59.名を与えられし器
物心ついた頃には、暗くて狭い部屋にいた。
部屋には私の他に、歳のまばらな子供が何人も、膝を抱えて座っている。
会話はない。
ただじっと、時間が過ぎるのを待っていた。
大人が来るのは、食事の時間。
小さな硬いパンが届けられる、それだけだった。
いつからだったか、部屋の外に出る時間ができた。
武器を扱う練習や、魔力操作、隠密行動、人体の急所についての指導……。
何のためにやっているのかはわからなかった。ただ、言われたことをこなすだけ。
そしてまた、あの暗い部屋に戻る。
淡々と、その繰り返し。
どれくらい月日が経った頃だろう。
時折、部屋に戻ると人数が減っていることがあった。
気づいても、誰も口にしない。
人を気にしている余裕なんて無かったから。
そんなある日、いつものように部屋から出ると、違う場所に案内された。
今日は、鍛錬は行わないらしい。
「こいつは今残ってる中で、一番魔力量が多い。操作も上達したし、そろそろだろう」
大人たちが何を言っているのかはわからなかった。
この部屋は、何だろう。
少し薄暗くて、何だか落ち着かない……。
「いいか。何があっても、魔力が流れ出ないように制御しろ」
「……?はい」
よくわからないけれど、それ以外の返事は選択肢になかった。
椅子に座らされ、目の前に何かが置かれる。
厳重そうなその箱は、何か嫌な気配がした。
「絶対に動くな。よし、巻き込まれないように離れるぞ」
大人たちは私と箱を残し、離れていく。
すると箱が静かに開きーー中から血のように赤い、結晶が宙に浮いた。
そして次の瞬間、身体から急激に魔力が失われていく。
「……っ!?」
ただただ必死に、流出する魔力を抑えた。
何が起きているかなんて、考えてる暇はない。
すべて奪われないようにするだけで、必死だった。
どれくらいそうしていただろうか。
不意に、頭の中に声が響く。
"……気に入った”
何を言われたのかわからなかった。
しかし、魔力の流出は止まった。
僅かな安堵とともに呼吸を整えようとした、次の瞬間。
結晶が怪しく光り、私の身体を包み込んだ。
今度は、体中を異常な量の魔力が駆け巡る。
喉を裂くような声が出たはずなのに、何も聞こえない。
全身が引き裂かれるような痛みに、何度も意識が遠のきそうになる。
そのとき――
視界から、不意に光が消えた。
結晶もなくなっている。
頭の奥が、割れそうに痛い。
「おい、生きてるぞ……!」
大人の声がした。
驚きと歓喜に満ちた声で、近づいてくる。
「今すぐ魔力値を測定しろ!精神鑑定も必ず行え」
「はい!」
声はすぐ近くから聞こえているはずなのに、まるで水の底から届くかのようだった。
思考に靄がかかったみたいで、何も考えられない。
そして気がつけば、意識を失っていた。
ーーーーーーーーーーーーーー
目を覚ました時、最初に感じたのは、"暗くない”ということだった。
天井には小さな照明がついていて、ぼんやりとした明かりが部屋を照らしている。
(……ここ、どこ)
狭い部屋ではあるけれど、床は乾いていて、寝ていたのは硬い板ではなく、薄い布団の敷かれたベッドだった。
ずっといたあの部屋とは、少しだけ違っていた。
ゆっくりと体を起こすと、胸のあたりが妙に熱い。
思わず手を当てた。
自分の鼓動の他に、何か別のものがいるような、そんな気配がする。
「……」
そこから、魔力が絶え間なくあふれていた。
血液のように、全身を巡っては戻り、また流れ続けている。
今までとは、まったく違う感覚だった。
自分の体が、自分のものじゃないような気さえする。
だけど、痛くも苦しくもない。
ただ、熱くて、妙に静かだった。
――よくわからない。
そう思った時、扉が開く。
「やっと起きたか。こっちへ来い」
見覚えのある大人が、有無を言わさない様子で促してくる。
黙ってついていくと、白い部屋に案内された。
壁には魔力測定装置が並び、見たことのない魔道具も置かれている。
私は椅子に座らされ、目の前に立つ男が言った。
「お前のコードネームは“ミレナ”だ。覚えろ」
意味はわからなかった。
名前というものが何を表すのかも、よく知らない。
ただ、「覚えろ」と言われたから、頭の中に入れた。
(ミレナ。……そう呼ばれたら、返事をすればいい)
そう思っただけだった。
それから、またいくつかの検査が始まった。
身体能力の確認。魔力の制御。魔術への反応。
いつもの鍛錬より、少しだけ丁寧で、少しだけ熱心だった。
そして何の前触れもなく、近くに控えていた大人が、私を斬りつける。
「……っ」
避ける間もなかった。
肩口に鋭い痛みが走り、何が起きたのかわからないまま倒れ込む。
けれど、その傷は一瞬で塞がった。
「……おい、見たか……?すげぇな、こいつ……」
「ハハッ、やっぱり成功してたか……面白い……面白いぞ……!」
気がつけば、大人たちは笑っていた。
それは、心の底から楽しんでいるような声だった。
体中を調べられても、痛めつけられても。
狂ったように笑う大人たちを前にしても、私は何も感じなかった。
……感じていない、はずだった。
けれど、胸の奥が少しだけざわつく。
それが何の感情なのか、私にはわからない。
――それが「怖いこと」だと、私は知らなかった。
だから、ただ"そういうもの”なのだと、黙って受け入れる。
それでも、自分の中の何かが、静かにずれていくのを感じていた。
「感覚も鋭い。スパイの素材として申し分ないだろう。もう少し鍛錬を積んだら、陛下に献上するぞ」
「きっとお喜びになられる」
どこか人ごとのように、その言葉を聞く。
理解はできない。
けれど、自分が“誰かの為の道具”になるのだということだけは、何となく理解していた。
その時ふと、一つの違和感に気づく。
あれだけのことをしたのにーーまったく、疲れていない。
傷と同じように、体力も、戻っていた。
痛みも、息切れも、何も残っていない。
(……変だな)
そう思いながら、自分の手を見つめる。
この手は、本当に自分のものなのだろうかとーー
わずかな違和感が、問いとなって残った。
もうしばらく、ルナリアの過去編が続きます




