16.休暇ではなく"任務"として
「……もう一度言ってみろ」
貴賓室より倍以上広く、豪華な作りの部屋の中で、アイゼルは言う。
物は多くないが、一つ一つが厳選された品の良い調度品ばかりが揃う部屋。
その部屋の中央に位置する、見た目も手触りも段違いの生地で作られたソファに腰掛け、足を組む。
整いすぎたその顔で、目の前に立つノクスを睨むその姿は、常人ならば意識を飛ばしかねない威圧感だった。
「ですが陛下……」
「アイゼルだ」
間髪入れず被せてきた声に、ノクスは顔をしかめた。
そして諦めたように小さく息を吐くと、静かに声を出す。
「……アイゼル」
やや躊躇いがちに、それでもはっきりと、ノクスは言った。
呼ばないと、多分話すら聞いてもらえない。
アイゼルが頷いたのを見て、ノクスは続ける。
「どうしても俺は、あいつらの旅をもう少し見届けたいです」
ヘリオスたちを貴賓室に案内した後、ノクスが来たのはアイゼルの私室だった。
この部屋に自由に足を踏み入れられるのは、基本的にはノクスだけである。
専属の使用人ですら、限られた時間しか入室を許可されていない。
そんな場所で、一人で威圧を受けながら、ノクスはこれまでの経緯を説明したのだった。
ーー二年前に暗殺されたはずの第三王子に再会したこと。
ーー彼が今は、王子として生きていないこと。
ーーその生き方を見極めるために、もう少し旅についていきたいこと。
海賊船に乗っていることは、当然伏せている。
話せば同行を完全否定されるか、海賊としてこの場で切り捨てられるかの二択だろう。
いや、完全否定は、現在されている最中ではあるが。
「無断で休暇を延ばした挙げ句、更に旅に出たいとは、いい度胸じゃねぇか。自分が何言ってんのか理解してんだろうな」
ヘリオスたちの前で話していたような、威厳を感じる皇帝としての口調から一転。
荒々しい言葉遣いに変わっていた。
これが、彼の本来の話し方のようだ。
「理解は、してます」
「……」
ノクスの返答に、アイゼルは一度沈黙する。
そしてため息をつき、窓際へと歩いて雪の降りしきる外を眺めた。
「……そもそも貴様の休暇だって、生きてるかもしれない第三王子を探すためだったんだろ」
アイゼルの言葉に、ノクスの肩が揺れた。
やはり、気づかれていた……と思う。
第三王子こと、アリウスが暗殺されたと聞いたのは二年前。
あまりの衝撃に確かめる事も出来ず、無心で職務に専念していたが、半年ほど前に生きている可能性があると偶然耳にしたのである。
すでにこの国で重役についているノクスが、他国の王子の安否を確認しに行くことなどできるわけがない。
だから、休暇という名目で国を出て、彼を探しに行ったのだ。
本当なら、再会した時点で終わるはずだった。
だが彼の状況は予想の範疇外で、とても納得できず、放置など出来ない。
自分のわがままであることは十分に理解はしている、が……
「……貴様は、この国の現状がわかってんのか」
「………」
黙りこむノクスに、静かな声でアイゼルは言う。
「かなり改善されたとは言え、やるべきことはまだ山積みだ。進めている改革も、調査も、終わりが見えてるわけじゃねぇ」
わかっている。
アイゼルが即位してから、どれだけ迅速にこの国の改革が進められてきたか。
腐った癒着を洗い出し、城内人事を見直し、国民の生活改善にも尽力した。
荒れていた国内は目に見えて良くなっていき、街には活気が溢れ始めた。
古参の貴族の反発は大きかったが、圧倒的な実力と手腕でアイゼルがねじ伏せた。
それでも、腐敗をすべて取り払ったわけではない。
変えていかねばならぬ事柄は、多く残っている。
更に、彼には……どうしても許せないことが、あった。
「……奴らの尻尾を、まだ掴むどころか見ることも出来てねぇんだ」
絞り出すような声に、ノクスが顔を上げる。
「あんなこと、二度と起こすわけにはいかねぇんだよ!あんな、あの娘が受けた悲惨な最期を……っ!奴らを消さねぇ限りは、何度だって同じことが起こりかねねぇんだ!」
ーー思い出したくもねぇ光景が、頭にこびりついたまま離れねぇ。
声を上げることすらなく
ただ黙って処刑場に連れて行かれた
あの目が、忘れられないーー
先程までの静かな雰囲気とは打って変わり、激昂を抑えようともしないアイゼルに、ノクスの胸が軋むような音を立てた。
(まだ、そこまで心を縛ってたのか……)
三年ほど前だろうか。
アイゼルが即位する一年前、一人の少女の処刑が決まった。
それは、この国のスパイとして働いていた娘だった。
人体実験の被験体にされ、過酷な任務に何度も赴き、挙げ句失敗を理由に処分された少女。
アイゼルは当時、人体実験の存在を知らなかった。
知っていたのは前皇帝と、実験を行っていた組織のみ。
スパイの存在は知ってはいたが、どんな人物かまでは、皇太子だった彼にも伝えられてはいなかった。
偶然、断罪されている現場を見るまでーー……
アイゼルに非があるわけではない。
それでも、皇太子でありながらあまりに無知だった自分に、悲惨な処分を止められなかった自分に、激しい怒りを抑えられなかった。
国内の実験組織は既に潰している。
だが、本拠地は別の国にあることがわかっていた。
根本を潰さない限り同じことが繰り返されるとわかっていても、他国のことではなかなか調査が進まない。
どの国であるか限定できないのならば、尚更だ。
調査員を各国に送ってはいるが、あまりいい情報は得られていなかった。
アイゼル本人はどうしても国内の事を優先させなくてはならないこともあり、調査は滞っている。
だから、ノクスの協力が必要だった。
これまで、調査の統括を任せていたのである。
心から信頼している彼にしか、頼めない仕事だった。
それなのに、それが終わらぬうちに他のことに気を取られているとなれば、アイゼルの怒りも最もだった。
ノクスは今は、「アルナゼル王国第三王子の従者」ではなく、「グレイシャ帝国皇帝の側近」なのだから。
「……それなら、俺に統括ではなく、現地調査の仕事をくれませんか」
「……は?」
ノクスの言葉に、アイゼルが怪訝そうに聞き返す。
(このまま引き下がれば、何も変わらない。
ならばせめて、今の自分にしかできないやり方でーー)
「あいつらは、世界中を旅しています。これまでも、いくつかの国に立ち寄りました。……そこで、俺が例の奴らの調査もします」
調査員の情報をまとめるのではなく、自らが調査する。
組織の目星もついてない以上、様々な国を回りながら調べるのはやり方としては間違っていないはず。
場合によっては、現地の調査員と情報交換も出来る。
ノクスの提案に、アイゼルは一度、顎に手を当て思案する。
そしてーー挑発的な笑みを浮かべた。
「……随分それっぽい理由を思いついたもんだな」
「……」
彼はノクスの前に立つと、その美しい瞳で相手を見据えながら言う。
「おもしれぇ。そこまで言うなら、やってみろ」
休暇は終わりだ。
これからは”任務”として行ってこい。
アイゼルの言葉に、ノクスは膝をついて頭を下げた。
「……仰せのままに」
「ただし……」
「!?」
突然、背中に強い痛みを感じて、体勢を崩しかける。
思い切り背中を踏まれているのだと気づくまで、ほとんど時間はかからなかった。
「全部終わったら、必ず戻ってこい。俺様の所にな」
二人の時にしか出ることのない、“素の一人称”。
踏みにじるような命令の形をとっていても、それは、確かに願いだった。
背中の痛みに顔をしかめながらも、ノクスは顔を上げると小さくーー不敵に笑った。
「……了解しました、クソ皇帝殿」
視線が合った瞬間、見おろすアイゼルの目に執着に似た思いが滲んでいるのを、静かに感じながらーー
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貴賓室のヘリオスたちに声をかけ、城を発つ話をする。
結局ついてくるのか……という、シュゼルの視線は気にしないことにした。
「もう話は大丈夫なのか?」
「ああ、問題ねぇ。仕事は増えたがな」
長居は無用とばかりに歩き出すノクス。
すると、城を出たところで後ろから声をかけられた。
「……おい」
聞き間違えようのない声に、足が止まる。
振り返ると、想定通りの人物が腕を組んで立っていた。
何度見ても存在感だけで圧倒する力を持つアイゼルは、ノクスの前まで歩を進める。
「先ほど、挨拶は終えましたが」
「渡しておきたいものがあってな」
不遜な態度を気にもとめず、アイゼルは手を差し出す。
その手の中には、小さな首飾りが握られていた。
銀色の細い鎖の先に、淡い水色の魔晶石がついている。
シンプルだが美しいデザインだった。
「……何ですか、これは」
受け取り、光にかざしてみると、覗き込んだ中が虹色に輝いている。
見たことのない魔晶石だ。
その言葉に、アイゼルは得意げに言う。
「首輪だ」
「お返しします」
「冗談の通じない奴だな」
半眼になりながら即座に突き返すノクスに、アイゼルは不敵に笑う。
絶対に冗談じゃねぇだろ、というノクスの視線は無視して、アイゼルは続けた。
「……貴様の”魔眼”を、抑える効果がある」
顔を近づけ、ノクスにだけ聞こえるような小さい声で囁く。
その単語に、ノクスの目が見開かれた。
魔眼、というのは、アイゼルが付けた名称だった。
魔力を”見る”ことが出来るノクスの能力から、そう名付けたのである。
変装している相手であろうと見抜くことができ、魔術の特性もおおよそ予想できるこの能力は非常に強力ではあるが、見えすぎるのが弱点だった。
人の多いところでは視界がぼやけることもあるし、情報量が多すぎて混乱することもある。
以前よりだいぶ制御できるようにはなったものの、不便を感じることがなかったとは言えない。
それを相談した覚えはないのだが、どうやらアイゼルは職務と並行して研究をしていたようだった。
「魔眼を使いたい時は、魔晶石を握れば一時的に効果はなくなる。これで少しはマシになるだろう」
アイゼルの言葉を聞きながら、ノクスは手の中の首飾りを見つめる。
ーー寝る間も惜しむほど忙しいくせして、何で俺なんかのために時間を使ってんだ。
「……暇人」
「ほう?いい度胸だな、誰に物を言っている」
苦し紛れの皮肉に悠然と微笑む彼に苦笑しつつ、ノクスは首飾りを身につけた。
その途端、身体が僅かに軽くなったような感覚を覚える。
そして、目の前の人物に再び目を向けるとーー生まれた時から見え続けていた”それ”が姿を潜めた。
人の顔も、形も、魔力のせいで見落としてたわけじゃない。
全部見えてたはずだ。
けど、彼の周りを覆っていた、美しく膨大な魔力が消えた瞬間。
“マジで綺麗な顔してんな”なんて思ってしまった。
ーー絶対言わねぇけど。
「いえ。ありがたく使わせてもらいます」
言いながら、ノクスは首飾りをローブの中にしまった。
本人に自覚はないが、僅かに緩んだ口元。
そんな表情を見て満足げな顔をしたあと、アイゼルは踵を返す。
去り際、ヘリオスに一度視線を向けた。
目が合った瞬間、ヘリオスは慌てて頭を下げる。
その姿に、アイゼルは小さく微笑む。
扉が閉まる音を聞いて、ヘリオスはそっと顔を上げた。
背中がひんやりしているのは、きっと雪のせいだけじゃない。
「……なんか、綺麗すぎてこわい……」
「ただの顔面詐欺野郎だ。性格は最悪だぞ」
「一応主だろう。口が過ぎないか?」
シュゼルの言葉に、ノクスは「そのうち不敬罪で斬られるかもしれねぇな」と返す。
冗談とも、本気ともとれる声色で。
表情こそ変えていなかったが、ここに来る前よりも少しだけ……
ノクスの雰囲気が和らいでいることに、ヘリオスは気づいていた。