49.演者のいる食卓
夜の宴は、昼間とはまた違った種類の緊張を帯びていた。
煌びやかな照明に照らされた広間の中央には、白いクロスがかけられた長い晩餐用のテーブルが置かれ、銀の燭台と彩り豊かな料理がずらりと並んでいる。
その周囲を囲むのは、この都市でも特に影響力を持つとされる有力貴族たちだった。
グラスを傾けながら交わされる会話は、表向きこそ和やかで礼儀正しい。
だが、笑顔の奥には、見えない探針が幾重にも隠れているようだった。
(腹の探り合い……すごいわね)
ひとつ質問を受ければ、三つの意図があるような感覚。
会話の端々に、慎重さと牽制が張り巡らされていた。
だが、その中でただ一人、涼やかに立ち回っている人物がいた。
シュゼルだ。
どんな問いにも過不足ない返答を返し、挑発めいた言葉にも一切の無駄なく受け流していく。
名所や名産、貴族社会の傾向や近年の都市の情勢ーー
それらすべてを事前に頭に入れていたらしい彼は、どの話題にも即座に対応し、時に軽く笑いすら取ってみせた。
(……演技指導、受けてないのよね、この人。自然すぎて怖いんだけど)
完璧な立ち振舞い。
目線の配り方、笑みの崩し方、言葉の緩急。
それは作られたものではなく、あくまで“素の上品さ”としてそこにあった。
正直、この場での主導権は完全に彼にある。
シオン自身も何とか場を繋ごうと会話を続けてはいたが、時折言葉に詰まりそうになった。
その都度、さりげなく入れてくれるフォローも的確で、肩の力を抜く瞬間すら用意されている。
(適材適所って、こういうことを言うのね。他の人にできる気がしないわ)
それでも、シオンは落ち着くことができなかった。
料理には、礼儀として最低限手をつけた。
だが、そこに現実感はなく、何を食べたかは思い出せない。
喉が渇いているはずなのに、杯を持つ手が重く感じる。
ワインは一口だけ。
でも味も香りも、何も残らなかった。
理由は、はっきりしている。
ーー視線だ。
周囲の誰かが、ずっとこちらを見ている。
何かを測っているような目線。
それだけなら、この場では珍しくもない。
けれどそれは、値踏みや警戒ではなく。
まるで、狩人が獲物を見定めているかのようなーー
(……嫌な感じ)
背筋にひやりとした感覚が走る。
でもこの視線が、偶然のものではないことだけは、確信があった。
(早く終わってほしい)
何を話すか、どの言葉に気をつけるか、そんなことよりも。
この宴が、一刻も早く終わってほしい。
今の願いは、それだけだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宴がようやく終わり、使用人に案内されて客室階へ戻ったとき、シオンは心の底から安堵の息をついた。
実際の時間より、よほど長く感じられたひとときが終わった。
けれど、その余韻はどこかに引っかかったまま。
部屋の前に着いた頃、ベルナルドがシュゼルに声をかけ、小声で何かを話しているのが見えた。
晩餐前に侯爵と交わした会話の確認らしい。
詳細までは聞こえなかったが、ベルナルドはふむ、と頷きながら、それをしっかりと受け止めるように聞いていた。
「……ありがと。参考にする」
そう呟いてから、ベルナルドは軽く手を上げてシオンに笑いかける。
「じゃ、俺はちょっと屋敷の中を回ってくるよ。怪しさ満載だからねぇ、ここ」
「……気をつけてよ」
シオンがそう返すと、ベルナルドは片目を軽く閉じて応じた。
「もちろん。ま、俺のことは心配しなくていいって。先にゆっくり休んでて」
そしてカルロも、隣室の扉を指して一言だけ残す。
「隣にいるから、何かあったらいつでも呼んでくれ」
頼もしげな視線を交わして、解散のように分かれていく。
こうして残されたのは、シオンとシュゼル、ふたりだけだった。
部屋の扉が閉まり、ようやく一切の物音が途切れる。
肩の力が抜けるのと同時に、シオンはベッドへと倒れ込んだ。
「…………疲れた……」
布に顔を埋めたまま、くぐもった声で呟く。
ふわりと跳ねた布の感触が、ようやく「今夜が終わった」ことを体に伝えてきた。
淑女モードが完全に抜け落ちている。
その姿に、シュゼルが淡々と言った。
「先程までの演技は見事だったが、その行動は些か良くないのではないか?」
「疲れたんだからしょうがないじゃない。あんたみたいに素じゃないのよ」
上半身を起こしながら、シオンは言う。
付け焼き刃の食事マナーを披露しながら、質問に答えるのはなかなか骨が折れた。
やたらと慣れた様子のシュゼルが滑らかに答えてくれたおかげで何とかなったが、もう二度とやりたくない。
料理の味だって、覚えていなかった。
上質な柔らかいベッドが、天国のように思えた。
ふと、その大きさを改めて眺めながら、シオンが言う。
「……これだけ大きければ、距離空けて寝られそうね」
「待て。君は同じベッドで寝るつもりだったのか?」
思わず突っ込んでしまったシュゼルに、シオンが首を傾げた。
「だって、一つしかないじゃない」
「……君の貞操観念はどうなっている」
軽く眉間を押さえながら言うシュゼル。
それを聞いて、シオンがムッとした顔で答えた。
「失礼ね。何もしないってわかってるから言ってるの。あんたって女性に興味なさそう……というか、ヘリオスにしか興味ないんでしょ?」
「誤解を招く言い方は控えてくれないだろうか。他に関心がないのは、間違ってはいないが」
ないことは否定しないのね、とシオンは思う。
シュゼルは小さく息を吐くと、淡々とした口調のまま彼女に向き直った。
「念のため言っておく。君からどう見えているかは知らないが、私とて成人済みの男だ。女性への興味も、性欲も、当然備わっている」
……今、自分の話をしてるのよね?
と、思わず確認したくなる言い方だ。
それほど声が平坦で、あまりに客観的だった。
それにそんな単語を平然と、真顔で口にされると、どう反応していいかわからなくなる。
だが、言葉を失ったまま固まるシオンの様子など意に介さず、シュゼルは続けた。
「しかし私には、何よりも……己の命などより尊い、護るべき存在がいる。その誓いより優位に立つ感情などない、それだけだ」
声のトーンを一切変えず言い切る彼に、本気しか感じられなかった。
しかも彼は、その"誓い”のために、何かを我慢しているわけではない。
心から、それ以外のすべてを、取るに足らないものだと思っているのだろう。
(”誓い”って……。本当に、この人何者なのかしら)
シュゼルが平民とは、最初から思っていなかった。
さらに今回の対応や適応力を見る限り、確実に上位貴族だろう。
侯爵相手に全く怯まず、堂々とした態度をとるなど、並の育ちではありえない。
そして、そのような身分の者が仕える相手など、王族しかいないのではないだろうか。
(護るべき存在って、ヘリオス以外に考えられないけど。でも、王族?……うーん……)
詮索しないルールである以上、こちらから踏み込むことは出来ない。
知らなければいけないことではなく、ただ気になるというだけなら尚更だ。
それでも――
ただの“異常な過保護男”という認識は、もう通用しそうにない。
彼がどれほどの覚悟で、あの青年のそばに立っているのか。
少しだけ、わかった気がしたから。
(まあ、何者でもいいか。今は私の船員なんだし。……それにしても)
納得した途端、別の問題が浮上してきて、シオンはシュゼルに言う。
「ところで、この服すっごく脱ぎづらいんだけど……。早く着替えたいからちょっと手伝って」
「……君は、私の話を聞いていたか?」
流石に呆れた顔で言うシュゼルに、シオンは答えた。
「とりあえず、私に変な気を起こす可能性はないのよね?」
「それとこれとは話が別だ。君が好意を抱いていない相手に、安易に触れさせるものではない」
女性使用人を呼ぶから少し待っているようにと、シュゼルは腰を上げる。
そこで簡単に人を呼べるあたり、やはり貴族としての生活に慣れているように感じた。
わずかにシオンに振り回されるシュゼル。




