93.伝えるべきこと
ノクスは帝国へ戻る前に、どうしてもやっておきたいことがあった。
それは、シオンやルナリアと改めて話をすることだ。
城を出た彼は、彼女たちが泊まっているという宿に向かう。
(とにかく、ちゃんと言わねぇと……)
あの時はつい感情が先走って、伝えたいことを上手く口に出せなかった。
今度こそ落ち着いて、必要なことだけを伝えたい。
そう思っていると、宿の近くで街の子供たちと話しているシオンを見かけた。
助けたことへのお礼だろうか。
どこかで摘んできたらしい花をもらって、嬉しそうに笑っている。
その笑顔がとても眩しく見えて、咄嗟に目を逸らした。
すると、子供たちを見送ったシオンが、立ち尽くす彼に気づく。
「……何してんの?」
声をかけられて、ノクスはハッと我に返り、シオンに視線を戻す。
さっきまでの笑顔はなく、怪訝そうな顔をしていた。
ノクスはバツが悪そうに躊躇ったあと、しかしはっきりと言う。
「ミレ……いや、ルナリアに話がある」
その言葉にシオンは眉を寄せたが、ノクスは続ける。
「あいつが嫌がることは、絶対にしねぇ。話す時も距離は保つ。ただ、どうしても、……伝えたいことがあんだよ」
彼の真剣な表情に、シオンはやや表情を緩めた。
そして少し考えたあと、ノクスを見上げて言う。
「……仕方ないわね。ルナにお願いしてみるわ」
「いいのか?」
「頼んでおいて驚かないでよ。ただし、あの子が嫌がったら諦めて」
ノクスが頷くのを見て、シオンは宿の中へ入っていく。
どれくらい待っただろうか。
十分、二十分……いや、五分も経っていなかったかもしれない。
ただその待ち時間が、やけに長く思えた。
宿の扉が開いて、再びシオンが出てくるまで、張りつめた緊張が続いていた。
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話を聞くだけなら、と了承してくれたらしいルナリアの部屋に、ノクスは向かう。
シオンは「私が聞いていいのかわからないから、部屋の前で待ってる。でも危なそうならすぐ止めに入るからね」と念を押した。
普通に話す分には外に声は漏れないが、あの時のように声を荒げれば、さすがに聞こえるだろう。
そうしたら問答無用で乗り込むということだった。
「わかった」
ノクスの返事を聞いて、シオンは部屋の扉を叩く。
「ルナ、入るわよ」
扉を開けると、ルナリアが奥の椅子に腰掛けていた。
既に緊張気味だった彼女は、ノクスの姿を見て更に表情を固くする。
「何かあったらすぐ呼んで。近くにいるから」
「……はい」
まるで俺が、悪さでもしに来たみてぇじゃねぇか……
そんな風に感じたが、前科があるので仕方ない。
むしろよく許しが出たとすら思う。
シオンが部屋から出ていったのを見たあと、改めてルナリアに向き直った。
「……この間は、悪かった」
一言目に出た謝罪に、ルナリアが動きを止める。
先日とは違う落ち着いた声にも、緊張が僅かに緩んだようだった。
「別に、お前を帝国に連れ戻すつもりはねぇ。ただ、その、陛下に――」
そこまで言ったところで、途端にルナリアの表情が変わる。
思えば、この間も"陛下”という単語に過剰反応していた。
まさか……と、ノクスは思う。
アイゼルが即位したのは、ミレナの処刑から一年後のことだ。
つまり、彼女のとって”陛下”とは、自分を処刑台に送った男を示しているのだろう。
そこから誤解があったのだ。
「……お前、アイゼルは覚えてるか?」
「アイゼル……?」
あまり思い出したくない記憶を、必死に呼び起こす。
聞いたことは確かにある。
そうだ、あの処刑が決まった日。
部屋に入ってきて、反対したあの人のことを、皇帝は「アイゼル」と呼んでいた。
幼き日に目にした、あの眩しい人の名だと、ようやく思い出した。
「あの時は皇太子だったが、今はあいつが皇帝だ。先帝……あいつの父親は、もういねぇ」
その言い方に、帝位を降りただけでなく、既にこの世にいないのだと悟る。
「今の皇帝陛下ーーアイゼルは、ずっとお前を助けられなかったことを悔いてる。人体実験に使われたことも、スパイとして切り捨てられたことも、全部。だから、せめてあいつにだけは……お前が無事に生きてることを、伝えさせてくれねぇか?」
ノクスの願いはそれだけだった。
あの時助けられなかった少女が、今は無事に、そして幸せに生きているのだと。
それをアイゼルに教えたかったのだ。
連れ戻す気も、処刑する気も、当然ない。
先帝も組織も消えた今、彼女を追い詰めるものもない。
だから生きていることだけは、伝えさせてほしいと。
ルナリアはまだ困惑しているようだったが、やがて小さく頷いた。
「……あの人に。伝えるだけ、なら……」
その声はまだ震えていたが、拒絶の色はない。
ルナリアの返事に、ノクスは安心したように表情を緩める。
「ありがとな。十分だ」
初めて見せたノクスの柔らかな雰囲気に、ルナリアの緊張もようやく和らいだようだった。
そして、小さな声で言う。
「……あなたのこと、誤解していたと思います。申し訳ありません」
「お前の立場なら当然だろ。気にすんな」
自分を殺そうとした国の人間が来て、しかもあんな勢いで迫られれば、怯えて当然だ。
話が終わったノクスは長居は無用とばかりに、荷物を手に取る。
「時間取らせて悪かったな。じゃあ、俺は行く」
「……お気をつけて」
言いながら扉に向かうノクスに、ルナリアは小さく声をかけた。
聞こえるかどうかギリギリの声量だったが、静かな部屋では確かに耳に届いた。
彼は小さく頷くと、部屋を後にする。
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部屋から出ると、腕を組んで壁に寄りかかっていたシオンと目が合った。
「話は出来たみたいね」
「ああ」
淡々と言うシオンに、ノクスも短く答える。
何でもなさそうにしているが、どこかソワソワした様子から、内心では気が気じゃなかったのだと察せられた。
ルナリアが本当に大切にされていることに、ノクスは安堵を感じつつ口を開く。
「……正直、お前が了承してくれるとは思わなかった」
あの時、あれだけ怖がらせたんだ。
今度も門前払いを食らっても文句は言えねぇと思ってた。
すると、シオンはしれっと答える。
「はっきり言って、嫌だったわよ。でも……あんた、嘘つかないでしょ。意外と真面目だし」
旅の中で見てきたノクスの人となり。
少なくとも、ルナリアをこれ以上傷つけるような真似はしないと信じられた。
あの時のことを許したわけではないが、彼への信頼がないわけでもない。
否定する気にもなれず、ただ口を噤んだノクスに、シオンは問いかける。
「もう行くの?」
「ああ。面倒くせぇ奴を待たせてるからな」
そう言いながらも、声にはどこか吹っ切れたような明るさがあった。
彼はシオンに向き直ると、言いづらそうに躊躇いつつ切り出す。
「……お前には、感謝してる。船に乗せてくれたことも、街を守ってくれたことも。……そして、ルナリアと話をさせてくれたことも」
ノクスからの御礼の言葉に、シオンは目を丸くしたあと、苦笑する。
「あんたが素直にお礼言うと、気持ち悪いわね」
「本当に可愛くねぇな……」
せっかく真面目に伝えたのに微妙な反応をされ、ノクスは顔を顰めた。
すると、シオンは肩をすくめながら言う。
「可愛くなくていいわよ。まあ、あんたが私を可愛いなんて思う日は、一生来ないでしょうね」
「……」
ノクスは黙って顔を背け、小さく呟く。
「……んなわけねぇだろ」
「え?」
「なんでもねぇ。じゃあな」
踵を返し、階段を下りていく背中はどこか慌ただしい。
胸にじわりと滲む熱の正体に、気づかないまま。
今度こそ、帝国へ帰るべく足を進めた。
ようやく誤解を解くことが出来ました。