31.見抜かれた異能
渦潮の後の、ベルナルドサイドです。
最近、どうにも調子が狂っている。
新たな依頼を受ける気にはならないし、賭博場にも行ってない。
酒場で女に声をかけられても、誘いに乗ろうとすら思えなかった。
(どう見たって、いい女だったはずだけど……)
昔の自分なら、一晩限りの相手として、喜んで誘いを受けただろう。
それなのに、全然魅力を感じなかった。
原因はわかってる。
考えたくない、認めたくないだけ。
(ああもう、どうして俺が……っ)
俺は裏切った、傷つけた。
もう全部壊しただろ。
いつまで気にしてんだ、終わったんだよ。
それなのに、聞こえるはずもない“声”を、未だに探してしまう。
彼女の声が聞こえないか、まだ生きているかと、何度も確かめてしまう。
「……渦潮は、発生したんだろうな」
気象条件を調べていたのは、本当だ。
完璧に調べ上げて、「発生する」とほぼ確信できる日を選んだ。
「発生しない」なんて、最初から嘘だった。
……沈めるしかなかった。
あの男から逃げるには、それしかなかった。
あいつの正体はわからない。けど、人間じゃないってことは一目でわかった。
正面からぶつかって勝てる相手じゃない。
あの場にいた連中も、みんなそう感じてたはずだ。
戦えば、確実に殺される。
だったら、沈没した方がまだ望みがある。
ほんの数パーセントでも、生き残れる可能性があるなら……そっちに賭けた方がまだマシだろ。
もちろん、会わずに逃げ続けるという選択も、頭になかったわけじゃない。
でも無理だ、あの男に目をつけられた以上、逃げてもいつかは襲われる。
だったら、一度でも会わせて、興味を冷ますしかない。
あの快楽主義者は、気が済んだらすぐ別のものに目移りする。
完璧な仕上がりじゃなかったにしても、あの時の顔を見る限り、そこそこ満足したはずだ。
少なくとも、次のターゲットに関心が逸れるくらいには。
(いや、全部言い訳だ……結局、殺したようなもんだから)
“まだ死んでない”と信じてるだけで、今どこで、どうしているのかもわからない。
探したところでどうしようもないって、わかってるのに。
ーー毎日、流れ着く可能性のある海岸を歩き回っている俺は、相当な馬鹿だ。
そもそも、会ってどうしようというのか。
軽蔑されるならまだいい。どんなに罵倒されてもいい。
でもあの無感情の瞳を向けられるのは……耐えられない。
会いたくない。会うのが怖い。
それなのに、会いたくて仕方ない。
「くそっ……」
毒づいたその瞬間、見覚えのある帆が目に入る。
思わず駆け寄ると、それは間違いなく『ガーネット』だった。
見間違えるはずがない。
しかし、違和感はある。
渦潮に巻き込まれて一度沈んだはずなのに、不自然なほど損傷がなかった。
ところどころ海藻が巻き付いたり、砂や汚れが付いているものの、大きな傷や破損は見られない。
……修復された?
いや、そんな馬鹿な。そんなはず、ないだろ。
(……どうなってんだ?)
静かに、船に足を踏み入れる。
人の気配はない。シオンたちは、おそらく渦に呑まれたのだ。
そして船だけが、この海岸に流れ着いた。
(……俺は、何を期待して……)
その時、扉の開く音がした。
振り向くと、そこは船尾側にある船主の部屋。
シオンがいなければ開けられないーーいや、シオンがいないと、なぜか認識すらできないはずの部屋。
その扉がーー静かに、何かに呼ばれるように開いたのだ。
「…………」
不審に思いながらも、ベルナルドはその扉へ向かう。
まるで、吸い寄せられるように。
船主の部屋に立ち入るのは、これで二回目だった。
つまり、最初のテスト以来入っていない。
前に来た時も思ったが……おかしな空間だ。
まるでここだけ、外界から切り離されているように錯覚する。
そして、一番奇妙なのがーー
奥に座っている、この老人。
シオンから「爺様」と呼ばれている老人は、この船の船主らしい。
渦潮に巻き込まれてもなお、この部屋で以前と変わらず過ごしている時点で、普通でないことはわかる。
だが、それだけじゃない。
ベルナルドには、どうしても引っかかっていることがあった。
「……やっぱり、戻ってきたね」
彼が何か言う前に、船主が口を開く。
すると、ベルナルドは挑発的な、鼻で笑うような感じで答えた。
「何だそれ?俺が戻ってくるのがわかってたような言い方だな」
しかし、船主は動じない。
ただニコニコと、ベルナルドを見ている。
その態度に、彼は表情から笑みを消す。
そして少し考えたあと、真剣な表情で言った。
「最初に会った時から気になってたが。……あんた、人間じゃないだろ」
ベルナルドの言葉に、船主はスッと目を細め、静かに笑いながら答える。
「……ふむ、やはり気づいていたか。面白いね。"死霊使い”とは、他者の魂まで見えるのかい?」
"死霊使い”ーーその単語に、ベルナルドの表情が険しくなる。
誰にも言ったことはない、知っているはずがない。
この力を知っているのは、かつて自分を捨てた母親とーー異能の正体を教えてくれた、たった一人の男。
……それだけのはずだった。
「何であんたが知って……いや、それはいい。とにかくあんたからは、人間の"それ”を感じないんだよ。命の気配じゃない、もっと古くて、深い…“何か”だ」
ベルナルドの声はいつもより低く、軽薄さはまったく無かった。
すると船主はふっと顔を伏せて、ひとりごとのように呟く。
「なるほど。そこまでわかるなら……儂がどういう存在か、少しは想像がつくだろう」
ベルナルドは、改めて船主を見る。
死霊はもちろん、精霊の類でもない。
もっと何か、圧倒されるような力を持つーー……
「まさか……“神”か何か、なのか……?」
その問いかけに、船主は微笑む。
はっきりと肯定はしない。
しかし、否定もしていない。
明確な返事がなくても、これは「そうだ」と言っているようなものだ。
「だがそれにしては、随分力が弱いようだな」
「そうだねぇ……。かつて、儂が守っていた土地が荒らされて以来、すっかり衰えてしまった。この船に移ったことで、存在はできているけどね」
少しだけ、謎が解けた気がする。
この船の異常な修復力は……船主の力なのだろう。
弱っているとはいえ、時間をかければ船ひとつ、元に戻せるってわけか。
シオンが理解しているかは知らないが、「船を休ませると元気になる」というのは、船主が航海を気にせず回復に専念出来るからなのだと推測できる。
しばらく沈黙が続いたあと、先に口を開いたのはベルナルドだった。
「……何で、俺をここに入れたんだ」
「それは、船員として迎え入れた話かい?それとも、今ここを開放したことかな」
「どちらもだ」
低く、押し殺すようにベルナルドは言う。
真剣に、睨むように問うベルナルドにーー船主は、すべてを見透かしたような、静かな笑みを浮かべた。




