28.水底の村に、眠りが誘う
洞窟を抜けた瞬間、目の前の景色に、思わず足が止まった。
そこには、確かに村があった。
でも……どこか、違う。
家がある。道もある。畑まである。
ーーここは海底だ。
そう理解しているはずなのに、目の前の光景はまるで、地上の田舎の村そのものだった。
木造の家がぽつぽつと並び、草の生えた石畳がゆるやかな坂をつくっている。
空は……ない。
代わりに、天井の岩がぼんやりと青白く光り、水面のような揺らぎが映っていた。
その揺れが、なんだか自分の思考までぼやかしていくようで――
(……何だろう。変な感じがする)
ヘリオスが違和感について考えようとすると、思考に靄がかかるような妙な感覚を覚える。
周囲は静かで、風の音も虫の声も聞こえないのに、頭の奥では“しゃらん、しゃらん”と、波みたいな音が響いていた。
(耳……じゃないな。これ、頭の中……?)
奇妙な感覚に、思わず頭に手を当てる。
まるで、うすい霧が脳の中に入り込んだみたいだった。
前を歩く仲間たちも、何だか様子がおかしい。
その時、視界の端で、何かが動いた。
振り返ると、遠くの路地を誰かが歩いていた。
小さな人影。すぐに角を曲がって消えてしまったけれど、確かに“人”だったと思う。
「……誰か、住んでるのかな……?」
声に出してみたけど、誰もすぐには答えなかった。
村の端にある畑には、野菜らしき芽が並んでいる。
鍬の跡が新しくて、誰かが最近まで作業していたようだった。
軒先には布が干され、小さな鉢植えが風もないのにふわりと揺れた。
(ここ、廃墟じゃない。……でも)
ふと、隣を歩いていたレイジが小さな声で呟く。
「……なんか、頭、ぼんやりする……」
その言葉に、ヘリオスははっとする。
異変を感じていたのは、自分だけではないようだ。
(……やっぱり、変なんだ……)
どうしてなのかはわからない。
ただ、はっきりしているのは――この村が、普通じゃないということだった。
その時、足音が減ったような気がして振り返ると、ノクスが足を止めている。
険しい顔で、村の中を睨むように見つめていた。
「……妙な感覚だ……気持ち悪ぃ」
一言呟くと、ノクスは胸元に手を当て、服の上から何かを握る。
その途端、顔から一瞬にして血の気が引き、バランスを崩し膝をついた。
「ノクス!?」
ヘリオスが驚いて駆け寄る。
それに反応するようにシュゼルも振り返り、ノクスを見た。
額を押さえながら俯き、肩を上下させている。
荒く不規則な呼吸を繰り返しながら、込み上げる吐き気に耐えていた。
(……な、んだこれ……ありえねぇ……)
先程の光景に息を荒げていると、シュゼルが近くまで歩み寄り、他者に聞こえないよう静かに尋ねる。
「……何が、"見えた”んだ?」
その声に、僅かに顔を上げた。
真っ青なその顔に、明らかに異常があったとわかる。
しかし、その返事を聞く前に、後ろから声をかけられた。
「旅の方……ですか?」
細く、それでいてはっきりと響いたその声に、ヘリオスたちは振り返る。
そこには二十歳くらいの痩身の女性が、いつの間にか立っていた。
「ご気分が優れないのでしたら、こちらでお休みください」
そう言って、ついてくるように促す。
正直、この村はおかしいと、頭ではわかっている。……が。
みんな、あまりいい状態ではない。
一度休んだ方がいいだろうと、彼らは女性について行った。
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住人らしい女性の案内で通されたのは、村の奥にある一軒家だった。
特に居住者はおらず、誰かが訪れた時には宿として使ってもらっていると説明された。
屋根は新しく、壁も綺麗で、軒先には風に揺れる鉢植えの花が並んでいる。
けれど、どこか違和感を拭えない。
扉を開けると、そこには確かに生活の匂いがあった。
食器は丁寧に片付けられ、床は塵ひとつないほど磨かれている。
椅子や机も手入れがされていて、誰も住んでいないとは思えなかった。
……最近、他にも誰か訪れたのかもしれない。
その時ふと仲間以外の気配を感じ、ヘリオスは思わず室内を見回した。
誰もいないのに、誰かがいるような感じがするのは、気のせいだろうか。
「どうぞ、お寛ぎください。飲み物もすぐにお持ちしますから。
二階には寝室もございますので、お休みの場合はそちらへ」
女性が静かにそう言って部屋を出ていったあと、一瞬だけ沈黙が流れた。
「……まあ、休める時に休んでおこう。正直、体がだるい」
カルロはそう言って階段を見上げる。
他の皆も、無言で寝室があるという二階を気にかけた。
ノクスだけがまだ、壁にもたれて立っていたが、顔色はやや戻ってきている。
「……おれも、少し寝たい。……気配がなんかぼやけてっけど、まあ……何かあったら気づく」
ウィスカがぼそりと呟いて、丸くなるように毛繕いを始める。
「ルナ、……あなたは?」
そう尋ねると、ルナリアは迷わず答えた。
「船長の隣で待機します」
その言葉に少しだけ安堵したような表情を浮かべたシオンは、いつの間にか滲んでいた額の汗を拭う。
「……私も、ちょっと……寝たいかも」
そう言って、シオンは二階に上がっていき、ルナリアもそれに続いた。
二階には部屋が三つ並んでいて、深く考えず右端のドアを開ける。
こじんまりした部屋の中に、ベッドが二つ置かれていた。
シオンはその一つに横になると、ぼんやりと目を閉じる。
布団の感触は柔らかいのに、背中から冷気が染み込んでくるような、そんな奇妙な寝心地だった。
(よくわからない。何も考えたくない。ただ……少し、寝たい)
誰かが見ている気がする。
けれど、目を開ければ何もない。
そんな感覚を抱えたまま、
シオンの意識は、じわじわと深く沈んでいった。




