58.癒えても、痛みは
「ルナリア、血が……っ」
ヘリオスが絞り出すように声を出す。
しかしルナリアは一度身を少し揺らしたあと、倒れることなく姿勢を戻した。
あまりに平然と立つ後ろ姿に、ヘリオスは不思議そうに再度声を掛ける。
「……えっと……」
「ご心配なく。問題ありません」
振り返ったルナリアの服は切り裂かれ、そこには血がついていた。
だが、その身体にはーー傷が、全くない。
服も床も血まみれなのに、何故か本人に傷はなかった。
驚いて声が出ないヘリオスに、ルナリアは言う。
「私の身体は、すぐ治ります。傷も、体力も、常に回復しているんです。だから傷つくことも……疲れることも、ありません」
少し俯きながら言うルナリアは、いつも通り淡々としていた。
ただ、表情は見えない。
けれど、その様子に気を留める前に、ヘリオスは自分の上着を差し出していた。
「は?」
「うん、とりあえず!これ着てて!」
今の斬撃で、胸元から下の部分が大きく裂けている。
ルナリア本人は微塵も気にしていなかったが、ヘリオスが必死に差し出してくるのでとりあえず受け取った。
「それから、傷つかないって言ったけど。治るってだけで、怪我した瞬間は痛いよね?だったら無茶したら駄目だよ」
上着を羽織ったルナリアに、ヘリオスは心配そうな顔で言う。
気味悪がるわけでも、理由を問いただすわけでもなく、ただ本気で彼女を気遣っているのが伝わってきた。
「船長だって、君が痛い思いするのは嫌だろうし」
「……はい」
想像がついたのか、ルナリアは小さく頷く。
いつだって「疲れない」と言っても、「休め」と諭してきたシオンのことだ。
治るから傷ついていいなんて、思っていないだろう。
それにシオンを引き合いに出されたら、頷かないわけにはいかなかった。
「……あなたは、気味が悪くないんですか?」
ルナリアが呟くと、ヘリオスは首をかしげる。
「すごいなとは思ったけど、気味悪くはないかな。人ってそれぞれ色んな能力があるみたいだし……」
“そんなことまで覚えてるなんて、気味が悪い”
言いかけたところでまた、耳の奥から声がした。
ヘリオスの表情が固まる。
言われたことがある、気がする。
確かに、誰かに。
しかしそれが誰なのか考える間もなく、また別の声が聞こえた。
今度は、目の前から。
「どうした?」
「……いや、何でもない。空耳かな」
ウィスカの問いかけに、首を横に振って答える。
今の声は、ここに入った時に聞いたものとは――違う人のもののようだった。
何だろう。今までも、何度か声が聞こえたことはある。
けれど今回の声には、はっきりと悪意が込められていた気がした。
そのせいか、少し胸が痛んだ。
「とにかく、気にすることないよ」
気を取り直し、ルナリアに向き直って言うと、彼女は小さく頷いた。
(この船に乗る人は、変な人が多い……)
あれほど気味悪がられたこの体質を、誰も気に留めないなんて。
ルナリアがそんな事を考えていると、ウィスカがルナリアの傍に寄り、小さな声で呟く。
「……お前、もしかして……」
ウィスカは、それ以上言わなかった。
ただ、彼女と同じ金色の瞳が、視線だけで伝えている。
ーーああ。気づいたんだ、この子は。
もしかしたら、前からわかっていたのかもしれない。
確信したのが、今なだけで。
俯いたままのルナリアに、ウィスカはため息をついた。
「まあ、何だってヘリオスは気にしねーよ。言いたくなきゃ言わなくていいしな」
ウィスカのしれっとした言葉に、ルナリアは一度固まったあと、無意識に口元が少し緩む。
しかしすぐに元の表情に戻ると、淡々と言った。
「……ところで、あなたさっき、結界魔法を使おうとしましたよね?魔力感知が働いてるんですから、気をつけてください」
「ヘリオスが危なかったんだから、仕方ねーだろ」
「そのための護衛が私です」
ヘリオスは二人のやりとりを聞きながら、苦笑した。
自分が罠を踏んだせいで言い合いになっていることが、なんとも居心地が悪い。
ヘリオスが困っていることに気づき、ルナリアは「先を急ぎましょう」と言って歩き出す。
そう、時間には限りがあるのだ。
そして更に奥へと進んでいく中で、ふとルナリアが口を開いた。
「……ヘリオスさん」
「何?」
「聞いていただきたい、ことがあります」
あくまで足を止めないまま、ルナリアは言う。
ヘリオスは頷くと、彼女の言葉を待った。
「私がなぜ、疲れないのか。傷が治るのか……。あなたには、話しておきたいです」
どうしてこんな気持ちになったのかはわからない。
シオンにすら話したことがない、自分自身のこと。
なぜか、この人にだけは聞いてほしかった。
彼の中に、言葉にできないーー暖かい光を、感じたからだろうか。
次回はルナリアの過去編をお届けします。




