45.夜に灯る作戦図
ベルナルドが戻ってきたのは、翌日の夕方頃だった。
今は日がすっかり落ち、船内には静かな時間が流れている。
談話室にはルナリアを除く全員が揃っていたが、張りつめた沈黙が、普段のざわめきとはまるで違っていた。
シオンは腕を組んだままソファに腰をかけ、いつもよりも口数が少ない。
ノクスは壁際に寄りかかって立っているが、表情は読めず、ただ無言。
(……いやーな空気。これは下手にツッコむと火種だな)
場を仕切る役目を背負ったベルナルドは、内心で小さく肩をすくめた。
――さて、と。
わざと明るめの声で口を開く。
「とりあえず、報告から始めようか」
皆の視線が集まる。シオンも軽く顎を引いて黙って促した。
「まずひとつ。今回の投獄に関わってるのは、王宮にも顔を出してる有力貴族でね……しかも、かなり上の立場の人間だ」
反応が返ってくる前に、さらに続ける。
「その貴族の名は、ルヴェリエ侯爵。この屋敷、妙な噂がやたら多くてさ。夜中に荷車が頻繁に出入りしてるとか、聞いたこともない声が奥の方から聞こえるとか。
で、その先にーー地下施設ってやつがあるらしくてね。魔物とか人間とかを素材にして、何かの実験をしてるって話だ。
詳しい目的までは掴めなかったけど。……まあ、まともな施設じゃないことは確かだよ」
最後の言葉に、ノクスの眉が僅かに動く。
突然耳にした不穏な情報に、カルロも表情を険しくした。
「証拠は?」
「今のところは証言止まりだけど、信頼できる筋からの情報だよ。で、騎士団長さんが狙われたのは、どうやらそのへんの情報を知っちゃったのが原因みたいだ」
冗談めいた口調にしては、目が笑っていなかった。
ベルナルドは報告を区切り、表情を改める。
「で、ふたつめ。その投獄されたっていう騎士団長――セディ・カランテが、“近いうちに自害する予定”らしいよ」
その場の空気が、一瞬で冷え切った。
誰もが息を呑み、ただ静まり返る。
「もちろん、そんなもんは建前だろうけど。内々に処分するってことさ。誰にも知られず、すべてを闇に葬る気らしい。
……だから、助けたいなら、“生きてるうちに”引っ張り出さないと。
でも、単に連れ出すだけじゃ何も解決しない。今度は“脱獄犯”として罪状が増えるだけだ。
だからこの件は、根本から解決しないと――“助けた”ことにはならないんだよ」
セディを嵌めた人物、あるいは組織ごと何とかしない限り、解決にはならないと言っているのだろう。
しかし有力貴族やら地下施設やら、情報が多すぎる。
言葉が出ずに黙ってしまう周囲を、ゆっくりとベルナルドは見回す。
そしてにやりと笑うと、手を口元に持っていき、指を三本立てた。
「で、ここからが肝心。時間がない中で、色んな情報を手に入れたり助けたりしなきゃならない。だから本気で動くつもりなら――三手に分かれることになる」
少しだけ間を置いてから、ベルナルドは続けた。
「一つ、表の社交界に潜り込む。奴らの中枢である貴族の屋敷に潜入し、内部を探る。
一つ、牢に囚われた団長を助け出す。処刑予定まで時間がない。
そしてもう一つ。地下施設の“本拠”を突き止め、現場を抑える」
ベルナルドはそこで一呼吸置き、わずかに口元を緩めた。
「……とまあ、調べはここまで。提案もしたし、あとは船長であるシオンの判断だ。どうする?」
返答は、すぐには返ってこなかった。
重苦しい沈黙が談話室を包む。
ノクスは壁にもたれたまま、目を細めて考え込んでいる。
カルロは微かに眉をひそめ、何かを測るように視線を巡らせた。
レイジは不安そうな表情を浮かべ、居心地悪そうにしている。
ヘリオスは口を開きかけたが、何も言わずに言葉を飲み込んだ。
そしてシュゼルだけが、沈黙のままシオンの方へわずかに目を向ける。
その視線を感じながら、シオンはゆっくりと組んでいた腕を解いた。
ベルナルドをまっすぐに見据え、真剣な顔で問いかける。
「……あんたは簡単に言うけど。社交界に潜り込むとか、脱獄とか。そんなの、本当に現実的なの?」
「まあねぇ。皆の協力は絶対必要だけど……不可能じゃないよ。ーー俺のやり方なら、だけどね」
ベルナルドは懐からカードを一枚抜き取ると、指先で軽やかに宙へ弾いた。
紫の炎が音もなくそれを包み、まるで煙のように掻き消える。
残ったのは、現実味を帯びた作戦道具。
封筒と、巻物状の地図だった。
「……何これ?」
ヘリオスが、現れたそれらを不思議そうに見ていると、ベルナルドはいつもの調子で言う。
「さて、まずは一組目。貴族の屋敷に入り込むチームから説明するよ。ちょっと厄介だけど、面白い作戦さ」
ベルナルドが地図を広げると、そこにはヴィゼリアとその周辺地帯が描かれていた。
彼は、そのうちの一点を静かに示す。
「先入先は、さっき話したルヴェリエ侯爵家。地下施設の連中と繋がってるのは間違いない。けど、無計画に踏み込めば、こっちの身が危ないし、内部の様子もさっぱりだ。だから――“賓客”として屋敷に入り込む」
一拍置き、にこりと笑う。
「名目は“他国の貴族による療養地視察”。水の都市ヴィゼリアは温暖で景観も良くて、療養先として名高いからね。向こうの貴族たちにとっても、不自然な理由には見えない」
ベルナルドは先程現れた、テーブルの上の封筒を指差した。
「推薦状も、ちゃんと用意してあるから安心して。とあるツテを使って、本物そっくりの印章入り。“王族”からの推薦なら、そうそう無下にもできないでしょ。それに、最近爵位を授かったって設定だから、名前が知られてなくても不審がられることはない」
ちらりと、納得しきれてなさそうなカルロの方も見て補足する。
「それなりに整った服装と振る舞いさえすれば、十分出入りは可能。内部にさえ入れれば、あとは俺が屋敷の構造、出入りする人間、地下施設とのつながりについて調査するよ。怪しまれないように立ち回れるのは、俺くらいでしょ?」
「まあ……他にいないでしょうね」
シオンの言葉に満足そうに頷くと、指を立てて、一つひとつを数えるように口にする。
「……以上が、貴族屋敷に潜入するための段取り。じゃあ、配役を伝えるね」
ベルナルドは、わざと少しだけ笑ってみせた。
「夫婦役の貴族として潜り込むのは――剣士の彼と、シオン。
執事役は、俺。
そして、頼れる護衛として用心棒さんに同行してもらう」
一瞬の沈黙。
続くリアクションを、ベルナルドはどこか楽しげに待っていた。
「……待て、私はヘリオスと別行動になるということか」
「おお、最初に気にするのそこなんだ」
まず口を開いたのはシュゼルだった。
そしてその言葉に、少し大げさに反応する。
「でも今回は配置がかなり重要だから、適材適所で割り当てないと。この中じゃお前さんが一番貴族として疑われなさそうだからさ」
それについては、おそらく全員が心の中で同意した。
この中に、シュゼルほど自然に貴族の振る舞いが出来そうな人材はいない。
普段の仕草ひとつ取っても、平民とは到底思えないほどの気品が滲み出ているのだから。
……もっとも、この場には正真正銘の王族が混じっているのだが、それを知る者は限られている。
続いて、シオンが怪訝そうな顔をして言った。
「この人と夫婦とか、絶対無理だから。……それに貴族の真似なんて、できるわけないでしょ」
「そこは俺が演技指導してあげるよ。手取り足取り、色々……」
「……茶番はいい。話を進めろ」
ノクスの低い声に、場が静まる。
不機嫌そうに目を逸らして、こちらを見てはいない。
彼の態度にやれやれとため息をつきながら、ベルナルドは続けた。
「じゃあ、次。騎士団長の救出だけど、この牢獄がかなり厄介な構造でね」
ベルナルドは地図を指差しながら言った。
街から少しだけ離れた場所にある、岩山のような場所である。
「通称『迷宮牢獄』。中がかなり入り組んでいて、入ったら最後。もう出られないって話だよ。看守たちは魔道具で道がわかるようになってるらしいんだけど、紙の地図は持ち込めないんだ」
「何でですか?」
レイジが不思議そうに聞くと、ベルナルドは答えた。
「地図に限らず、紙類は持ち込めないんだよ。燃やされたりする危険があるからかな?持ち込むとすぐに存在がバレて、捕まりかねない」
だから……と、ベルナルドは別のカードを取り出す。
「剣士くん、どうも金髪くんの役割が気になってるみたいだけど。彼の出番は、ここだよ」
ちらっとシュゼルを一瞥したあと、ベルナルドはヘリオスに視線を移した。
騎士団長救出の役目を、ヘリオスが担うということだろう。
「このカードに、例の牢獄の地図が記録されてる。……ただし、一度映したらそれっきりだから、見逃さないようにね。あ、入手経路は企業秘密で?」
ベルナルドが言うには、一度限り迷宮牢獄の立体地図を映し出すことが出来るらしい。
しかし紙を持ち込めない以上、メモを取ってもあまり意味がない。
「複雑な構造と順路を、一回で正確に覚えられる人なんて……他にいないんじゃない?」
不敵な笑いを浮かべるベルナルドに、シュゼルは顔を顰めた。
それは事実だが、やはり別行動することに不安があるらしい。
「……救出には、他に誰が行くんだ」
絞り出すようなシュゼルの問いに、ベルナルドはヘリオスの膝にいるウィスカを見る。
「とりあえず、鼻の効きそうな猫くんは連れて行くとして」
「誰が猫だ」
ウィスカのツッコミを聞き流し、彼はわざと考えるような仕草をした。
「戦力が心配かな。戦いに行くわけじゃないけど、何があるかわからない」
淡々と言うベルナルドに、全員の視線が集まる。
「魔術はすぐに感知される、だから使えない。だから隠密行動が出来て、物理的に戦闘力の高い人物……」
そこまで言うと、ベルナルドはシオンに近づく。
そして、彼女にしか聞こえない距離と声量で、静かに呟いた。
「……君の大事な"美人さん”、連れて行ってもいいかな?」
その言葉に、シオンの肩が僅かに揺れる。
彼女は前を向いたまま、視線だけでベルナルドを睨んだ。
「どういうつもり……?」
「単純に、適材適所だよ。隠密行動だから、姿を見られる可能性だって低い。……それに、あの子、騎士団長を気にしてなかった?」
どこまで気づいてるのよ……と、シオンは怪訝そうな目を向ける。
しかしベルナルドは微笑むだけで、それ以上は言わなかった。
これ以上睨んだ所で意味がないと思ったのか、シオンは重いため息をつく。
「……確認しておく」
ベルナルドの視線を振り払うように、短くそう告げた。
「ありがとう。これで問題はなさそうだ」
二人の間だけで交わされたやり取りに、不穏さを感じた者もいる。
だが、今は口を挟まず、最後まで話を聞くべきだと誰もが判断していた。
「じゃあ最後に、地下施設について。場所は俺の“仲間”が探ってて、もうすぐ判明するはずさ。で、向かうのは残った航海士くんと、魔術師くんだね」
「……オレなんかで、本当に役に立ちますか?」
地下施設に入って現場をおさえる役目なんて、向いているとは思えない。
だからといって、他の役割が出来るとも言えないが……。
するとベルナルドは、「大丈夫だって」と肩を叩く。
「お前さんの鋭い勘、今回はきっと役に立つよ。ーーまあ、行ってみれば分かるって」
含みのある言い方に、「お前は何を知っている?」という目でノクスが睨みつける。
……たった一晩で、こいつはどこまで掴んだんだ、と。
しかも……おそらくまだ、すべてを話していない。
そんな、妙な予感があった
「そんな睨むなって。魔術師くんも地下施設行きで異論ないでしょ。……一番、気になってる場所なんだから」
その目に、背中が一瞬ぞわりとした。
読めないやつだとずっと思っていたが、こちらの事情をどこまで把握しているのかわからない。
それにしても。
判断をシオンに委ねると言った割には、用意周到すぎる。
ノクスがスッと視線を逸らすのを見届けながら、ベルナルドは軽く手を叩いた。
「――と、いうわけで。準備さえ整えば、すぐにでも動けるよ。あとは君たちの覚悟と、タイミング次第ってとこかな」
その言葉を受け、シオンがゆっくりと立ち上がる。
「……了解。時間がない以上、動きは早いに越したことはないわ。のんびり構えてたら、助けられる命も失うかもしれない」
瞳に静かな決意を灯して、視線を仲間たちへと向ける。
「今夜のうちに準備を整えましょう。衣装も、立ち振る舞いも、情報の確認も――全部。
明け方には、それぞれの作戦に動き出せるようにする」
一瞬の静寂のあと、誰からともなく頷きが返る。
「……いいわね。今回は全員、自分の役割を果たすこと。それが、この船の勝ち筋よ」
船の中に、わずかな緊張と高揚が満ちていく。
今、この一夜が、すべての始まりだった。




