55.沈黙の檻の向こう
暗闇の中を、ひたすら進む。
次々と現れる追手は、声を上げる暇すらなく沈んでいった。
ノクスの魔術は相変わらず静かで、残酷なほど正確だ。
放たれる魔力には爆発音も閃光もない。
僅かな魔光とともに、空気がわずかに震え、そして――終わる。
視界の悪く、狭い空間にも関わらず、一発も無駄にしない。
分かれ道に差し掛かるたび、レイジが感覚を頼りに進む先を指し示した。
風の向き、湿度の違い、肌に触れる冷気の密度。
「多分、あっちです」
そう言って指さすたびに、ノクスは一言も否定せず、その方向へと足を運んでいく。
それらすべてが、いつの間にか「当たり前」になっていた。
(……どれくらい進んだんだろう)
何度目かの階段を降りながら、レイジはふとそんなことを思った。
足音の代わりに、沈黙だけが響いている。
まるで、自分たちだけがこの地下に取り残されたような感覚さえあった。
その時、ピリッとした空気を感じてレイジが体を強張らせる。
一気に血の気が引いたような感覚に陥った。
「……おい、どうした」
その気配を感じたのか、ノクスがレイジを振り返って聞く。
レイジは少し考えたあと、小さな声で言った。
「昔……故郷で、変な魔物に遭ったことがあって。その時の感覚と、似てる気がします」
無意識に、前髪の上から傷を押さえながら。
「変な魔物、だと?」
「信じてもらえるか分かりませんけど。一見ウルフ型なのに、大きな角とか、変な色の足とか……なんか、いろんな魔物をくっつけたような姿だったというか」
説明されるその特徴に、ノクスが反応する。
……カグルの街で聞いた、奇妙な魔物と同じ。
そして、そこはレイジの故郷だ。
ーーもし、それとレイジが接触していたなら。
この先に、"それ”に準ずる"何か”がいるのかもしれない。
「……用心しておくか」
そう呟くと、足を先へと進める。
足元に仕掛けられていた罠が、気づけばいつの間にか途絶えていた。
壁の裂け目から襲ってきた飛び道具も、突然開く落とし穴も、もう現れない。
そして、さっきまで時折現れていた追手――戦闘に長けた者たちの姿も、途絶えていた。
用心棒か、あるいは雇われの暗殺者か。
はっきりとした正体はわからないが、倒してきた人数からして、拠点にしては守りが薄い気がする。
「……妙に静かですね」
レイジがぽつりと呟くと、ノクスも低く唸るように言った。
「全部片付けたにしちゃ、数が少ねぇな」
警戒を強めながら進んでいくと、やがてノクスの足が止まる。
「……見えた」
ノクスの呟きに、レイジは首を傾げる。
彼には何も見えていない。
「何が見えたんですか?」
ノクスは答えず、右手を顔の近くまで上げると、指先に淡い魔力を集めた。
追手がいないのなら、闇に紛れる必要はない。
その魔力が灯りとなって周囲を照らすと、通路の奥――確かにそこに、重厚な鉄の扉が浮かび上がった。
「……扉?」
思わず声を漏らすレイジの頬に、自分でも気づかぬうちに冷や汗が伝う。
奥から感じる空気が、異様だったのだ。
ノクスは手をかざして扉を探り、すぐに眉をひそめた。
「……ちっ、面倒くせぇ。何重も鍵がかかってやがる」
魔術式の封印だ、と付け加える。
「解除……できるんですか?」
「時間をかければな」
不安そうに聞くレイジに、短く答えたノクス。
しかし、間を開けず軽く息を吐いた。
「……だが、そんな暇はねぇ。ぶっ壊すか」
「ええ!?」
思わず大きな声を上げるレイジに、ノクスは片眉を上げた。
「おい、勘違いすんな。壊すのは“術式”だ」
つまり、術式を順に解除するのではなく、魔力の流れごと力づくで壊すということだ。
反動が大きいため、普通なら避ける手段だが――ノクスの魔力量なら耐えられる。
今は、とにかく時間をかけたくなかった。
ノクスが扉に手を当て、魔力を流し込む。
次の瞬間、扉の表面にいくつもの魔法陣が浮かび上がり、それらがどんどん歪み、崩れていった。
火花のように散った魔力の欠片が、扉のまわりにちらつく。
「っ、これで開くぞ」
わずかに顔をしかめながらも、ノクスは扉に手をかける。
音を立てないよう、静かに開いたその先には、人の気配はなかった。
“人”の、気配は。
部屋の中に、一歩踏み入れた瞬間。
レイジの背筋が、ぞわりと逆立つ。
(……なんだ、これ)
説明のつかない恐怖が全身を締め付け、背筋が凍った。
目に見える何かがあるわけではない。だが空気が違う。
ここは“入ってはいけない”場所だ――そう、身体が叫んでいた。
ノクスは後ろに続くレイジの顔色を見てはいないが、その足取りに滲む硬さと気配で、異変には気づいていた。
だが彼はあえて何も言わず、静かに周囲を見渡す。
大型の檻が、部屋一面にぎっしりと並んでいる。
殆どが空だったが、その中にも毛や餌の食べ残しのようなものが散らばっていた。
これは最近まで、何か生き物が入っていたことを示している。
「……移動させたか?」
侵入者の気配を察して……と、ノクスが低く呟く。
だがこの数を、しかも予想が正しければ“異形の魔物”たちを。
……突発的に移動できる場所なんて、そう簡単に確保できるはずがない。
ということは、元々“移動の計画”があったということだ。
その推測を裏付けるように、僅かに残された個体はどれも“使い物にならない”であろうものばかりだった。
足の位置が逆についているもの、背骨が二重に曲がっているもの、目が口の中にあるもの……
明らかに「失敗作」だとわかるものたち。
そして、その中のひとつ。
人型――だが、あきらかに“人間”ではない、何か。
膝の関節が逆に折れ、指が八本ある異形の存在。
それが、獣のように丸まって、息をしているのを見たとき。
ノクスでさえ、一瞬、吐き気のような感覚に襲われた。
「……悪趣味なことしやがる」
魔物の合成、異形化、実験。
誰が、何のために。
そんな問いが浮かぶより早く、ノクスの視線が部屋の奥へと向いた。
檻は、ここで途切れている。だが、道が続いていた。
空気の質がまた、少し変わる。
どこか、密室のような重さを感じる。
ノクスは何も言わず、そちらへ足を向けた。
部屋の奥、扉の先に広がっていたのは、書架と資料棚が並ぶ散らかった小部屋。
資料室のような場所だった。
「ここで、何か掴めるか……?」
呟きながら、ノクスは棚のひとつに手を伸ばした。




