる言葉は、どうしても出てこなかった。


何かを察しそうになる自分がいて、それ以上を知るのが怖かった。


「……わかりました」


しばらく沈黙が流れ、やがてアリウスは首を縦に振る。

セレーナは小さく微笑み、彼の言葉を胸にしまい込むように目を閉じた。


「ええ。それでいい。……それが、一番です」


彼女の静かな声に、アリウスは深く頭を下げる。


「母上。……俺は、あなたの息子でいられて、本当によかった。愛してくれて、ありがとうございました」

「……あなたが幸せでありますように。いつも、祈っています」


セレーナはそっと手を伸ばし、その頬に触れた。

その声は静かで温かく、まるで祈りそのもののようだった。



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