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17.戻った場所に待っていたもの

氷雪の大陸を離れ、数週間。

空は晴れ渡り、気温もすっかり上がっている。


心地よい風を受けながら、シオンはふとマストを見上げた。

少しくたびれたようなその姿に、頬に手を当て思う。


……少し、休ませてあげた方がいいかしら。


最近、ちゃんと船を休ませてない気がする。

氷雪の大陸では数日停泊したものの、環境のせいもあり、あまり休ませられてない。

そのせいで、元気がないように見えるのかもしれない。


「どうかした?」


シオンが悩んでいると、甲板に出てきたヘリオスに声をかけられた。


「ちょっとね、船の元気がないみたいだから、少し休ませたいと思って」

「……元気がない??」


まるで、船を生き物のように扱う言い方に、ヘリオスが首を傾げる。


「ええ。最近あまり休ませてないから、調子がイマイチな気がするのよ」


真剣な顔のシオンは、冗談を言っているようには見えなかった。

実際、道具や乗り物も、稼働させっぱなしだと劣化が早まって壊れやすくなると聞いたことがある。

そのため、適度に休ませることが必要だと。


シオンは生まれた頃から、ずっとこの船に乗っているらしいので、愛着から船の痛みや劣化を「疲れている」と表現しているのかもしれない。


「でも、次の目的地までまだ遠いし……」


そう呟くと、シオンは舵輪の近くで地図を見ていたレイジのもとへ走った。


「ねえレイジ。一旦航路を変更して、船を休ませたいんだけど。この辺りでいい場所ありそう?」


休められるなら、いっそ小さな島でもなんでもいい。

しかし、しばらく停泊させるなら、物資の調達もできた方が都合が良かった。


近くに丁度いい場所はないかと、地図を横から覗き込みながら聞く。


「あ、それでしたら、オレの故郷がこの近くにありますよ。この、カグルっていう辺境伯領です。今いるのがこの辺なんで、航路を変えれば明後日の夜にはつけます」


レイジが的確に地図を指差すと、シオンは感心しつつ聞き返した。


「一週間以上停泊させられる場所はありそう?」

「この辺りの海岸なら、大丈夫だと思います。大きな船が来ることもないですし、邪魔にはならないはずですよ」

「確か、海賊に対する規制も大してなかったわよね」


この間のグレイシャ帝国のように、「海賊」というだけで問答無用で処罰対象になる国もある。

以前この周辺に来たことがあるが、記憶している限りでは、取り締まりは厳しくなかったように思えた。


「そうですね。少なくともオレが住んでた頃は、特になかったと思います。海賊に限らず、現行犯に対しては厳しいですけど」


つまり、そこで何かしでかさなければ、問題ないということだろう。

それを確認して、シオンは言った。


「うん、じゃあ目的地変更。カグルに向かいましょう」


早々に決断を下し、シオンは他の船員にも伝えに行った。

その判断の速さに驚きつつ、ヘリオスはレイジを振り返る。


「ねえ、レイジの故郷ってどんな場所?」


カグル領の名前は知っているが、街の雰囲気まではさすがにわからない。

何気ないヘリオスの質問に、レイジは空を見上げ、少し考えてから答えた。


「そうですね……栄えてる方だと、思いますよ。まあまあ大きい街ですし、商人の出入りも多くて賑わってるというか」


一瞬、彼の瞳が曇った気がした。


故郷に行くことを提案したのはレイジ本人だが、実はあまり帰りたくないのだろうか?

その視線に気づいたのか、レイジは少し気まずそうに言う。


「いや、オレ、ちゃんとした挨拶もなしに街を出てきたんで……幼馴染が怒ってないかな、と。忙しいやつだから、留守かもしれないですけどね」


それだけ言うと、彼は方角の再確認を始めた。

どこか歯切れが悪い感じがしたが、追求はしないことにする。

本当に幼馴染との再会が気まずいだけかもしれないし、話したくないことを無理に掘り起こしたくはなかった。






ーーーーーーーーーーーーーーーーー






「あれ、船長は今回降りないの?」


今回シオンが船から降りない話を聞いて、ヘリオスは首を傾げる。


「ええ。私は船の確認があるから残るわ。物資の調達はカルロに頼んでるし、あんた達も出港までは好きにしてていいわよ」


おそらく、停泊中にメンテナンスなどを行うのだろう。

何か手伝うことはあるかと聞けば、問題ないというので、ヘリオスたちはカグルの街を散策することにした。


ヘリオスが船室に戻り準備をしていると、ウィスカがシュゼルに小声で問いかける。


「……おい」

「何だ?」

「いいのかよ。ヘリオスを何度も船から降ろして」


元々隠れるように森に住んでいたことを考えると、こんなにも人目にさらすことは大丈夫なのかと思ったようだ。

森にいた頃、買い出しはすべてシュゼルが行っており、ヘリオスは人里に出たことがない。

そこまで人目を避けていたのに、この行動の差は理解し難いのだろう。


「……不安がないわけではない。だが、こうして国を離れ、移動を続けている限り、すぐに刺客に見つかることはないだろう。それに──」


シュゼルはそっとヘリオスに視線を移す。

新しい土地に着くたび楽しそうにしている彼を見て、複雑そうな笑みを浮かべた。


「彼は、本来閉じ込めておくべき人ではない。色々なものを見て、様々な経験をしてほしいと思っている」


隠し、危険なものから遠ざけ、守りたい気持ち。

自由に経験を積み、視野を広げてほしい気持ち。


どちらも本物で、葛藤はある。


それでも、よりヘリオスが笑顔でいられる方を選んだのだ。


「めんどくせぇ野郎だな」


理解できないとばかりに、ウィスカはヘリオスに近づくと肩に跳び乗る。

その様子を見ながら、シュゼルはひとりごとのように呟いた。


「理解など、最初から求めていない。私は、ただ信じる道を進むだけだ」


荷物を手に取ると、準備を終えたヘリオスと共に船室を後にした。






ーーーーーーーーーーーーーーーー






港に船を停め、桟橋を渡ると、風に運ばれてくるのは潮の匂いではなく、香辛料や焼き菓子の甘い香りだった。


ヘリオスは、思わず周囲を見回す。


街そのものは小さくないが、大都市というほどでもない。

だが、道沿いには色とりどりの布地を使った露店が並び、行き交う人々の会話が絶えない。


果物に陶器、装飾品に仕立て屋──

どれも漁村で見たような生活感あふれる売り物とは少し違い、品揃えや陳列にもどこか洒落た雰囲気が漂っていた。


「……賑やかだね」


思わず零れた言葉に、すぐ隣のシュゼルも「そうだな」と短く返す。


カルロは調達物資の相談をしてから出かけるというので、今降りてきたのはヘリオス、シュゼル、ウィスカ、レイジ、それから……少し離れたところを、ノクスが歩いていた。


「何で、ノクスは離れて歩いてるんだろ」

「あまり連れ立って歩くのが好きではないのだろう。だったら一緒に降りなければいいものを」


……むしろ、何でシュゼルはノクスにそんな冷たいんだろう?


記憶の事情を知らないヘリオスは首を傾げたが、ふと、どこかから向けられる視線に気づく。


目を向けても、誰が見ていたのかはわからない。

けれど、確かに何かの“気配”が背中を撫でる。


その時耳に届いたのは、小さく、けれどはっきりした声だった。


「……あいつ、帰ってきたのか」

「なんだ、生きてたのか?」


男か女かもわからない、低く抑えたその声。

決して歓迎する調子ではなかった。


ーー帰ってきた、ということは、その”誰か”が見ていたのは……


思わずレイジに声をかけようとすると、先に彼の方から振り向いた。


「幼馴染の家に行こうと思うんですけど、よければ一緒に行きませんか?」


柔らかい笑顔だった。

けれど、ほんの一瞬、目元と口元が同時にぎこちなく動いたように見えた。


ヘリオスが何か言いかけるより先に、レイジはそっと目を細め、すぐ前を向いて歩き出す。

その背中を見送るように、ヘリオスもまた黙って後を追った。



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