62.胸の奥に灯る熱
ルナリアは、移動しながらヘリオスに話した。
自分の体には魔獣と同じ”魔核”が入っていること。
その魔力は常に体中を巡り、傷や疲労があれば即座に癒やすこと。
体が疲れないのも、睡眠を必要としないのも、そのせいだと。
常に魔力が湧き、循環しているから、眠って回復する必要がないのだ。
そして、詳細は話さなかったが、某国のスパイをしていたこと。
任務を遂行できず、処刑が決まったこと。
その時、シオンに命を救われたこと。
だから絶対、彼女を裏切らないこと。
上手く説明できたかわからないが、ヘリオスは黙って聞いていた。
「……驚きましたか?」
この人になら話してもいいと、そう思ったけれど。
話したあと、少しだけ不安が残った。
さすがに気味悪がられただろうか。
スパイという経歴を、軽蔑されないだろうか。
しかし、ヘリオスから最初に出た言葉は、あまりにも予想外だった。
「……ルナリアは、すごく頑張ってきたんだね」
否定的な言葉は覚悟していた。
望んでいない同情の言葉をかけられるか、とも考えた。
言いづらそうに、言葉に詰まられる覚悟もした。
それなのに。
(……頑張った?私が?)
ルナリアが何と返事すべきか迷っていると、ヘリオスは微笑む。
「そんな厳しい環境で生き抜くなんて、簡単なことじゃないよ。でも、それだけ頑張ってきたルナリアだから、船長も信頼してるんじゃないかな」
過去を知らなくても、その生き方は滲み出るのだと。
ヘリオスの言葉に、ルナリアは目を逸らす。
(……この人は、何故こんなふうに言えるんだろう)
まるで、すべてを包み込むような光。
優しくて、あたたかくて、触れると溶けてしまいそうで……でも、怖くはない。
ただ、今の私には眩しすぎて。
だから目を逸らしたのかもしれない。
わからない。
頑張ったって、何だろう。
ただ、逆らうことを知らず、生きてきただけなのに。
……それでも。
今までの自分を含めて、肯定してもらえた気がして。
なぜか、目の奥が熱くなるのを感じた。
「……あなたは、やっぱり変わってます」
「そう?」
「おれもそう思う」
ルナリアにさらっと同意するように、ウィスカが言う。
え、どういう意味?とヘリオスが困惑しているのを見て、ルナリアは小さく笑った。
初めて見る表情に少し驚いたが、ヘリオスも口元を緩める。
「そういう顔してる方が、可愛いのに」
冗談でも、何でもない。あまりにも真っ直ぐな言葉に、ルナリアが固まる。
一瞬、思考が止まった。
「……あなたまで、あの変な人と同じようなことを……」
小さく呟きながら、どこか不満げな、でも耳がほんのり赤いような。
「変な人?」
「何でもありません」
先を急ぎましょう、とルナリアは前を向いて歩き出す。
胸の奥が何だかむず痒いのは、気のせいだと。
そう思いながら。
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複雑に入り組んだ通路を抜け、警戒網をすり抜け、時には無力化するしかない兵士もいた。
ルナリアの動きに一切の迷いはない。
罠の気配を読んで避け、殺さずに沈める。
何度繰り返したかも、もはや数えていなかった。
そしてようやく、目的の場所に近づいてきた。
地図通りなら、次の角を曲がればーー
ルナリアは一度立ち止まり、息を殺した。
気配を限界まで薄め、壁際に身を寄せて、そっと覗き込む。
後ろには、慎重に距離を保ったままヘリオスとウィスカが続いていた。
そこに、いた。
通路の奥。分厚い鉄格子の向こう。
灯りの少ない牢の中、背中を壁にもたせて座るひとりの男の姿。
セディ・カランテ。
姿形は、かつてルナリアが見たときと、それほど変わっていなかった。
肩にかかる髪も、鍛えられた体つきも。
ただ、少しだけ、やつれている気がした。
顔色が悪い。頬も、わずかにこけている。
こんな環境に長く置かれれば、当然かもしれない。
それでもーーその瞳だけは、濁っていなかった。
暗がりの中でも、はっきりとわかる。
まっすぐで、揺るがない、優しいあの瞳。
あの夜、剣を握った自分に微笑みかけて。
「俺はまだ死ねないんだ」と告げた、あの時と同じ。
ルナリアは目を伏せる。
あの時、暗殺しようとした負い目を。
見逃してもらった恩を。
今、清算できるかもしれない。
例え、自己満足だとしても。
彼を救いたい。その気持は確かだった。
「見張りは……一人だけ?」
その鉄格子を破ることは、よほど不可能と考えているのか。
それとも、彼が脱獄など馬鹿げたことをしないという考えからか。
彼の実力に対して、見張りが少なすぎるように感じた。
しかし、こちらにとっては好都合である。
「気絶させて鍵を奪いましょう」
「直球だなぁ……」
躊躇いなく言うルナリアに、ヘリオスが苦笑する。
もちろんそれしか無いのだが、真顔で言われると少し反応に困った。
言うが早いか、ルナリアは音もなく見張りの背後を取ると、瞬く間に意識を奪う。
何度見ても、鮮やか過ぎる手並みだった。
「これが鍵みてーだな」
倒れた見張りの懐から、ウィスカが鍵を引っ張り出す。
その鍵にも魔晶石が嵌め込まれており、厳重さを物語っていた。
魔晶石付きの鍵は見た目以上に繊細で、壊せば警報が鳴る仕様になっていると事前に聞いている。
ヘリオスは慎重に、確かな手つきで鍵を牢に近づけた。
「君たちは……?」
驚いた顔で、セディがヘリオス達を見る。
ヘリオスは解錠された扉を開けると、"時間がない”と中にいるセディに言った。
「説明は後です。今は、とにかく一緒に来てください」
「しかし俺は……」
言いかけたセディはヘリオスを見上げ、一瞬言葉を失う。
「……君は……」
小さく呟いたが、最後まで言う前に首を横に振った。
「まさか……しかし」
「時間がありません、急いで。このままでは殺されます」
淡々とした声に、セディの視線がルナリアに向く。
彼女の瞳を見た瞬間、セディの瞳が揺れた。
何かを思い出しかけたような、けれど確信には至らないような、複雑な色を帯びて。
だが今は、それ以上考えることなく静かに頷いた。
「……わかった。行こう」
「こっちです」
来てくれることにホッとしつつ、ヘリオスは早足で歩き出す。
あまりに迷いのない足取りに、セディは不思議そうに問いかけた。
「……君は、ここの道がわかるのか?」
警備兵ですら、魔道具を使わなくては目的の場所までたどり着けないはずだ。
それほど複雑な道を平然と進む彼に、疑問を持つのは当然かも知れない。
「はい。一度見ているので」
「一度……」
その単語が引っかかったのか、セディは少し考え込む。
ただし足を止めることはなかった。
「なぜ、俺を助けに来た?」
牢獄の道をしばらく歩いた頃、セディは足を止めないまま、ヘリオスに問う。
振り返ったヘリオスは、ほんの一拍だけ考えてから、まっすぐに答える。
「あなたが命令違反なんてするはずないと、確実に冤罪だろうと……僕の親友が言ってました。こんなところで殺されていいような人でもないって」
その言葉に、セディは小さく息を吐いた。
少し、だけど確かに、嬉しそうな色が表情に浮かぶ。
「……その友人のことを、信頼しているんだな」
「もちろんです。僕が一番、信頼してる人ですから」
セディはそれを聞いて、ほんの少し目を伏せたあと、考える。
その友人とやらは、脱獄の手助けなどというリスクを冒すほど、自分のことに対して確信を持っているようだ。
人伝に知っているレベルとは考えられない。
もし、目の前の彼が、思い当たる通りの人物であるとしたら……。
「……なあ。もしかして、その“親友”というのは……」
その先の言葉を飲み込んだのは、空気の変化だった。
ひゅ、と冷たい風が一筋吹き抜けたかと思えば、空気が急に重くなる。
ルナリアが反射的に周囲に目を走らせ、ウィスカも耳を立て警戒した。
通路の奥で、ぬるりと這う音がする。
見えたのは、壁に映る長く歪んだ影――。
「……来るぞ。魔物だ」
視線の先、闇の中から現れたのは、蛇の胴体に複数の腕と刃を備えた、異形の獣だった。
その魔力の気配は鋭く、殺意を帯びている。
「……あれが、”脱獄阻止用の魔物”か。噂通り、異形の姿だな」
セディが低く呟く。
次の瞬間、ルナリアの足元がふらついた。
「っ……!」
「ルナリア?」
ヘリオスが駆け寄ろうとするより早く、彼女はその場に膝をつく。
額にうっすら汗が浮かび、表情が硬い。
「……魔核が、反応して……魔力が暴れて……」
獣の放つ異質な魔力に、身体の中の魔核が共鳴しているらしい。
強制的な“融合”の記憶が、肉体を縛っているのだろう。
セディもすぐさま周囲を見渡すが、武器になるものはなかった。
さすがの彼自身も、素手では太刀打ちできない。
そうこうしている間に、魔物が襲いかかってきた。
「ここまできたら、感知も何もねーだろ!」
ウィスカは叫ぶと同時に結界を展開し、合成獣の前脚による一撃を防ぐ。
硬質な衝撃音が響き、壁の魔術具が震えた。
「ちっ。狭すぎて、攻撃魔法が撃てねー……!」
通路の幅が狭く、威力の高い魔法は味方も巻き込む恐れがある。
後退しようにも、背後からも、重い気配が迫ってきていた。
「挟まれた……!?」
行き場を失った一行を、魔物が容赦なく追い詰めていく。
ウィスカが張る結界も、時間を稼ぐだけ。長くはもたない。
どうする――そう思った、その時だった。
耳の奥に、また声が響く。
“……あなたも、いずれ目覚めるでしょう”
誰かが内側から語りかけるような、微かな囁き。
懐かしくて、優しくて……目の奥が、じんと熱くなる。
“……強くて、優しい光の力が”
かすかに灯る白い何かが、胸の奥でふわりと熱を帯びていく。
心臓が一瞬、強く脈打ったような気がした。




