15.突然の奇襲、その正体は
一年中、雪と氷に閉ざされた大地。
険しい山々と凍てつく海に囲まれたこの大陸には、ただひとつの国しか存在しない。
それが――グレイシャ帝国である。
帝都を中心に、いくつかの小さな町が点在するこの国は、かつて軍事大国として他国に名を轟かせた。
現在もその武力は健在だが、近年では新たな資源――魔晶石の採掘と応用技術によって、産業国としての道も歩みつつある。
極寒の地にありながら、彼らの暮らしは凍てつかない。
それは、帝国が選び取った“変革”の象徴でもあった。
船から降り、初めて降り立った氷の大地は、肌を突き刺すような空気だった。
「寒……っ。それにすごい雪だね」
小さく肩を震わせながら、ヘリオスが言う。
「ノクス、帝都までどれくらいかかるんだ?」
「歩いたら二日はかかるな」
「え?じゃあ、出港に間に合わないんじゃ……」
不安そうに聞くと、ノクスは「歩くかよ」と言って手をかざす。
すると、その手の中に小さな光とともに杖が現れ、地面に向けながら言った。
「この国には、何ヶ所か転移用の魔法陣が設置されてんだ。登録者以外は扱えねぇがな」
それを使えば帝都まですぐに行けるらしい。
大陸内でしか使用できないが、移動手段の限られているこの地ではかなり重宝されていた。
ノクスの杖先から光が出ると同時に、足元に魔法陣が展開される。
僅かな浮遊感に思わず目を閉じたが、次の瞬間、目を開けると眼前の景色が一変していた。
大地と山しかなかった景色から、大きな都市へと移動したのである。
「街中もすごい雪だけど……思ったより、寒くないかも?」
雪はやはり多く、寒さは感じるものの、海岸に降りた時の凍てつく感覚はなかった。
ノクスは歩を進めつつ、ヘリオスたちに言う。
「それは魔晶石の効果だ。温暖効果のあるやつが、町のあちこちに埋め込まれてんだよ。帝都だけじゃねぇ、地方都市も同じだ」
ノクスの言葉に、シュゼルは周囲を見渡しながら感心したように頷く。
「建物の中だけでなく、街灯や広場の地下にも設置されているようだな。一定以上の寒さを感知すると、自動で魔力が発動する仕組みだと聞いたことがある」
「へぇ……魔晶石って、そういう使い方ができるんだ」
以前読んだ本では、魔術を発動させる際の補助に使うことが一般的とされていた。
あまり生活に密着したイメージがなかったので、意外だったようだ。
「昔は兵器ばっか作ってた国だったが……今の皇帝が、変えた。即位してから、生活用魔道具の開発を推進して、子供や老人の生活も随分マシになったっつー話だ」
「……だから、こんなに人がいて、笑ってるんだ……」
通り過ぎる建物の中からは、度々笑い声が響いている。
広場では子供たちが雪合戦に興じ、商店の前では人々が立ち話をしている姿も見えた。
吐く息は白いが、空気にはどこか柔らかなぬくもりがあった。
「今の皇帝って、どんな人なんだろ。住んでる人たちのこと、すごくよく考えてるんだな〜」
ヘリオスの感想に、ノクスが一瞬表情を強張らせる。
それを見たヘリオスは、首を傾げた。
「ノクス?」
「……民のことを考えてるのは、否定しねぇが……」
言いながら、ノクスは歩を進めた。
段々と街外れに近づいていく姿に、どこに向かっているんだろうとふと疑問に思う。
建物の間を抜け、周囲が再び雪と氷の景色になった頃、ヘリオスは聞きたかったことを思い出した。
「ノクスは転移魔法陣に登録されてるんだよね?もしかしてこの国の……」
言いかけたところで、身体が痺れるような何かを感じヘリオスは言葉を止めた。
いや、痺れたんじゃない。
森で、シオンが現れたときにも感じた、響くような感覚ーー
「ちっ」
ノクスは一度舌打ちすると、杖をかざして結界を展開する。
次の瞬間、無数の氷の柱がヘリオスたちを襲ってきた。
結界で防いだものの、威力が強すぎる。
ノクスは更に、追い打ちをかけるような魔力の流れを感知すると、強度を上げるために局所的なシールドを複数展開した。
多方面から飛んでくる鋭い氷の矢が、そのシールドに当たり砕ける。
「何だこれは……まさか……」
「いや、狙いはヘリオスじゃねぇよ」
一瞬刺客を疑ったシュゼルに、ノクスは即座に答えた。
刹那、視界の端に、闇のようなフードが揺れる。
結界のひび割れに追い打ちをかけるように、刃が横から迫って――
ノクスは杖を構え、刃を弾いた。
特殊な加工が施されたその杖は、そう簡単に折れることはない。
だが、相手の力は重く、杖ごと押し込まれる。
……一歩、二歩、三歩。膝が、雪に沈む。
フードの男は膝をついたノクスの喉元に剣を向け、声を出した。
「……随分長い”休暇”だったな」
よく通る、低い声。
空気を震撼させるような強さのある言葉の後、男はフードを外した。
青みがかった、輝く銀色の髪。凍てつくような青い瞳。
生物というよりは芸術品のような、あまりに整ったその容姿に、思わず息を呑む。
目を離せなくなるような美しさを持つ男は剣を収めると、ノクスの胸ぐらを掴み無理やり立たせた。
「無断で延長とはいい度胸だ。貴様は私の所有物としての自覚が薄いのではないか?」
至近距離で悠然と笑う男から目をそらすと、ノクスは眉をひそめ、舌打ち混じりに呟く。
「……人をモノ扱いすんじゃねぇよ、俺様クソ皇帝が」
「おい、聞こえているぞ毒舌根暗野郎」
かなりの小声だったが、距離が近いのではっきり耳に届いたらしい。
「皇帝」と呼ばれた男は睨むように目を細めたものの、機嫌が悪くなったわけではないようだった。
皇帝の姿にヘリオスが言葉を失っていると、シュゼルが呟く。
「あの容姿、それにあの実力……。なるほど、彼が”氷雪の美帝”と呼ばれる、アイゼル・ネイヴェル・グレイシャか」
シュゼルの言葉に反応し、皇帝ことアイゼルはノクスから手を離した。
胸ぐらを掴まれ背伸び状態だったノクスは、急な開放感にバランスを崩しかけたものの、なんとか体勢を保つ。
「……あいつは」
アイゼルの氷のような瞳がヘリオスを捉え、ヘリオスは一瞬肩を震わせた。
シュゼルが静かに間に入ると、アイゼルは無言でノクスを見る。
バツが悪そうに黙っているノクスにため息をつくと、アイゼルは言った。
「まあいい、一度城へ戻るぞ。貴様らもついてこい」
マントを翻しながら、ノクスだけでなくヘリオスたちにもそう告げた。
突然の城への誘いにヘリオスが困惑する中、ノクスはアイゼルに聞く。
「おい、何でヘリオスたちまで……」
アイゼルは答えず、視線だけをノクスに向けた。
その無言の圧にノクスは言葉を詰まらせたあと、ヘリオスたちを振り返る。
「……皇帝命令だそうだ。行くぞ」
逆らえるわけもなく、ノクスは彼に続く。
シュゼルは警戒をしていたが、ここで皇帝に逆らうのはかなり分が悪い。
この場は素直に従っておこうと、ヘリオスとウィスカとともに二人の後をついていくことにした。
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見渡せないほど大きな城の中に通され、ヘリオスは萎縮したようにシュゼルの後ろを歩く。
ウィスカを抱きかかえているのは、緊張を抑えるためだろう。
対して、シュゼルはまったく緊張していないのか、いつも通り冷静な態度のまま。
こんな広い城で堂々と歩く幼馴染に感心しつつ、通された貴賓室の中に入った。
「俺は陛下と話があるから、ここで待ってろ」
ノクスはそれだけ言うと、部屋を出た。
残されたヘリオスは、一度深呼吸した後、改めて部屋の中を見る。
豪華な調度品に包まれたその部屋は、ソファに座るのも憚られるほどだった。
汚すのが怖いのだろう。
しかしシュゼルは、立って待つのも疲れるから、とヘリオスに座るよう促す。
「無理やり連れてこられたんだ。座るくらい何の問題もない」
「何でそんなに落ち着いてられるんだろ……」
自分だけ緊張しているのが不思議だと言わんばかりに、ヘリオスが問いかけた。
実際、シュゼルは国は違えど城で生活していたので、慣れている。
ただし、記憶のないヘリオスにそれがわかるわけもなかった。
それにしても……と、ヘリオスは思う。
「すごい迫力だったね……あの人」
アイゼルの姿を思い出しながら呟いた。
その容姿のみならず、立っているだけでも他者を圧倒するようなオーラ、息が止まるような眼光。
そして、恐ろしく強かった。
「確かにな。彼は容姿が注目されやすいが、この軍事国家を率いるだけの実力者でもある」
響術と魔術は、発動条件が全く異なる。
その二つを状況に応じて組み合わせるなど、相当な集中力とセンスが必要だった。
「あの一瞬で響術と魔術を使い分けてたってこと?それに、剣まで……」
「……ああ。だが、それを“当然”のようにこなすのが、あの皇帝だ」
まだ響術について理解しきってない部分はあるものの、驚愕するには十分だった。
それにノクスの話では、産業発展および国民の生活改善は、現皇帝の功績だという。
政治手腕にも優れているのは明白だった。
響術、魔術、剣術に優れ、更に頭脳明晰で容姿も完璧……
(敵に回したら恐ろしそうだな……ノクス、よく無事だったなぁ……)
改めてアイゼルの姿を思い出していると、ふとノクスの立場についても疑問が生じ、ヘリオスは口を開いた。
「そういえば、ノクスって皇帝陛下と知り合いだったのか?普通に話してたよね」
「普通……かはさておき、近しい立場であることは間違いないだろう」
先程のやり取りを普通と言っていいのか少し悩んだが、特に突っ込まないことにしたシュゼル。
ノクスがこの国でどういう立ち位置なのかまでは知らなかったが、転移魔法陣を使用できることやアイゼルの態度からして、蔑ろにされていることはなさそうだった。
むしろ、優遇されているのかもしれない。
「僕のこと知ってるから、同じ出身地なのかと思ってたけど、何かこの国の人っぽいし。よくわからないなぁ……」
「それは……正確には、生まれは私達の国だ。ただ訳あってこの国に来たのだろう。詳細は私も知らない」
それは、事実だった。
ノクスは五年前のある日、突然何の説明もなく姿を消した。
大人たちから他国への奉仕が決まったとだけ聞いたが、当時の自分は詳細を聞ける立場になかったのである。
一緒に過ごしていた時のことを話すと、記憶が戻る引き金になりかねないのであまり話したくはないが、矛盾を抱えたまま悩ませるのも良くない気がした。
だからシュゼルは最低限の情報だけ話す。
「……色々あるんだなぁ」
難しいとばかりに目を閉じて天井を仰ぐヘリオスに、「気にする必要はない、事情は人それぞれだ」と軽く流した。
(それに、今気にすべきはーーそこではない)
さっきの、アイゼルの視線。
おそらく彼は、ヘリオスの正体に気づいたのだろう。
直接会ったことはないはずだが、アイゼルの立場ならば他国の王子の絵姿を目にしていてもおかしくない。
ノクスの目的にも気づいていただろうし、結びつけるのは容易かったと推測できた。
(あの場で言わなかったということは、追求する気はないのかもしれないが……警戒しておくに越したことはないな)
そう心に決めて、シュゼルもヘリオスの近くに腰掛けた。