6.少年航海士の意外な能力
強めの風に煽られながら、見張り台へ上がっていく。
たどり着いた瞬間、一際強い風が吹いて思わず腕で顔をかばい、目を閉じた。
風が弱まった頃にそっと目を開けると、そこに広がる光景に驚く。
甲板から見るのとは違う、遥か遠くまで見渡せる広い海。
水平線が陽の光に照らされて、一直線に輝いているようだった。
「きれいだなぁ……こんなにも広い世界があるなんて」
木々に遮られない広い空も、どこまでも続く青い海も、すべてが初めて見るものだ。
感動のあまり身を乗り出すヘリオスを案ずるシュゼルと、柵の外でパタパタと羽を動かして飛んでいるウィスカ。
「ヘリオス、あまり乗り出すと危ない」
「あ、ごめん、つい。……本当に、すごいから」
他に言葉がないと言わんばかりに、「すごい」と言うヘリオス。
森の景色しか知らなかった彼にとって、あまりに衝撃的だったのだろう。
あの森での生活が、嫌いだったわけではない。
むしろ穏やかで好きだった。
それでも、この広い世界を見てしまったら、感動と興奮を抑えることは出来なかった。
(ヘリオスのこんな顔、いつ以来だろうか……)
幼い頃から共に過ごしてきたシュゼルは、そう思って苦笑する。
海に出た選択が本当に正しかったのか、それは今もわからない。
しかしやはり、ヘリオスは狭い世界に閉じ込めておくべき人ではない。
危険な目に遭わせたくはない、でももっと様々なものを見てほしい。
相反する心に、揺れていた。
「っとと……」
「ウィスカ、危ない」
高いところは風が強いからか、煽られかけたウィスカをヘリオスが支えてそのまま腕に収める。
シュゼルはその光景を、小さく微笑んで眺めた。
なるようになれ、なんて無責任なことは言えない。
それでも、ヘリオスが楽しく過ごしてくれているなら、今はこのままでいいかと思った。
「……あれ?何だろ、向こうの方に……」
何かに気づいたように、ヘリオスはある一点を見つめて呟いた。
日光を避けるように手を額に当て、目を細めて水平線を凝視した。
「……海岸??」
「確かに、岸が見えるな」
微かにではあるが、海とは違う何かがうっすら見えてきている。
もしかしたら、そこがこの船の、次の目的地なのかもしれない。
ヘリオスたちは見張り台から降りると、舵輪近くにいたレイジに声を掛ける。
「あ、ヘリオスさん。どうしました?」
「レイジ、向こうの方に海岸みたいのが見えたんだけど、もしかして目的地?」
「えっ、マジっすか!?」
レイジは驚いて船の先端に向かうと、望遠鏡を覗き込んだ。
そして、急いでノートを開くと手をかざしたり周囲を見渡しながら何かを書き込んでいる。
「そっか、追い風が強いから予想以上に進行が早い……この湿度と気温、雲の動きからして天気が大きく崩れる心配はなさそうだから……あと波の感じはこのあと……」
ひとりごとのように分析を繰り返しながらペンを走らせるレイジを、ヘリオスは後ろから覗き込む。
ノートには走り書きで平均速力・航行距離、気象・海象データなどが書き込まれていた。
それにしても、素早く気温などを書き込んでる割に、手元に温湿度計などは見当たらない。
「ふう、こんなもんかな。船長にも報告しないと」
「……このデータは、どうやって測っているんだ?」
シュゼルも疑問に思ったらしく、ポツリと口にする。
はじめてシュゼルに話しかけられたレイジは、焦ったように彼を見た。
別にシュゼルは威圧しているつもりはないが、圧倒的な美貌と淡々とした態度のせいで、相手を緊張させてしまうことがよくある。
「あ、その、オレって肌の感覚が鋭いらしくて……温度とか湿度とか、風速やそこに含まれる潮の具合とか……そういうの、わかるんです」
「え、感覚だけで!?」
大した事ないように語るレイジだが、ヘリオスは衝撃を受けたように言った。
少なくとも自分には、そんな事わからない。
そんな風に、誰かのために役立てられる能力なんて……ない。
森にいた頃、シュゼルに頼りきりだった自分より、よほど立派だ。
そんなやり取りの中、見張り台の近くに掛けられていた温湿度計を見に行ったウィスカは眉間にシワを寄せる。
「……合ってんな」
まるで信じきれずに目を細めたウィスカに、レイジは狼狽えながら言った。
「いやでも、オレって体力も頭も全然で……弱いし。できることって言ったら天気読むくらいしか……」
「船長は、君に強さを望んでいるのか?」
珍しく、シュゼルがよく喋る。
そしてその問いかけに、レイジが動きを止めて小さく答えた。
「……望まれて、ないです。でもそれは、オレが戦っても足手まといになるからで……」
「考え方が根本から違うのだろう。何でもできる人間などいない。苦手は人に任せればいい。君は航海術に長けた能力があるから、必要とされている。それだけだ」
それを聞いて、レイジの顔が赤くなる。
次の瞬間、深々と礼をすると、「ありがとうございます!」と叫んだ。
「実は、ずっと不安だったんです。ルナリアは船の仕事を一通りこなせるし、カルロさんはめちゃくちゃ強いし、ベルナルドさんはすげぇ頭いいしかっこいいし……でも、オレはオレのできる事をしていればいいんですね」
「それで十分だろう。他人が持たない能力は才能だ。自信を持った方がいい」
「はい!」
じゃあ、進行状況を船長に報告に行ってきます!と言って、レイジは笑顔で走っていった。
手を振り返し、その背を見送ったあと、ヘリオスはシュゼルを見た。
「やっぱりシュゼルは優しいな」
「……優しさで言ったわけではない。卑屈な態度が気になっただけだ」
「お前がヘリオス以外を気にかけるの、初めて見たけどな」
ぼそっと言ったウィスカを一瞥し、そしてヘリオスに視線を移す。
きょとんとしたヘリオスの表情に、シュゼルは苦笑気味に微笑んだ。
「優しいのは……いつだって君だ」
「???」
(あれは、私の言葉ではない。私が……はじめて、「私」になれた言葉だ。
私を何も否定せず、ただ笑ってくれた君が、あの時のすべてだった)
かつての君が、くれた。
でも知らなくていい、記憶の底に沈んだままでも構わない。
私だけの、思い出でいいんだ。
不思議そうに見つめてくるヘリオスに、話題を変えるようにシュゼルは言った。
「結局、あの海岸が目的地なのかどうかはわからなかったな。船長に確認してみよう」
「あ、そういえばそうだった」
レイジの能力がすごすぎて、すっかり質問の内容を忘れていた。
普段は談話室か見張り台にいることが多いと言っていたから、おそらく談話室に行けば会えるだろう。
そう考えて、ヘリオスたちは談話室に向かうことにした。
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談話室に入ると、そこにはシオンとレイジがいた。
ノートを手に持ち目を通すシオンに、レイジが説明をしているようだった。
「これなら、明日の昼前には着けそうね。余裕があってよかったわ」
「はい。それから、停泊する場所は……」
そこまで言ったところで、入ってきたヘリオスたちにレイジが気づく。
シオンも続けて視線を入口に向け、入っていいものかと悩んでいたヘリオスに声を掛ける。
「別に、遠慮せず入ってきていいわよ。個室じゃないんだから」
「あ、うん。わかった」
話の邪魔をしてしまいそうで心配だったが、特に気にしていないようで安心した。
ヘリオスはシオンたちに近づくと、気になっていたことを聞くことにする。
「もしかして、もうすぐどこかの町につくのかな?」
「ええそうよ。あまり大きな町ではないけど、ーーちょっと、話を聞きたい人がいてね」
シオンはそれ以上は言わなかった。
あまり細かく聞くべきではないだろうと、ヘリオスが言葉に詰まっていると、シュゼルが言う。
「生活用品を揃えに、私たちも町に降りたいのだが。いいだろうか」
そうだった……とヘリオスは思う。
あの夜、着ていた服と腰につけていたナイフ以外はすべて置いてきてしまった。
今朝も、着替えがないことを気にかけていたばかりだというのに、印象的な出来事が多くて失念していたのである。
「好きにしなさい。でも、私の出航タイミングに遅れたら置いてくわよ?」
「時間を教えてもらえれば、その前には戻る」
「正確には決めてないけど、大体降りてから4時間くらいかしら」
シオンとシュゼルが話している間、何気なく談話室の本棚にヘリオスの目が向く。
地図や歴史書、魔術書、更に絵本のようなものに加えて、下の段にはノートが何冊も並んでいた。
「このノートって……」
「ああ、オレが書いた航海日誌です。最初の方はシオンさんにだいぶ手直しされてますけど、最近は一人で書けるようになったんですよ」
嬉しそうに語るレイジに、何だかほっこりする。
シュゼルとの会話を終えたシオンも、微笑ましそうにレイジを見ているのが視界の端に移った。
どうやらルナリアだけでなく、レイジも彼女のお気に入りのようだ。
「見てもいい?」
「もちろんです」
許可をもらって、パラパラとページを捲る。
たしかに最初の方のノートは、違う字の書き込みが多かった。
これがシオンの字なのだろう。
日付とともに緯度・経度で表す現在地や平均速力、航行距離、気象や海象データなど書かれていて、さらには海図のあるページもあった。
かなりしっかり書き込まれている。
見ていたノートを棚に戻し、他のノートの日付を見ていると、ここ数ヶ月の日付が書かれたノートがないことに気付いた。
「最近のノートがないみたいだけど……」
「ああ、なんかベルナルドさんが貸してほしいって言って、持っていきました」
「は?あいつ海のデータに興味なんてあったの??」
二人の会話に割って入るように、シオンがわずかに眉をひそめながら言う。
ベルナルドと航海日誌のイメージが結びつかないようだ。
「確認したいことがある、とだけ言ってましたけど。読み終わったら戻しておくって……あれ、なにか不味かったですか?」
貸してはいけなかったのかと、不安そうにレイジが聞く。
しかしシオンは「別に」と首を振って答えた。
「見られて困るものじゃないし、この部屋にあるものは閲覧自由だから構わないわ。ただ、意外だっただけ」
どうやら本当に、ただ疑問に思っただけらしい。
怒られたわけじゃないことに、レイジがほっと胸を撫で下ろす。
「さてと、まだ時間もあるし。調べ物でもしようかしら」
「ねえ、船長。この本、ちょっと部屋で読んでもいい?」
伸びをしながら立ち上がったシオンに、本棚を指さしながらヘリオスが問いかけた。
「いいわよ、あとで戻してくれれば。本、好きなの?」
「うん、色んな世界が見れて楽しいから」
森で暮らしていたヘリオスにとって、家にあった本の知識とシュゼルの話だけが世界だったのだろう。
目を輝かせながら本を選ぶと、ヘリオスはシオンにお礼を言ってシュゼルたちと部屋に戻った。
本が読めるのも楽しみだが、それと同時に、もうすぐ新しい町に着くということにも心を踊らせている。
初めての寄港地。
未知の街に、何があるのか。今からワクワクしていた。
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