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63.涙の記憶

今までより、ずっとはっきりと響く声だった。

包み込むようで、温かくて……どうしようもなく、大好きだった声。


”ただ、もし目覚めなかったとしてもーー

あなたは私にとって、かけがえのない存在です。それだけは忘れないで”


懐かしいその声は、確かに言っていた。

「それ」に目覚められなくても、あなたはあなたのままでいい。

ただ、笑っていてくれたら、それだけでいいと。


その言葉とともに、全身に痺れるような感覚が走った。

血が沸騰するような熱。

心臓の奥から、何かが目覚めていく。


その時だった。

突然感じたーーこの空間に満ちる、確かな「光の波形」を。


「……ヘリオス?」


ウィスカが違和感に気づいて振り返る。

ヘリオスの瞳が、深い緑に染まっていた。


本人にその自覚はない。

ただ、心の奥にある”確信”が彼を突き動かした。


右手をゆっくりと前にかざす。

そこに「共鳴波」を重ねるように、静かに、深く意識を向けた。


やったことはない。なのに、わかった。


ーー見えた。


この空間を切り裂く、細く、美しい光の線。

そこへ、彼の意志が触れた。


次の瞬間。


無数の光が、鋭い刃のように魔物へと収束し、その身体を貫いた。


「っ……!?」


高密度の光が放たれたかと思うと、魔物は断末魔をあげる間もなく崩れ落ちた。

まるで、夜明けの光が闇を裂いたかのように。


ウィスカも、ルナリアも、セディも、言葉を失ってその場に立ち尽くす。


当の本人であるヘリオスすら、何が起こったのかわかっていなかった。

だが、ただ一つだけ確かなことがある。

今は一刻も早く、ここを離れなければならないということ。


「出口へ向かいましょう!」


そう言って先頭に立ち、皆を促す。

四人は混乱と死の空気に満ちた牢を抜けるため、出口へと走り出した。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーー






外に出ると、空気が一変していた。

冷たい風が吹き抜ける、夜の外気。

牢獄の内部とは違い、静かで澄んだ世界が広がっている。


空はまだ深い闇の中にあったが、東の地平線には、かすかな光が差していた。

それは、確かに夜明けの兆しだった。


生きて外に出られた――その実感が、ようやく胸の奥に広がっていく。

だが、その静寂を破ったのは、背後からの声だった。


「……やはり、君……いえ、あなたは……」


振り返ると、セディが静かに膝をつき、深く頭を垂れている。


「え……?」


戸惑うヘリオスに、セディは毅然とした声で言った。


「すぐに気づかず、無礼を働きましたこと、深くお詫び申し上げます。……アリウス王子殿下」


その言葉が落ちた瞬間、空気が凍りつく。


「……アリウス?」


ルナリアが小さく首を傾げたのに対し、ウィスカは目を細める。

ウィスカにとっては、聞き覚えのある名前だった。


――あの森での襲撃の時、野盗が叫んでいた名。

そして、ノクスが初めて彼を見た時に口にした名前でもある。


(……考えないようにしていた。ずっと)


気づいてはいけない、知ってはいけない――

そんな気がしていたのだ。


ウィスカは言葉を失ったまま、静かにセディを見つめるヘリオスに目を向ける。


「先程の響術……あの力を目にして、確信いたしました。まさか、こんな場所にいらっしゃるとは思いもよりませんでした……」


何を言われているのか、わからない。

頭が混乱し、心が追いつかない。


そして――その時だった。


夜空を裂くように、朝日が差し込む。

一筋の光が彼の肩を、顔を、そしてその瞳を照らす。


その瞬間、ヘリオスの中で、何かが音もなく崩れ落ちた。


視界が反転する。

記憶の奔流が、堰を切ったように押し寄せてくる。


王城の廊下、母の微笑み、シュゼルの剣。

兄たちの嘲り、父の背中。

音のない部屋、血に沈んだーー"自分”の姿。

幾百の想いが、断片となって彼を貫いた。


「……っ、あ、…………!」


頭を抱えて、蹲る。


「ヘリオス!?」

「ヘリオスさん!」

「殿下!」


皆の声が、どこか遠くで響いていた。


(だめだ……崩れる……)


そんな彼の意識に、最後に届いたのは――

耳の奥に響く、あの声。




”忘れられないあなたが背負うには、重すぎる”


”だから、忘れて。「すべて」を……”


”……こんなやり方しかできなくて、ごめんなさい”




それは、確かに母の声だった。


目元を、一筋の涙が伝う。

そして、彼の意識はふっと、闇へと沈んだ。


ウィスカはヘリオスに駆け寄ると、意識を失った彼の姿をただ呆然と見つめる。


「……マジかよ……」


珍しく、その顔に焦りの色が浮かんでいた。

ここにいてはいけない。そう強く思った。


本当なら、今すぐにでもシュゼルのもとへ連れて行きたい。

だが、彼の作戦は数日がかりのはず。

今はまだ、船に戻ってはいないだろう。


それなら――

少しでも早く、“今”の彼の居場所へ。

あの船に戻らなければ。


(……この姿じゃ、高等魔法は使えねー。なら……)


ウィスカは身を屈め、ヘリオスの顔を近くで見つめたまま、ルナリアに声をかけた。


「……おい。お前は後から、そいつを連れて船に戻ってこい」

「……はい?」


“そいつ”が騎士団長を指しているのはすぐに理解できた。

だが、なぜ“後から”なのか――その意味までは、すぐには読み取れなかった。


ルナリアが不思議そうに眉をひそめた次の瞬間、ウィスカの身体がふわりと闇に包まれる。

闇が晴れたとき、そこに立っていたのは魔獣ではなくーー人間、だった。


黒いローブに身を包み、フードを深く被っているため、顔ははっきりとは見えない。

けれどその姿は、年端もいかない少女のようだった。

ただし、どこか人ならざる気配を纏っている。


「おれは、こいつを船に連れて行く。……早く休ませてやりてーんだ」


声も、口調も、確かにウィスカだった。

しかしその姿とのギャップに、ルナリアもセディも言葉を失う。


ウィスカは何の躊躇いもなく、ヘリオスの体を抱き上げた。

小柄な体に見合わぬ力で、驚くほど軽々と。


その瞬間、朝日に照らされたヘリオスの髪が、淡く金に輝くのが見えた。


「じゃ、任せたぜ」


言葉とともに、ウィスカの足元に魔法陣が展開される。


微かな光が浮かび上がり――二人を包み込む。

気がつけば、光の粒子とともに、彼らの姿は静かに消えていた。  



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