表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/115

【番外編】氷雪に定められた立場

ノクスがグレイシャ帝国に着いた時の物語。

皇太子アイゼルとの出会いと、二人の関係の始まりです。

氷雪の大陸は、噂通り雪が降り続ける極寒の地だった。

魔術による温暖な空気を全身に纏ってはいるが、それでも冷気を感じるほどである。


ノクスはアルナゼル王国から同行してきた護衛役と船で別れ、代わりに待っていたグレイシャ帝国の使いと合流した。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


やや年老いた印象を受ける男性使用人に促されるまま、馬車に乗り帝都へと向かう。

足場の悪い雪道にも関わらず、あまり揺れは感じない。

上質な馬車を用意してくれたのだろう。


(表向きの扱いは、整えてんだな)


どこまでも続く雪景色を窓から眺めながら、そう思った。

帝都に着くまで、二人の間に会話はなく、時間だけが過ぎていく。


次第に、白銀で埋め尽くされた景色に別の色が混じり始める。

やがて視界の先に、帝都の輪郭が浮かび上がった。

入口には、要塞を思わせる無骨な門が聳え立ち、その冷たさが空気ごと迫ってくる。

一度馬車が止まり、門番の確認を受けた後、街中へと再び走り出す。


帝都の街並みは、ひどく静まり返っていた。

石造りの大きな建物が整然と並んでいるが、その立派さとは裏腹に、どこか寂寥を帯びている。


外を歩く人影はまばらで、声ひとつ聞こえない。

胸の奥まで染み込むような寒さは、気温のせいだけではないように思えた。


「これでも、少しは改善された方なのですよ。……皇太子殿下の御尽力により」


ノクスの表情から何かを感じ取ったのだろう。

不意に発せられた声に、ノクスが顔を向ける。

使用人は再び外の景色へ視線を戻すと、静かに言葉を紡いだ。


「民の声に真摯に耳を傾け、出来得る限りの改善を重ねてくださっております。……ただ、それでも――」


言い淀んだ言葉。

理由は察しがつく。


先ほど、使用人は"皇太子殿下の御尽力”と言った。

この国では皇帝が絶対だ。皇太子一人の力では、根本を変えることなんて出来ないのだろう。

しかし"暴君"と他国まで噂が届く男の息子でありながら、皇太子は意外と人格者なのだろうか。


少し、興味が湧いた。


「……皇太子殿下は、どんな方なんだ?」


ノクスが問いかけると、使用人は少し表情を綻ばせる。


「とても、素晴らしい方です。民はもちろん、我々使用人にも心を砕き、親身になってくださる。冷たい印象も持たれやすいですが、多くの者があのお方を慕っております」


どこか誇らしげに語ったが、次の言葉を口にする前に、ふと視線を伏せて影を帯びた。


「ただ、優秀すぎて、一人で背負い込んでしまわれるところがあります。才知においても、武勇においても殿下と並ぶ者はおりません。せめて、少しでも心を許せる存在がいてくだされば……」


そこまで言うと、使用人ははっと気づいたように口を閉ざした。

己の立場をわきまえ、これ以上は語るべきではないと悟ったのだろう。

わずかに曇った表情を残したまま、沈黙が落ちた。


しかし次期皇帝がそんな人間なら、この国の未来はそれほど暗くないのではないだろうか。

この国で生きていく限り、その希望は確かに意味を持つ。


(暴君の代で、国を潰さねぇ限りはな)


口にすれば極刑に処されかねない――そんな考えを胸に、馬車の中は再び沈黙に包まれた。






ーーーーーーーーーーーーーーー






王城の中は、凍りつくような冷たい外観とは異なり、暖かな空気に包まれていた。

到着するなり支度もそこそこに、休む間もなく謁見の間へと連れて行かれる。

重厚な扉をくぐれば、深紅の絨毯が敷かれた先に、玉座が聳えている。

そこに腰掛ける皇帝は、姿を目にしただけで強烈な威圧感に押し潰されそうだった。


青みがかった銀髪は短く切り揃えられ、氷のような青い瞳は鋭く光る。

「視線で人を殺せる」――それはまさに、この男のための言葉だと思った。


壁際に並ぶ重鎮たちの視線が突き刺さる中、ノクスは皇帝の前で膝をつき、深く頭を垂れた。

許しが出るまでは、声を発することなどできない。

それ以前に、この圧に満ちた空間で自ら声を発する勇気など持てるはずもなかった。


長い沈黙ののち、皇帝が口を開く。


「貴殿の名は、ノクスと言ったな。この国に尽くす意志はあるか?」

「ーーはい」


短く答える。肯定以外の言葉など存在しない。


「では、貴殿は国のために何ができる?」


一瞬、言葉に詰まる。

覚悟していなかったわけではない

だがこの雰囲気だと、返答次第では戦場に放り込まれるか、最悪その場で斬られるーーそんな気さえした。


(戦場は、……ジロジロ見られて、陰口叩かれるよりは、まあ、まだマシか)


そんな考えが頭をよぎった瞬間、咄嗟に顔を上げる。

視界の端で皇帝がわずかに眉をひそめたが、それはノクスに向けられたものではなかった。

彼も感じ取ったのだ。この部屋全体に、一瞬で張り巡らされた”共鳴波”を。


ノクスは即座に結界を展開する。

次の瞬間、空気を裂く音と共に無数の氷の礫が襲いかかってきた。

結界に弾かれて砕け散った氷片は魔力を帯び、鋭さを増していく。

それを察知したノクスは結界を解き、打ち消しの魔術式を構築した。


だが量が多すぎる。威力も桁違いだ。

全てを消し去る事はできず、残った礫が集まり巨大な矢となって、一直線に迫る。


咄嗟に身体の前へ防御壁を張り出す。

氷の矢はぶつかった瞬間、轟音と共に砕け散り、霧のように消え去った。

だが威力があまりにも凄まじく、砕けた魔力の残滓が爆ぜるように弾け、衝撃波となって空間を薙ぎ払う。


鈍い衝撃が防御壁を突き抜け、ノクスの身体を容赦なく吹き飛ばした。

背中から石壁に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜ける。

ゴウッ、と空気そのものが震えたかのような轟きが響き渡り、周囲の重臣や貴族たちは顔を引きつらせて息を呑む。

誰一人身じろぎすら出来ず、恐怖に足を縫い止められたかのようだった。


「私の攻撃を受けて無傷とは、やるではないか」


場を支配していた重苦しい沈黙を断ち切るように、やや低い澄んだ声が響く。

大きな声ではないのに、不思議と謁見の間の隅々にまで染み渡った。

揺れる視界の中、その声の主を捉えた瞬間、ノクスの瞳は縫いとめられる。


そこに立っていたのは、一人の少年だった。

髪と瞳の色は皇帝によく似ている。

だが、その顔立ちはあまりにも整いすぎていてーーまるで芸術品のような美貌に、呼吸さえ忘れた。


しかしそれ以上に目を奪われたのは、彼の纏う魔力だった。

氷のように鋭く澄みきった輝きを放ち、その量も桁違いに多い。

アリウスの魔力も透き通っていて美しかったが……“質”そのものがまるで異なる。


「悪ふざけがすぎるぞ、アイゼル」


絡め取られていた視線を、皇帝の声が解いた。

アイゼルーーこの国の皇太子。

圧倒的な存在感に、そうだろうと薄々思ってはいたが、その名で確信した。


「申し訳ございません、父上。少々、この者に興味がございまして」


恭しく一礼したあと、アイゼルはノクスに歩み寄り、真正面で立ち止まる。

思わず身を引こうとしたノクスの足を、彼は躊躇いなく踏みつけ動きを封じた。


「っ……!」


痛みに顔を顰め、睨み上げるノクス。

だが、不敵な笑みを浮かべたアイゼルと目が合い、視線を逸らす間もなく、その笑みはさらに深まる。


「貴様が気に入った。私の側近になれ」


思考が一瞬で凍りついた。

頭が真っ白になり、意味を理解できない。

そんなノクスをよそに、アイゼルは皇帝を振り返る。


「構いませんよね、父上。()()は私が貰っても」


一見すれば許可を乞う言葉。

だがその声音には、揺るぎない決定の響きがあった。 皇帝もそれを理解しているのだろう。


皇帝は短く息を吐き、「好きにするがいい」とだけ言い残すと、公務のために謁見の間を去った。


広間に、重苦しい沈黙が落ちる。

誰もが言葉を失う中で、アイゼルだけが平然とノクスを見据えていた。


「そういうことだ。今日から私の所有物(もの)になってもらう」

「……モノ扱いかよ……」


側近だの所有物だのーーどっちなんだ、と頭が混乱する。


(本当に、こいつがあの使用人が言っていた"皇太子殿下”なのか……?)


かなりの人格者だと語られていたが、今目の前にいるのは高圧的で、常識を嘲笑うような少年だ。

とても同一人物とは思えない。


「お待ち下さい殿下!そのような者を側近になど」


沈黙を破ったのは、宰相派の重鎮の一人だった。恰幅の良い身体を揺らし、声を張り上げる。


「そのような者?こいつは友好国の代表だ。身分は証明されている」


冷ややかに答えるアイゼルに、男は怯みつつも食い下がった。


「ですが、殿下の側近はいずれ共に国を背負うことになるのです。当然、この国の者を選ぶべきでは」

「国を支えるならば、より有能な者を選ぶべきではないのか?」

「そ、それは……」


言葉を失う重臣に、アイゼルは口の端を上げる。

その笑みひとつで空気が張り詰め、場にいた者たちは背筋を粟立たせた。


「確か、お前は子息を私の側近に推薦していたな。……会ってやってもいいぞ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。今と同じ攻撃を受けてーー生きていたら、考えてやろう」


無傷である必要はない。

譲歩のように聞こえるが、彼にとっては“生き残れる者がいれば”という、まずあり得ぬ前提を置いただけだった。


歓喜に歪んだ重臣の顔が、一瞬で蒼白に凍りつく。

若干十四歳でありながら、アイゼルはこの国で最も強い存在。

剣術も、魔術も。さらに響術さえも自在に扱う。

先程の攻撃を受けてなお耐え抜ける者など、この場にいない。

国全体で見ても、数えるほどだろう。

当然、彼の息子に勝ち目など、ほんの僅かも存在しなかった。


「納得したなら、この話は終わりだ。……おい、行くぞ」


アイゼルの声に応えるように、ノクスが立ち上がる。

その時、重臣の口が「人質風情が……」と動くのを読み取った。

今さら気にするまでもない。知っていたことだ。


だがアイゼルはその男に一歩近づき、小さく囁く。


「皇族の所有物に手を出したら、どうなるか……わかっているな?」


冷や汗を滲ませる男を一瞥すると、もはや取るに足らぬとばかりに視線を逸らし、ノクスを連れて謁見の間を出ていく。

振り返ることなく、悠然とした足取りで、その場を圧するように去っていった。





この瞬間、ノクスの立場は決定づけられたーー“皇太子の側近”として。


正直、酷い扱いを覚悟していた。

だが実際は、仕事量こそ異常に多いものの、意外にも常に「対等な人間」として扱われた。

所有物(もの)などと呼んでおきながら、尊重すべきところは尊重する。

成果を出せば認め、褒め言葉も惜しまない。


ただ……時折、肩を乱暴に叩かれたり、平然と頭を掴まれて引き寄せられたりもした。

他の誰にも見せない荒っぽさでありながら、それはまるで長年の仲間に向ける仕草のようでもあった。

理不尽に思えるはずなのに、不思議とそこには「心を許している」気配が滲んでおり、ノクス自身も戸惑わされた。


使用人の語った“人格者”とは随分印象が違う。

けれど、少なくともーー悪い人間ではなかった。


(……何より、俺の存在を否定しない)


妙な居心地の良さに気づくまで、そう時間はかからなかった。



ずっと前から考えていたエピソードでしたが、ようやく形にできて嬉しいです。

アイゼルは立場上、本編にはあまり登場しませんが、その存在はノクスや物語に強い影響を与えている重要なキャラクターです。


本質的には人格者ですが、ノクスに対してだけは遠慮なく俺様な一面を見せます。

その振る舞いが、奇妙な居心地の良さと、二人ならではの関係を生み出しているのだと思います。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

次はいよいよ最終章となります。

最後までお付き合いいただけましたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ