40.元通りの日常、とはいかない?
あのおかしな村から脱出して一週間。
みんなの調子も徐々に戻ってきた。
魂が溶かされる……なんて話は衝撃だったけど、外に出て数日もすれば、ぼんやりしていた頭もちゃんと戻ってきた。
今では思考に靄がかかるような、変な感覚もない。
元々ヘリオスは他の人より影響が少なかったが、それでも少しの間は気分が悪かったので、ようやく日常に戻ってきた感覚だった。
談話室で借りてきた本を一度閉じ、窓からよく晴れた空を見上げる。
この間までの騒動が、嘘のようだ。
(騒動と言えば……あのあと、もうひと悶着あったんだよね)
ベルナルドが再び船員になることが決まった後。
海岸で騒いでいても仕方がないので、とりあえず全員船に乗ることにしたのだが。
その際、まずは船主に会ってくると言ったシオンの背中に、ベルナルドがかけた言葉がきっかけだった。
「じゃ、またよろしくね、シオン」
空気が、一瞬にして凍りつく。
そして、無表情ながらも不機嫌さを感じさせながら、ルナリアが言った。
「……どうしてあなたが、船長を呼び捨ててるんですか」
その言葉に、カルロも頷く。
しかし、ベルナルドは悪びれず言った。
「だって、みんなが勝手に“船長”って呼んでるだけじゃん。強制じゃないでしょ?」
「……確かに、好きに呼んでって言ってたけど」
乗船テストに受かった時言われたことを、うっかり口に出したヘリオス。
だよね?と寄ってくるベルナルドから、ヘリオスを守るように間に入るシュゼル。
「……無駄に近寄るのはやめてもらいたいのだが」
「ただ同意を求めただけだって。警戒しないでよ」
睨みつけるシュゼルの視線を軽く受け流すベルナルドを見て、ヘリオスがポツリと呟く。
「僕、悪いこと言ったかな……?」
不安そうにする彼に、ウィスカが答えた。
「別に、言われたことを思い出しただけだろ」
「そうだ、ヘリオスに非など微塵もない」
シュゼルも振り返りながら断言した。
話が完全にズレている。
「……とにかく、船長が何と言おうと、お前にそんな資格ないだろ」
「え〜?名前呼ぶのに資格とかいらないと思うけどなぁ。ねぇ?」
カルロの言葉を軽く流しつつ、最後はシオンに向かってベルナルドは言う。
シオンはしばらく黙っていたが、小さな声で「……勝手にすれば」とだけ呟いた。
ーー髪に隠れた耳が少しだけ赤かった気がしたけど、気のせいかな。
ヘリオスが思っていると、シオンは早足で船主の部屋へと行ってしまった。
「ほら、勝手にしていいって。そんなに気になるなら、お前さんたちも名前で呼べばいいのに」
その言葉に、また沈黙が走る。
どうしようもなく気まずい空気が流れていた。
「……どうしよう……」
「私たちは部屋に戻るか」
困っているヘリオスと対照的に、あくまで平然としているシュゼルは、彼を連れて船室に戻った。
だから、その後どうなったのか、ヘリオスは知らない。
(みんないつも通り過ごしてるし、大きな音もしなかったから……大喧嘩にはなってないんだろうけど)
本を机に置き、一度身体を伸ばす。
せっかくの晴天なので、少し風に当たってこようかと、ヘリオスは部屋を出た。
足元にウィスカがついてくるのは、いつものことである。
船の中の移動に関しては、シュゼルも基本は止めなかった。
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甲板には、気持ちのいい風が流れていた。
手摺りに近寄り、空を見上げる。
穏やかな波の上を進む船が、何だか心地よく感じた。
最初は船の揺れに慣れるまで時間がかかったが、今では落ち着きさえ感じる。
その時、ふと見張り台を見上げると、柵の所にシオンが腰掛けていた。
そんな所に座ったら危ないんじゃ……と思ったが、彼女は飛べるから気にしないのだろう。
ヘリオスの目線に気づいたのか、シオンがこちらを向いた。
「どうかした?」
「あ、いや……風が、気持ちよかったから」
その言葉に小さく笑うと、シオンは見張り台から飛び降りる。
風をまといながらふわりと降りるその姿は、何度見ても綺麗だと思った。
「今の季節はいいわよね。最近は風も穏やかだし、過ごしやすいわ」
そう言いながら彼女が耳に髪をかけた時ーーヘリオスは、違和感を感じた。
そしてその違和感の正体に、すぐ気づく。
耳飾りが、ない。
常に身につけていたそれを、彼女は外していた。
ヘリオスは口には出さなかったが、その視線を感じたシオンが言う。
「捨てたわけじゃないわ、大切な思い出だから。ただ……縋るのを、やめただけ」
そう話す彼女の横顔は、今までより少し大人びたようだった。
そして目を軽く伏せると、ぽつりとこぼす。
「私ね、あんたに謝らなきゃいけないことがあったのよ」
「え?」
「あんたと、昔の知り合いを。……ちょっとだけ、重ねてたの」
はっきりとは言わなかったが、恐らくこの間村で見た青年のことだろう。
ヘリオスは黙ってシオンの言葉を聞く。
「顔というより、雰囲気がよく似てた。笑い方とか、優しいところとか……。でも、やっぱり違うって、何度も繰り返して……。
だけど、あんた個人を見てなかったわけじゃないのよ。それは、本当に」
申し訳無さそうに言うシオンを見て、ヘリオスは今までのシオンの態度を思い返した。
初めて船に乗った日、御礼の言葉に一瞬固まったこと。
突然デートに誘ったと思えば、時折「似てる」と呟いていたこと。
全て合点がいった。
その上で、聞く。
「それって、謝ることかな?」
「……え?」
そう問いかける彼の表情は、とても優しくて、どこか包み込むようだった。
「知り合いに似てるって思ったら、重ねることはあると思う。でも僕自身のこともちゃんと見てくれてたんだし、気にすることないよ」
温かい笑顔を浮かべながら言うヘリオスを見て、シオンは大きなため息をつきながら手摺りにもたれかかる。
その様子を不思議そうに見つめるヘリオスに、シオンは顔を向けず視線だけを寄越した。
「……あんた、人誑しって言われたことない?」
「……ヒトタラシ……?」
言われている意味がわからないのか、ヘリオスは首を傾げる。
対して、ウィスカは足元でうんうんと頷いていた。
どうやら常々感じていたらしい。
シュゼルならそんな言い方はせず、「ヘリオスの優しさと可愛さに心を打たれる人間など、珍しくない」と語りだしそうだ。
シオンは、なんだか可笑しくなってきた。
いつの間にか、本当に、今の船員たちを好きになっている。
(ジークのことは思い出にできた……と、思う。でも、急ぐ必要はないわよね)
そんな事を考えながら、ふと、彼との最後の会話を思い出した。
そういえば、何か変なことを言っていたような……?
なんだったかしら、と頭を悩ませつつ、ふと顔を上げる。
気づけば、自然とある一点を捉えていた。
自分でも、気づかないうちに。
ヘリオスの肩越しに見えるのは、船尾付近で言い合いをする二人だった。
"言い合い”というよりは、カルロが言ったことに対して、ベルナルドが軽く流している様子である。
相変わらずの、挑発的な態度で。
(本当に、戻ってきたのね……)
彼の姿を見ながら思った、その時……ジークの言葉が鮮明に蘇ってきた。
『君の中には……新しい想いが、もうあるはずだよ』
次の瞬間、顔に一気に熱が集まる。
突如俯いて肩を震わせるシオンを心配し、ヘリオスが声を掛けると、彼女は真っ赤な顔を上げて叫んだ。
「違うから!絶っっっ対に、ありえないから……っ!!」
「え!?何が!?」
思わず叫んでしまった事に、シオン自身も驚いていた。
本気で意味を理解しかねているヘリオスが、慌てて聞き返す。
しかしシオンは頭を抱えて座り込んでしまい、返事はなかった。
(……なんで、あんなのが気になるのよ。意味わかんない)
顔をうずめて黙ってしまったシオンに、ヘリオスはどうするべきかと狼狽える。
そのやり取りを見て、ウィスカは目を細め、小さく欠伸をした。
「やっぱめんどくせー……」
呆れ顔のまま、ヘリオスの足元でひなたぼっこの姿勢をとる。
その小さな呟きは、爽やかな風に消えていった。
次回は番外編として、シオンとカルロの出会い編を更新します。




