51.交差する舞踏会
優雅な旋律が、舞踏会の空間に満ちていた。
美しく舞うドレス、交差する足音。
きらびやかな笑顔の応酬が、夜の空間を彩っていた。
その中心に立つのは、並び立つシュゼルとシオン。
まるで絵画のようなその光景に、自然と注目が集まっていた。
優雅な身のこなし。無駄のない所作。
何よりも“絵になる”美貌の二人。
(……はあ。ほんと、お似合いすぎて嫌になる)
会場の隅、壁際に立つベルナルドは、グラスを傾けながらその様子を眺めていた。
表情には何の変化もない。
普段通り、控えめに微笑み、周囲と軽く言葉を交わしながら場に溶け込んでいる。
けれど、グラスの向こうで視線は確かに揺れていた。
(まあ、わかってるよ。全部……ただの作戦だって)
しかも、自分が決めた配役だ。
似合うように仕立て上げたのは、自分自身。
なのに。
気づけば、あの並ぶ姿に、胸の奥がざらついていた。
(……昨日から、格好悪すぎ……)
呆れ混じりに思いながら、何も表には出さない。
出すつもりもない。
その時だった。
ふと、シオンに向けられる一筋の視線に気づいた。
それは欲望でも、品定めでもない。
もっと冷えた、もっと深いところから向けられる“探るような”目。
(……また、か)
昨日彼女が緊張していたのは、おそらくこの視線だ。
今日は舞踏会。
相手が動くなら、そろそろだろう。
ベルナルドは手にしたグラスを控えの侍女に返すと、静かにカルロに近づいて耳打ちした。
「……あの男から、目を離さないでね。動きがあったら押さえといて」
カルロはわずかに頷くだけで答える。
ベルナルドはそれを確認すると、会場を離れた。
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足音を殺して屋敷内を進む。
廊下の奥、昨日見つけた隠し扉の前へと辿り着いた。
薄く息を吐き、手のひらにカードを一枚取り出す。
「……一回分、無駄にしたくないんだけどねぇ」
指先に力を込めると、カードはいつも通り静かに燃え尽き、淡い光が周囲に広がる。
気配をぼやけさせる“隠蔽”の術式――作るのに骨が折れるぶん、使いどころは選びたいところだが。
今日は、惜しむ場面じゃない。
扉を静かに開け、通路に足を踏み入れる。
昨日は途中で切り上げたルート。
今日はその先へと進む。
扉の奥には、用途不明な部屋が並んでいた。
警備もされていないが、そこは明らかに“意図的に隠された空間”だった。
いくつかの扉を確認しながら進み、最奥でようやく資料室に辿り着く。
中には帳簿や契約書、研究関係の支援記録らしきものが整然と並べられていた。
(……あった)
ざっと目を通しながら、ベルナルドは眉をわずかに上げた。
珍しい商人を介した資金のやり取り、回収対象の名目……
表向きは文化財研究や遺物保存、学術的な名目がつけられている。
だが、実際に何を研究していたのか――
核心部分の情報は、ここにはなかった。
(……侯爵ですら、知らない可能性があるな)
そして、奥の引き出しから見つけた一通の文書。
そこには、とある他国の名と並んで、こう記されていた。
【一定の協力の継続を条件として、我が国の特別な地位と居住権を保証する】
表現は婉曲だが、要は――
「このまま支援を続ければ、その国の“中枢”に迎える」と言っているようなもの。
(……思ったより、話大きくない?)
目を細め、契約書をもう一度見つめる。
この屋敷の中だけで収まる話でないのは明白だった。
それでも、胸の奥に後悔の気配は微塵もない。
むしろ、火種を見つけた興奮が心に宿る。
「……やばい件に足突っ込んだかも」
そっと言葉を漏らしながら、ベルナルドは契約書と数枚の関連書類を慎重に懐へと収めた。
唇には、ほんの僅かに笑みが戻っていた。
(……“あいつ”に、頼んでおくか)
厳つい顔と、変わらぬ口調を思い出す。
これを見たら、呆れ顔で舌打ちのひとつでもすることだろう。
小さな羊皮紙を取り出し、手短に要件だけを書き記していく。
その筆跡に迷いはなかった。
ベルナルドは静かにカードを一枚取り出し、それと一緒に羊皮紙を燃やす。
炎に包まれていく紙片を見届けながら、ぼそりと笑みを混じらせた。
「……頼むぜ、オッサン」
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ダンスのひとときが終わると、シオンはさりげなく人波を抜け、会場の隅へと身を引いた。
壁際の装飾の影に紛れながら、肩を落とさぬ程度に深呼吸をひとつ。
落ち着こうとしても、胸の奥のざわめきはそう簡単には静まらなかった。
その原因は――視線の先、舞踏会の中央にいた。
シオンと踊ったあと、シュゼルのもとには次々と貴婦人たちが現れた。
最初の一人が声をかけたのを皮切りに、遠巻きにしていた令嬢たちも次第に足を向けはじめ、
気づけば彼の周囲には小さな列ができている。
(……何なのよ、あれ)
もちろん、理由はわかっている。
あの完璧な立ち振る舞いと、群を抜く容姿。
口を開けば知性と礼節があり、紳士的な気配りすらにじむ。
“既婚者”という設定があっても、お近づきになりたいと思うのは自然なことだった。
実際、彼自身もこう言っていた。
“もし誘われたら、踊る流れで話を聞こうと思う”
(……“もし”じゃないでしょ)
目の前の現実が、それを物語っていた。
だが驚くべきはその後だった。
どんなに多く誘われようと、彼は決して一人ひとりを雑に扱わなかった。
丁寧に、距離感を誤らず、相手を立てつつも決して深入りはせず――それでいて誰からも恨まれない。
言葉が聞こえなくても、その場の空気が雄弁だった。
舞踏を終えた女性たちは皆、満足げに微笑みを浮かべ、その場を離れていく。
不満も嫉妬も、争いもない。
(……どういう育ち方をしたら、ああなれるのよ)
考えないようにしていたはずだった。
“何者なのか”という問いに、もう踏み込むつもりはなかった。
けれど、それでも――どうしても気になってしまう。
そのとき、不意に会場内の空気に、かすかな乱れを感じた。
(……あれ?)
自然と視線がめぐる。
どこかにいるはずの人物が、いない。
(ベルは、途中で抜けるって言ってたけど……)
舞踏会中に屋敷の調査をする。そう言っていた。
だから、彼がいないのは想定内だ。
だが。
(……カルロも、いない?)
シオンの瞳に、不安が灯った。
彼は、決して目立つ存在ではない。
それでも常に、守るべきものの近くにいる人物だった。
“あの人”がそこにいないというだけで、世界の重心が少し傾いたような気がした。
(まさか、何かあったの……?)
胸の奥に、かすかなざらつきが広がっていく。
姿勢や表情を崩さないように意識しながら、軽く胸を押さえる。
その数分後。
会場の隅に立つシオンの視界に、黒髪の大きな背が現れた。
(……カルロ?)
カルロは静かな足取りでホールの片隅に戻ってきたところだった。
彼女に気づくと、短く顎を引いて挨拶代わりの視線を送ってくる。
それだけで、胸の奥に溜まっていた緊張が少しだけ和らいだ。
何事もなさそうなその姿に、たまたま少し外していただけかもしれないと思う。
けれど、舞踏会も終わりに近づいてきた頃。
ひと通りホールを見渡しても、まだ銀髪の姿は見当たらない。
あれからかなりの時間が経っている。
確かに「調査に行く」とは言っていたが、それにしても遅い。
戻ってくる気がないのかもしれないが、どうしても気になってしまう。
(……あいつのことだから、大丈夫でしょうけど……)
それでも、話しかけてくる貴族たちに何とか対応しながら、時間だけが過ぎていく。
今はシュゼルが隣にいないから、自分だけで何とか対応するしかない。
内心に焦りを帯びつつも一通りの対応を終えたその時、静かにフェードアウトするように音楽が終わる。
それと同時に、主催者の一言とともに舞踏会の閉会が告げられた。
(……結局、戻ってこなかったわね)
挨拶の名残とともに、少しずつホールを離れていく貴族を見ながら、シオンは思った。
足音と笑い声の中にいても、拭えない違和感が残り続ける。
「大丈夫か?」
ふいに、落ち着いた声が耳に届く。
顔を上げると、そこにはシュゼルの姿があった。
あれほどダンスを踊り、貴婦人の対応をしてきたとは思えないほど平然と立つ姿は、言いようのない安心感を覚える。
息の一つさえ乱してないのは、少し恐ろしささえあった。
「……大丈夫。少しだけ、疲れただけ」
力のない笑顔だったのかもしれない。
フォローに戻れなかったことを気にしているのか、彼が少し申し訳無さそうにしているのがわかった。
あれだけ囲まれていたのだから、仕方がない。
それに彼には、女性たちから話を聞くという役目もあったのだ。
(ヘリオス以外のことも気にかけるのね……って、さすがに失礼か)
無関心そうに見えて、ちゃんと周りを見ている。
……こんな機会でもなければ、気づかなかったかもしれない。
「ひとまず戻ろう。足の調子も良くなさそうだ」
「……何でわかったの?」
「動きを見ていればわかる」
それが剣士としての観察眼なのか、ただの気遣いなのか。
理由はどうあれ、当たり前のように差し伸べられた手を、今は借りておくことにした。
夫婦役なのだから。
そう思えば、不自然ではない……はずだ。
※舞踏会が終わり、部屋に戻るまでの間。
真顔すぎる彼と、ツッコミ役の船長によるやりとりが展開されていたようです。
小ネタとして、よろしければご覧ください。
シュゼル「歩くのが辛ければ抱えていくことも可能だが……目立ちすぎるので、やめるべきか」
シオン「……真顔で言わないで。冗談に聞こえない」
シュゼル「冗談?」
シオン「言わないわね、あんたは。……ありがと、歩けるから大丈夫よ」
シュゼル「そうか」
下心とか一切ない、ただの心配。




