11.君が話してくれるまで
注目を浴びてしまった以上、そのまま店の中には居づらくなって、ヘリオスたちは外に出た。
ベルナルドだけは先に船に戻ると言っていたが、シオンとカルロはヘリオスと一緒に待つことにした。
近くの木陰に移動し、だんだん日の傾いてきた空を見上げる。
潮気を含んだ風を浴びながら、ヘリオスが心配そうに店の二階を見上げると、シオンが聞いた。
「ねえ、本当にあの男のことは知らないの?」
ーーあっちは知ってるみたいだったけど。
そんなニュアンスを含む問いかけに、ヘリオスが答える。
「うーん、知り合い……だったのかも、しれない。でも違う名前で呼ばれたしなぁ……」
「だったのかもしれない?」
ヘリオスの微妙な言い方に、首を傾げるシオン。
少し考えたあと、ヘリオスは彼女を見て言った。
「僕は、……二年以上前のことは、何も覚えてないんだ」
唐突な言葉に、さすがのシオンも目を丸くする。
ウィスカは知っていたのか、黙ってヘリオスを見上げていた。
「僕達の住んでた村が、野盗に襲われたらしくて。生き延びたのはシュゼルと僕だけだったらしい。その時、沢山の人が殺される姿を見て、そのショックで記憶が飛んだんだろうって言ってた」
シュゼルから聞いたことを、そのまま伝える。
その後はずっとあの森で過ごしてきた。
あの日襲ってきた野盗も、村を襲った連中だったのかもしれない。
だけどーー……
「……正直、違和感は……ある」
うつむきながら、ヘリオスは小さく呟いた。
「あの日襲ってきた奴らは、野盗と呼ぶには強すぎたし、シュゼルの名前も知ってた。村を襲った犯人だったとしても、名前までちゃんと知ってるのは、少しおかしいよね?
さっきのあの人も……僕のこと”アリウス”って呼んだけど、でも人違いしてる感じでもなかった」
違う名前を呼ばれた瞬間は、人違いだと思った。
でも、あの確信に満ちた瞳や、シュゼルの態度を見ると、とてもそうとは思えなかった。
「……シュゼルに確認しないの?」
シオンの問いかけに、ヘリオスは少し考えたあと、首を横に振る。
「シュゼルが僕に隠し事をしてることは、何となくわかってた。最近、それが特にはっきりしたってだけで。
でもシュゼルはいつも僕を優先して、考えてくれてる。だから話さないってことは、今は話せないってことだと思うんだ」
話せる時が来たら、きっと話してくれる。
だから、今は自分からは聞かない。
ヘリオスはそう言った。
シオンからすると、ちょっとだけ意外だった。
てっきりヘリオスは、何の疑いもなくシュゼルの言葉を受け入れているのだと思っていた。
しかし実際は、何か隠し事があることには気づいている。
気付いた上で、それでも信頼し、相手のタイミングを待っているのだと。
「思ったより、色々考えてるのね……」
「えっと、僕のこと何だと思ってたの?」
「見た目通りのふわふわ頭?」
シオンはヘリオスの柔らかい金髪を見ながら言った。
だがおそらく、この「ふわふわ」は頭の中身の話だろう。
何気に酷い物言いにヘリオスが苦笑すると、シオンは笑って言った。
「ごめんね。まだ付き合いも浅いし、そう見えちゃってたのよ。でも見直すわ」
いたずらっぽい笑みに、ちょっとだけドキッとする。
胸の奥がくすぐったくなるような、不思議な感覚に首を傾げていると、店の扉が開く音がした。
話を終えたのか、シュゼルとノクスがこちらに向かって歩いてくる。
ヘリオスが顔を上げると、ふたりの表情は張り詰めていたが、先ほどのような緊迫感は和らいでいるように見えた。
「おかえり」と声をかけると、シュゼルが軽く頷き、ノクスはしばし迷った末に、ヘリオスではなくシオンに向き直った。
何?という感じで見上げてくるシオンに、ノクスは一度間をおいてから口を開く。
「……頼みがある」
「……は?」
シオンはあからさまに眉をひそめる。
この態度のまま何を頼むのかと警戒しつつも、ノクスの言葉を待った。
「俺を、あんたの船に乗せてくれ」
その一言に、空気が固まる。
カルロが「は?」と呟き、ヘリオスが目を丸くする。
ウィスカはちらっと一瞥したあと、興味なさげに横を向いた。
「……ちょっと待って。あんた、さっき私のこと“子供”だの”ままごと“だの言ってたわよね?」
シオンの声が、静かに鋭くなる。
「あれだけ言っておいて、“乗せてください”って? あんた正気なの?」
先程より低い、機嫌が良いとは言い難いシオンの物言いに、ノクスは臆することなく視線を返す。
「……あんたのことは、正直好きじゃねぇ。けど、それとこれとは別だ」
「ふぅん?」
「アリ……いや、“ヘリオス”の生き方を、近くで確かめたい。それだけだ」
あの後、店を出るまでの間に、シュゼルに言われたことがあった。
あくまで、今はアリウスを”ヘリオス”と呼ぶこと。
無理に記憶を呼び起こそうとしないーー「王族」という事を明かさないということ。
それが守れないなら、切り捨ててでも同行を認めないという言葉に、渋々頷いたのである。
ーーヘリオスの横で彼の生き方を見極められるなら、そのくらいの条件は飲もう、と。
真っ直ぐでぶっきらぼうな言葉に、シオンが少し目を見開き、ふっと小さく笑う。
「……なるほど。私もあんたの顔や性格は好きなじゃないけど、まっすぐすぎて、逆に笑えてきたわ」
言いながら、彼女は指を一本立てた。
「でもね、うちの船はそんな簡単じゃない。誰でも乗れるわけじゃないの」
シオンの言葉に、ノクスが眉をひそめる。
「……どういう意味だ」
「乗りたいなら、テストを受けてもらうわ」
「……テスト?」
乗船テストということだろうか。
そんな物があるのかとシュゼルに視線を向けると、彼は小さく頷いた。
怪訝そうなノクスに対し、シオンは続ける。
「そう。あの船は私が仕切ってるけど、“船主”は別にいるの。その人に認められなきゃ、誰も乗せられない」
シオンは港の方を指差す。
「あんたが爺様……船主に気に入られるかはわからないけどね。受ける気があるなら、ついてきなさい」
「……ああ。受けてやるよ」
挑発的なシオンに頷くと、ノクスはその背を追う。
ヘリオスたちもその後に続きながら、カルロはふと立ち止まり、日の沈みかけた空を見上げた。
(また賑やかになりそうだな……)
そんな事を考えながら、再びシオンたちに続いて船に向かう。
夕陽がゆっくりと傾いていく。
その下、港の船へ向かう足音が、新たな波紋を広げていくのだった。