44.踏み込んではいけない場所
談話室のやり取りには加われなかったが、ルナリアはせめて様子だけでも知っておこうと、扉の前で静かに耳を澄ませていた。
彼女自身の事情により、資金稼ぎに参加出来ないことは申し訳なかったが、シオンからは
「船の仕事を誰よりもやってくれてるのはルナでしょ?むしろ報酬を払いたいくらいなんだから」
と言われ、少し気持ちが落ち着く。
(私は船から降りられない……降りたら、いけない)
生きていることが、バレてはいけない。
彼女の顔を知る者は少ないが、万が一ということもある。
そもそも、普通ではないこの「瞳」が、他人の目にどう映るかもわからない。
そんな事を考えていると、報酬の件で賑やかだった談話室の空気が静かになった。
「ああ、それなら俺も聞いた。セディ・カランテだろ?王家直属の騎士団長だ。前に外交で一度会ったが、陛下が珍しく気に入ってやがったな」
"セディ・カランテ”
その名前を聞いた瞬間、心臓が激しく脈打った。
忘れるはずがない、名前。その人は、私がーー……
動揺でバランスを崩し、廊下に置かれた小さなテーブルにぶつかってしまう。
物音に反応した声が聞こえたので、足音を立てずに急いでその場を立ち去った。
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甲板に出たノクスは、周囲を見渡す。
当然だが、誰もいない。
既に日は沈んでおり、暗い色をした海が静かに波打っていた。
(……あの船員は、誰だ?)
柵に手をかけ、海を眺めながらノクスは思う。
魔力量の多いノクスですら、あの村では思考がはっきりせず、気に留める余裕はなかった。
見覚えのない、髪の長い船員。
自分以外は知っているようなのに、自分にだけ知らされていないのも不思議だった。
……いや、この船に来た時、自己紹介などした覚えがない。
だから知らない船員がいても、おかしくないのかもしれないが。
しかし、シオンはまるで、ノクスから彼女の存在を”隠している”ように感じた。
(会ったことはねぇはずだ。だが、何だこの既視感は……。魔力が見られりゃ、何かわかるかもしれねぇのに……)
視界に入れないことには、確認できない。
だからどうしようもないのだが、どうしても気になってしまう。
何がこんなに気がかりなのか、自分でもわからない。
その時、ふと気配を感じて静かに振り返る。
船頭の方に、人影が見えた。
(……あの女)
海底の村で見かけた少女が、立っている。
そして、その横顔を見た瞬間、背筋が冷えた。
彼女の瞳が、「金色」だったからだ。
人間に、金色の瞳はありえない。
しかし、一人だけ知っている。
魔獣のような、瞳の色をもつ、少女をーー……
ノクスは僅かに震える手で、魔晶石を握った。
そして、その目に映る光景に身体が固まる。
膨大な魔力、そしてそれがとめどなく体内を循環していた。
魔力は魔法を使用していない時は、静かに体内に収まっている。
体の表面に、ぼんやりと色が浮き出る程度だ。
にもかかわらず、その魔力はまるで暴れているように、絶えず体内を巡り続けていた。
こんな光景、ただの人間のはずがない。
その異様な光景を、彼は三年前にも――確かに、見たことがあった。
気がつけば、少女の傍まで近づいていた。
「おい」
声をかけられ、少女はハッとする。
ノクスの声を聞いて、身体が硬直した。
逃げなければ、と思うのに、足が縫い止められたように動かない。
「お前、まさか……」
「来ないでください!」
伸ばしかけたノクスの手を、少女ーールナリアは激しく振り払う。
その顔は驚愕に染まり、どこか怯えてるように見えた。
しかしノクスは怯まず、彼女の手首を掴む。
「話を聞け!お前、”ミレナ”じゃねぇのか!?」
その名を聞いて、ルナリアの顔が一気に青ざめた。
(この人……完全に私に気づいてる……どうして……!?)
狼狽えるルナリアに、ノクスは続ける。
「生きてたんだな……どうしてこんな所に」
「やめて!私は違う、私は……っ」
その瞬間、ノクスは”共鳴波”を感じてハッとする。
ほぼ同時に彼の手に鋭い痛みが走った。
切れてはいないようだったが、風の刃が襲いかかってきたのである。
それにより力が緩み、開放されたルナリアが咄嗟に逃げ出した。
その背中に、ノクスが必死で叫ぶ。
「おい待て!お前のこと、陛下はずっとーー……」
陛下という単語に、ルナリアの肩が大きく揺れた。
ノクスが後を追いかけようとしたところで、目の前に風が渦巻く。
その風に守られるように、シオンがゆっくりと着地した。
「……あんた、何してるのよ」
いつもより数段低く、かなり怒っているのがわかった。
怒鳴るわけではなく、静かで強い怒りをノクスに向けている。
その眼光の鋭さに、一瞬だけ怯んだ。
「私のルナに、何したのか聞いてるの」
「ルナ……?」
不思議そうにしているノクスを、シオンは睨み続ける。
(迂闊だった……てっきり、部屋に戻ってると思ってたのに……)
騎士団長の話をしている時、ルナリアが動揺したことに気づいた。
何かあったとは思ったものの、あの場では動けず、終わってすぐ船室に様子を見に行った。
だが……彼女は、部屋にいなかった。
ーーまさか、接触を避けてたはずのこいつと遭遇してたなんて。
(動揺してたから、気配に気付けなかった……?いえ、そんなこと、今はどうでもいい)
シオンはノクスから目を逸らさず、はっきりと言った。
「あの子があんなに怯えるなんて、普通じゃない。どんな関係か知らないけど、もう関わらないで」
ルナリアと出会ったのは、氷雪の大陸だった。
ならば彼と関わっていた可能性はあるが、ルナリアから過去の話は何も聞いてない。
聞く気も、ない。
すると、ノクスはスッと目を細めて、静かに聞いた。
「……お前こそ、知ってんのか。あいつが何者か……」
「知らないわよ!それが何!?」
ノクスの言葉に対して、シオンは声を荒げる。
「どうだっていいのよ、何者かなんて!今、あの子は”ルナリア”で、”私の船員”なの!
それ以外……関係ない」
そこまで言うと、ゆっくりと乱れた呼吸を整える。
感情的になりすぎたと思ったが、謝る気もなかった。
ーー先に、ルナリアを傷つけたのは、こいつだから。
シオンの勢いに言葉を失うノクスを冷めた目で見つめた後、シオンは踵を返す。
そして、甲板から立ち去る寸前、背を向けたまま言った。
「……やっぱり、嫌いだわ。あんたのこと」
それだけ言い残すと、静かにその場から去っていった。
残されたノクスはため息をついて、軽くうつむく。
(……あいつは、確実にミレナだった。外見は随分変わってたが、あの瞳も魔力もーー見間違いようがねぇ)
アイゼルの心の奥底に沈んだ、重い記憶。
その少女が、生きていた。
だがあの状態では、何を言っても届かないだろう。
アイゼルに伝えるのはーーまだ、早い気がした。
そして。
(……くそっ、何だこれ……)
ノクスは自分の胸元に手を当て、力を込める。
先程の、シオンの冷たい目。
さらに、去り際のあの言葉。
鉛を落とされたように、身体が重くなった。
それに、酷く痛む。
けれど、どこが痛むのか、何が刺さったのか――答えは、まだわからなかった。
(めんどくせぇ……)
ノクスは苦々しげに舌打ちすると、重い足取りで船室に戻っていった。




