3.海賊船での船員テスト
「……は?」
不意を突かれたような、拍子抜けしたようなシオンの声が、闇夜に溶けた。
ヘリオスもぽかんとしている中、ウィスカは早足でシュゼルに近づく。
「おいシュゼル、突然何言ってんだ」
「……」
シュゼルは答えず、ただ静かにシオンの返事を待っていた。
シオンは一歩距離を詰めると、腰に手を当て、じっと彼を見上げる。
「船に、ね……。あなた、海賊になりたいようには見えないけど」
平民の服を着ているが、その立ち振舞いも、滲み出る雰囲気も、貴族のそれだ。
そんな人間が、海賊に興味なんて持つだろうか。
シオンはあからさまに怪訝そうな顔をするが、シュゼルは何も言わずにシオンを見つめる。
乗せてほしいという意志だけは、静かに、確実に伝えていた。
引きそうにない様子に、シオンはやや大げさにため息をつくと、手をひらひらと振りながら踵を返した。
「まあいいわ。乗りたいって言うなら、ついて来なさい」
「……いいのか?」
理由も聞かず承諾するシオンに、シュゼルが不思議そうに問いかける。
すると、シオンは半眼で振り返りながら言った。
「海賊船に乗りたいなんて言う奴、どうせ訳アリばっかりよ。いちいち理由なんて聞かないわ」
その整った顔に冷めた笑みを浮かべつつ、彼女は続ける。
「それに、まだ“仲間”にするって決めたわけじゃないからね。……乗るなら、守ってもらうルールがあるの」
そう言いながら、シオンは指を三本立てた。
「ひとつ、爺様……船主のテストに合格すること。
ふたつ、船員同士の詮索は禁止。
みっつ、船長命令には基本逆らわないこと。
これを守れないなら、諦めてもらうわ」
聞きながら、シュゼルは頷く。
船において船長に従うのは当然だし、他の仲間たちのことを詮索するつもりもない。
唯一、気になるのは「船主のテスト」という言葉だった。
「要は、爺様に認められた人だけが乗れるってことよ。会わないことにはテストできないから、まず船に向かいましょう」
言うだけ言うと、シオンは海の方角へと歩き出す。
その背を見ながら、シュゼルはヘリオスに向かって手招きした。
まだ状況が飲み込めていないヘリオスは、彼に問いかける。
「どうして急に?海賊船に乗せてなんて……」
もっともな疑問だ。
ウィスカも「おれもさっき質問したぞ」と言わんばかりの目で見上げてくる。
シュゼルは声を潜めながら、二人に向かって言った。
「……ヘリオス、海が見たいと言っていただろう」
「え?あ、うん、言ったけど……」
予想外の言葉に、ヘリオスが目を丸くする。
すると、シュゼルは小さく微笑んだ。
「森の奥ですら危険であるとわかった以上、ずっと閉じこもっているわけにもいかない。ならいっそ、世界中を見て回るのも悪くないと思ったんだ」
シュゼルの言葉に、ヘリオスは納得したように頷いたが、ウィスカは腑に落ちていないようだった。
彼の肩にひょいと飛び乗ると、ヘリオスに聞こえない声量で聞く。
「……で?本当の目的は何だよ」
答えるまで降りる気のなさそうなウィスカに、シュゼルは前を見たまま返事をした。
「暗殺されたはずの殿下が生きていると、奴らに気づかれている。国内にいれば、どこであろうと刺客が送られてくるだろう。だったら、海に出ていた方が安全だ。ーー海賊は、不本意だが」
最後の方は、消えるような声で少し苦々しく呟いた。
だがそれでも、ヘリオスを守れるならという苦渋の決断だったのだ。
そんなシュゼルの様子にあくびで返すと、ウィスカは羽を動かし肩から降りる。
「まあ、お前の行動原理は全部ヘリオスだから、あいつに不利益なことはしねーって思ってたけどな」
おれはヘリオスといられれば、それでいい。
そんなニュアンスを残しながら、ヘリオスの所に戻るウィスカを横目で見ていると、前を歩くシオンが足を止めた。
海岸に着いたようだ。
「あれが、私の船『ガーネット』よ」
海岸から少し離れた所に停泊している大型船を指さしながら、シオンは言った。
想像していたより、よほど立派な船である。
闇夜の中、月明かりにだけ照らされたその船が、どこか儚いように見えたのは気のせいだろうか。
「結構距離あるけど、どうやって乗るの?」
ヘリオスが不思議そうにシオンに尋ねると、彼女は何事もなさそうに答えた。
「飛べばいいのよ」
「……飛ぶ??」
この中で飛べるのはウィスカだけでは?
そう思っていると、周囲の風が動くのを感じた。
「さあ、行きましょうか。大人しくしてないと落ちるわよ」
そう言われてシオンを見ると、何故か彼女の目はエメラルドのような緑色に輝いていた。
驚いている間もなく、ヘリオスたちの身体が風に乗るように宙に浮き、船に向かって飛び始めた。
「え、これ、魔術??でも飛行ってかなり難しいんじゃ……」
「……いや、これは魔術ではないな」
ヘリオスが初めての飛行感覚に驚きつつもちょっと楽しそうにしていると、シュゼルは真剣な眼差しで呟いた。
魔術は発動する時、多かれ少なかれ魔光を放つはずだ。
それに多少でも魔力感知能力があれば、発動時に魔力の流れを感じることもできる。
しかし今、そのどちらもなかった。
「それにあの緑の目、これはーー風の響術だ。まさか君は、『風の波継』の資質を……?」
響術や波継といった聞き慣れない言葉に、ヘリオスの頭の中に「?」マークが飛び交う。
質問を受けたシオン本人は、ちらっとシュゼルを振り返ると、小さく笑って言った。
「詮索禁止、って言わなかったかしら?」
その言葉に、シュゼルは言葉に詰まる。
確かにそうだ。
シオンがどんな力を持っていようと、それを聞く権利は自分たちにはない。
「ーーまあ、私も何で使えるのか知らないけどね」
小さく呟いたその言葉は、海風にさらわれてヘリオスたちに届いたかは定かではない。
そして船の甲板に到着すると、術を解除する。
暗くて見えづらいが、かなりしっかりとした作りの船のようだ。
ヘリオスが無意識にキョロキョロと周囲を見渡していると、甲板の向こう側から少し低音の女性の声がした。
「船長、戻られたんですか」
黒く長い髪を揺らしながら現れたのは、長身の美女だった。
頭には赤いバンダナを巻き、パンツスタイルの船員服を着ている。
宵闇の中で、ウィスカと似た金色の瞳が一際輝いていた。
「ただいまルナ、遅くなってごめんね。寝てても良かったのに」
「いえ、私は寝る必要ないので。船の見張りを続けてます」
「え、寝なくて大丈夫って……」
思わず出たヘリオスの言葉に気づいた女性は、彼らに一瞥をくれたあと、まるで危険物を見るような視線を落とした。
「……あの、船長。この人達は?」
「船員候補よ。これから爺様に会いに行くの。合格したらまた紹介するから」
怪訝そうにこちらをもう一度見たあと、彼女はシオンに一礼してその場を去った。
淡々としていて、あまり喋り方に抑揚もなく、何だか機械的な雰囲気がある。
女性を見送ったあと、改めてヘリオスたちに向き直ったシオンは、船尾にある扉に向かって歩き出し、付いてくるよう促した。
「ここが爺様の部屋よ」
そう言って、シオンは扉を叩く。
「爺様、入るわね」と返事も聞かずに扉を開けると、中にいたのは身体の小さな老人だった。
真っ白な眉毛と長い顎髭、頭頂部に毛は生えておらず、しかし耳より上の高さからは床につくほど長い白髪が生えていた。
以前ヘリオスが本で読んだ、極東の民族衣装のような羽織物を着たその老人が、「船主」なのだろうか。
「こんな時間にごめんなさい、爺様。こいつら、船員にしてもいいと思う?」
爺様こと船主の横に腰掛け、シオンが話しかけると、船主はゆっくりとヘリオス達の方を向く。
そして一人ひとりを順番に見たあと、ふっと笑った。
「うん、いいよ」
頷く船主にシオンも頷き返すと、立ち上がってヘリオスたちに言う。
「じゃ、合格」
「「「………は???」」」
あまりにわけが分からない展開に、三人は意図せず声を揃えてしまった。
謎のテスト。