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48.練習通りに微笑んで

転移の光が収まると、そこは木々の香りが漂う静かな森の中だった。


舗装されていない道の端に、控えめな装飾を施した馬車が一台、ひっそりと待っていた。

御者台に立っていた人物がベルナルドを確認すると、無言で降り、手短に言葉を交わしたあと、森の奥へと消えていく。

入れ替わるようにしてベルナルドが手綱を握った。


「さて、お迎えにあがりました、旦那様および奥様」


急に役に入ったかのように恭しい口調で言いながら、ベルナルドは後ろを振り返って会釈をする。


その言葉に応じるように、シュゼルが一歩前に出ると、ごく自然な仕草で手を差し出した。

まるで長年そうしてきたかのように、当然の所作でーーけれどそれは、シオンにとっては見慣れない態度だった。


(……なんで、こんなに当たり前みたいに)


一瞬だけ戸惑いが表情をかすめる。

けれど周囲に気づかれる前に、シオンは小さくため息をつき、差し出された手にそっと自分の手を重ねた。

そのまま何事もなかったかのように、馬車に乗り込む。



馬車は静かに動き出した。

車輪が柔らかな土を踏む音だけが、揺れる空気を切り裂いていく。


シオンは窓際に腰掛け、景色をぼんやりと眺めていた。

森の外れの農村、町の門へ続く石畳の道。

道行く人々の視線を想像して、胸の奥がすこしざわめいた。


(バレずに済む……わよね?)


口には出さないが、どこか落ち着かない。

そんな彼女の様子に気づいたのか、対面の座席に座っていたカルロが、ゆっくりと声をかけた。


「……船長、大丈夫か」


その一言に、シオンはぱっと顔を上げ、いつもの調子を取り戻したかのように笑う。


「大丈夫。ちょっと、背筋が痛いだけ」

「……それはそれで問題な気もするが」


困ったように言うカルロに、シオンは肩をすくめてみせる。


窓の外に目を戻そうとした時、視界の端に映ったシュゼルが、相変わらず微動だにせず座っているのが見えた。

背筋を伸ばし、足を組み、手は膝の上。完璧な姿勢と沈黙。


(……あんた、ほんとに落ち着いてるわね)


あまりにも変わらない態度に呆れつつ、ほんの少しだけ頼もしさも感じてしまう自分がいた。

そしてその端正な横顔を見ながら、ふと思い出す。


「夫婦らしく振る舞うように」と言われたけれどーー

こんなに近くにいても、彼は何も感じていないのだろうか。


……うん、多分そうね。


彼が感情を揺らすのは、ヘリオスに対してだけ。

こちらの不安や鼓動など、きっと微塵も届いていない。





 

ーーーーーーーーーーーーーーー






そうこうしているうちに、馬車は屋敷の前に到着した。


立派な門の前で衛兵に名前を告げると、招待状の確認もそこそこに、すぐに門が開かれる。

案内に従い、馬車から降りた三人は、館の玄関ホールへと通された。


大理石の床、高く伸びる柱、壁には美術品らしきものが並んでいる。

目を引くほどの豪奢さではないが、要所要所に品があった。


応対に出てきた執事に対し、シュゼルが一歩前に出る。


「このたびはご招待いただき、深く感謝申し上げます。至らぬ点もあるかと存じますが、誠心誠意努めさせていただきます」


その所作は見事なものだった。深く、流れるようなお辞儀。

まるで生まれながらにそうしていたかのように自然で、堂々としていた。


それに倣うように、シオンもゆっくりと礼をする。


(大丈夫、練習した通り)


そう自分に言い聞かせながら、細心の注意を払い、静かに頭を下げた。

執事は満足そうに頷くと、「ご主人様が応接室にいらっしゃいますので、少々お待ちください」と案内し、四人を客間へと通した。


扉が閉まり、四人だけになった室内で、シオンはそっと肩の力を抜く。

しかし客間でひと息つく間もなく、すぐに執事が戻ってきた。


「ご主人様がお越しです」


扉が再び開かれ、落ち着いた足音が部屋に響く。

現れたのは、白髪混じりの口髭を蓄えた中年の男性だった。

仕立ての良い服を着こなしているが、どこか冷たい印象を受ける。

細められた目元には笑みが浮かんでいたが、瞳の奥には一切の隙がなかった。


「ようこそお越しくださいました。我が家にご足労いただき、光栄の至りです」


丁寧な口調でそう言いながら、彼ーーこの屋敷の当主である侯爵は、シュゼルたちに視線を向けた。

シュゼルはすぐに立ち上がり、深く一礼する。


「私はヴァレンティス伯爵家当主、カイル・ヴァレンティスと申します。このたびの視察にあたり、ご対応の機会を賜り誠に光栄に存じます。短い滞在ではございますが、何卒よろしくお願いいたします」


流れるような動きで顔を上げると、与えられた偽名をさも当然のように名乗った。

その所作には一分の隙もなく、言葉選びにも気品が漂っている。

侯爵はほんの一瞬だけ目を細め、しかしすぐに表情を和らげて頷いた。


続いてシオンも席を立ち、練習通りの手順で礼をする。


「妻のアメリアでございます。このような機会をいただき……ありがとうございます。お目にかかれて光栄です」


僅かに声が震えそうになったが、なんとか押さえ込んだ。


(……今のところ、大丈夫、よね)


侯爵は彼女にも視線を送り、特に表情を変えることなく微笑を返した。


「これはご丁寧に。ルヴェリエ侯爵家当主、エルネスト・ルヴェリエにございます。どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

しかしお二人とも、ずいぶんお若いご夫婦とお聞きしておりましたが……お噂以上ですね。それにとてもお美しい」


その言葉に、シオンが一瞬だけ固まる。

すぐにシュゼルが柔らかく応じた。


「私にはもったいないほどの伴侶でして。少し緊張していたようですが、道中も実に穏やかに過ごしておりました」

「ふふ、それは何より」


探るような台詞が、どこか笑みの下に隠れている気がする。

侯爵の目が一瞬後方に控えるベルナルドとカルロを捉えたが、ベルナルドは動じることなく軽く目を伏せて、一礼を返した。


侯爵は小さく咳払いをすると、シュゼルたちに視線を戻す。


「では、せっかくですので。後ほど皆さまには、夜の宴にもお顔を出していただければと思います。

当家が親しくさせていただいている方々もいらっしゃいますので……ご紹介させてください」


それがどんな意味を持つのか。

真意は、まだわからない。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






扉が閉まり、再び四人だけになった客間に静けさが戻る。

その瞬間、シオンは小さく肩を落とし、深く息を吐き出した。


「……緊張した……」


思わず零れたその声に、すぐ背後からそっと手が伸びる。

カルロが心配そうに彼女の背を軽く撫でていた。


「……ありがと。もう大丈夫」


小声で礼を告げると、カルロは静かに頷いた。


「ほら、言ったとおりでしょ? 問題なく潜入成功ってやつ」


ベルナルドが得意げに小声で囁きかける。

そんな彼を、シオンはじと目で睨んだ。


「……そんな軽いもんじゃないわよ……」


だが、ベルナルドはまるで気にした様子もなく微笑を返す。

そこへ扉がノックされ、「失礼します」の言葉とともに先程の執事が入ってきた。


「ご主人様、および奥様より、それぞれお話があるとのことです」


シオンとシュゼルは軽く頷くと、各々席を立つ。

その直前、ベルナルドがさりげなくカルロに視線を送った。


ご主人様(剣士くん)の護衛、お願い。……念のためね」

「……ああ」


短く応じたカルロは、言葉少なにシュゼルの後を追う。

一方ベルナルドは、当然のような顔でシオンの後ろについた。


「君は万が一、ってことがあるからさ。補佐兼、観察役ね」


人目があるため執事としての姿勢は崩さず、それでもやや砕けた調子で言う。

シオンは呆れ顔のまま、それでもその存在を否定はしなかった。


付いてきてくれたことに安堵したなんて、口が避けても言う気はないけれど。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






夫人の問いは柔らかく、笑みも崩れない。

けれど、その裏にある“確かめようとする意図”は、ひしひしと伝わってきた。


「旦那様とは、どちらでお知り合いに?」

「……旅先です。共通の知人を通じて、ご一緒する機会があって」


(決めてた通り、問題ない……よね?)


シオンはあくまで自然な声色を保ちながら、言葉を選んで返す。

礼儀も口調も、練習通りのはず。

なのに、なぜか指先が少し冷たく感じる。


「お生まれは?」

「地方の小さな港町です。あまり名は知られていないかと……」


笑顔を崩さず、用意された設定をなぞるように話していく。

内容はすべてベルナルドと確認済みだ。

けれど、その“完璧な記憶”がどこか心許なく感じられるのは、目の前の夫人の微笑が、まるで絹の手袋越しの探針のように思えるからだ。


(大丈夫、大丈夫。覚えてる)


そう自分に言い聞かせながらも、心の奥では“間違えたら終わり”という緊張が静かに積もっていく。


一方、部屋の隅で控えるベルナルドは、会話に聞き耳を立てながら、あくまで自然な笑みを保っていた。

夫人付きの侍女と軽く世間話を交わしながらも、視線はちらりとシオンへ向けられる。


口調は崩さずとも、夫人の問いの切り口には確かに“探り”の気配がある。


それを受けながら、シオンがわずかに背筋を強張らせたのを見て、ベルナルドは小さく、興味深そうに目を細めた。


(へぇ……やっぱやるねぇ、うちの船長は。けど、これからが本番だよ)


練習と、本物の空気の中でのやりとりは、まるで違う。

けれど彼女は、今のところ上手く立ち回っていた。


それが不思議とーー少し、誇らしくも思えた。



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