【幕間】妄想と報告書と
リヴァレーナ王国に着く、少し前の小話。短めです。
ノクスが巻き込まれた、ベルナルドとの“くだらないけど無視できない”雑談。
航海中の、ある昼下がり。
甲板のざわめきが遠く感じるほど、船室の中は静かだった。
片隅の机ではノクスが報告書をしたためており、ペンの走る音と、波が船体を叩く音だけが空間を満たしている。
その静けさの中で、ふと、向かいの簡素な寝台からため息が洩れた。
ここは二人部屋だ。
視線を上げずとも、誰のものかは分かっている。
ため息など珍しいと思いながらも、特に気にかけていなかった。が……。
「……シオンに触りたい」
溢れた一言に、ノクスの手が止まった。
インク壺に触れかけた指がぴくりと揺れる。
「……いきなり何言い出しやがるんだ、テメェは」
うんざりした口調で言い返すが、ベルナルドは悪びれもせず、寝台に寝転んだまま天井を見上げていた。
「だってさ、最近前にも増して可愛すぎない? あんなの、手出さないの無理だって。肌はスベスベで柔らかいし、すぐ赤くなるのも愛らしいし、あの小さな唇もさ、綺麗でほんとキスしたくなる……」
「くだらねぇ妄想は、頭ん中だけにしろ」
ペン先を握る力が強くなる。
一歩間違えれば折れそうな勢いだ。
だが、相手はどこ吹く風。
「……なんか、顔赤くない?想像した?」
「するか!!」
「へぇ、しなかったんだ……意外。お前さん、女慣れしてなさそうだもんねぇ」
ベルナルドの声は軽く、茶化すように続いた。
「まぁ、子供の頃はあの剣士くん、今は美麗の皇帝陛下が隣にいたら、女の子も寄ってこないか」
ノクスの眉がわずかに動いた。
癪に障る言い方だが、それより気になったのは——
……なんで、知ってる?
帝国に属していることは、別に隠してない。
けど“隣”なんて言葉が出るほど、あいつの近くにいるなんて話、そう簡単に外に漏れるはずがない。
シュゼルですら、そこまでは知らなかったのに。
訝しげな顔を向けられても、からかう態度は崩さないまま、ベルナルドは言った。
「境遇には同情するけど、シオンで妄想はしないでね?」
「テメェが想像させたんだろうが」
「あ、やっぱりしたんだ」
その瞬間、ノクスの動きが止まった。
無言のまま、手元にわずかに魔力を込める。
「……やっぱテメェは、一度マジでぶっ飛ばす」
「いやいや、船の中で魔術はまずいって!壊したらシオンが怒るんじゃないかなぁ」
「……ちっ」
不承不承、魔力を解いたノクスは、小さく舌打ちをして報告書に視線を戻した。
シオンに怒られる未来は避けたい、という程度の自覚はあるらしい。
「前から思ってたけどさぁ。お前さん、口悪すぎない?身分の割には」
まただ。
何を知っている——そう問い詰めるように、ノクスは顔を上げた。
睨む視線にも、ベルナルドは動じない。
飄々とした笑みを浮かべたまま、ただこちらを見ている。
その姿に、ノクスは深く息を吐いた。
そして視線を紙に落とし、呟くように言う。
「……こんな生まれ、だからだよ」
それだけを告げて、ペン先を滑らせる。
どこまで知っているのか、どこまで話していいのかも分からない。
だがもし、仮に全てを知っているというのなら——。
きっと、ねじ曲がった理由も既に分かっているのだろう。
ベルナルドはそれ以上、何も言わなかった。
しばらくして、窓辺に腰を上げ、広い海をぼんやりと眺め始める。
まるで、波の向こうに、何か答えがあるとでもいうように。




