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87.王の器、ここに

再び隠し通路に入り、慎重に進む。

だが、歩き始めて間もないうちに、今度はウィスカが足を止めた。


「……この辺り、妙に人の気配が多い」


ヘリオスたちも立ち止まり、ノクスが魔力探知の範囲を広げる。

やがて、眉をひそめた。


「玉座の間の方だな。この感じだと、宰相たちもいそうだ」


全員の魔力を把握しているわけでは無いが、ノクスにとって覚えのある魔力が多い。

どうやら、王国の重臣たちが一堂に会しているらしい。

彼の言葉に、ヘリオスは首を傾げる。


「玉座の間?何でそんなところに……」

「概ね即位の件で集まっているのだろうが。……既に国王気取りということか」


シュゼルが低く呟き、一時の沈黙が走る。

どちらにせよ、今しかない。


「……急ごう」


ヘリオスが足を速めたその時、ふと手元がわずかに震えた。

その様子に気づいたシュゼルが、一歩近づいて声を潜める。


「大丈夫か?」


その声に、ヘリオスの動きが止まった。

振り返らなくてもわかる、彼がどんな表情をしているのか。


“アリウス”にとって、異母兄たちは決して心穏やかに会える存在ではない。

あれほどの冷遇を受け続けていれば、当然だろう。

簡単に払拭できることではない。どれほど決意を固めても、近づくにつれ不安が押し寄せた。


シュゼルは少し考えた後、懐から何かを取り出し、ヘリオスに差し出す。


「渡すべき時を考えていたが……今のようだ」


ヘリオスは、彼の手にある華奢な銀の首飾りを手に取る。

鎖の先には、深い緑の宝石があしらわれていた。


「これは……?」

「セレーナ様から預かっていた。いずれ君に、と」


その名前に、ヘリオスは目を見開く。


「母上から……」


首飾りを見つめた後、確かめるようにそれを握りしめる。

宝石から伝わる温かな魔力に包まれ、気づけば震えは止まっていた。


改めて顔を上げると、そこには信頼できる仲間の姿がある。

皆、信じてついてきてくれたのだ。

ーーいったい、何を恐れていたのだろう。


手の中で首飾りの宝石が、ほんの一瞬、淡く光った気がした。

まるで彼の背を押すように。

ヘリオスは胸の奥の重さを吐き出すように息を洩らすと、小さく笑った。


「行こう。決着をつけるために」


前に進む。ただ、その意志だけを瞳に宿して、再び歩き出した。







ーーーーーーーーーーーーーー






玉座の間へと続く回廊は、凍りついたような静寂に包まれていた。

高い天井。赤い絨毯。陽の入らぬ石の壁に、武勲の証とされる古い旗が並ぶ。

その先にある重厚な扉の向こうから、かすかに複数の話し声が漏れていた。


「この部屋、十人以上はいそうだぞ」


ウィスカが低く呟き、ノクスが意識を集中する。

中にいる人間を再確認するために、先程よりも精度を上げた。


「マジで濃い気配が集まってんな。……宰相と王子も、間違いなくいる」


緊張が走る中、ヘリオスは深く息を吐き、隣のシュゼルへ視線を送る。

その仕草には、一歩を踏み出す覚悟が滲んでいた。

彼の従者は、そっと頷く。


「……行くよ」

「ああ」


シュゼルは一歩だけ後ろに下がり、従者としての立場を崩さぬまま、主を護るべき位置に立った。

ノクスとウィスカは、扉から少し離れた柱陰に身を隠す。

まずは二人だけの方が、相手も油断するだろう。そう打ち合わせていた。


「俺たちはここで様子を見る」

「……油断すんなよ」


小さく囁き交わし、二人は部屋に近づくと、扉の前で動きを止めた。

ヘリオスが扉に手をかける。

石と鉄が軋み、低く響く音が回廊に広がった。

張り詰めた空気を切り裂くように、扉は押し開かれていく。


玉座の間にいた者たちが、一斉に振り向いた。


重臣や上位貴族、軍団長といった重鎮、そしてその中央ーー

第一王子が玉座に座り、冷ややかな視線を送ってきた。

そのすぐ隣には、あの宰相。

いつものように抑揚のない笑みをたたえている。


「おや、これはこれは。お久しぶりですね、アリウス殿下。いえ……今はヘリオス、でしたか」


声に皮肉が滲む。

ここに来ることを知っていたかのように、まるで動揺がない。

それに、ヘリオスの名を知っている。現状は調査済みということだ。

周囲の動揺の少なさを見ても、上層部には"アリウスの生存説”が浸透していたようだった。


だがヘリオスは、臆することなく歩を進めた。

ゆっくりと、絨毯の上をまっすぐに。

そして中央に至ると、真正面から第一王子と宰相を見据えた。


その後ろ、一歩引いた位置に、シュゼルが粛然と控えている。

まるで王に仕える騎士のように、感情を動かさず、主の側に立っていた。


「今日ここに立ったのは、この国の未来を、俺自身の手で守るためだ」


ヘリオスの言葉が、玉座の間に強く響く。

その澄んだ声色に、もう迷いはなかった。

敬語も、遠慮もいらない。

かつて「アリウス」と呼ばれた少年は、今ここに「ヘリオス」として立っていた。

シュゼルはすべてを知った従者として、ただ静かに、その背を守る。


「この国の未来を守る、とは?」


第一王子が、わざとらしく首を傾けて問い返す。

その隣に立つ宰相は、薄く笑みを浮かべたまま、何も言わない。


「言葉の通りだよ」


ヘリオスが続けようとした、その時だった。


「ふん、たかが“落ちこぼれ王子”が何様のつもりだ? 庶民崩れが玉座の間に顔を出すとは、何とも恥知らずな」


侮蔑と嘲りに満ちた声が響いた。

発したのは、宰相の側近らしき年配の侯爵。

その発言に、周囲が一瞬静まり返る。


そしてーー刃が走った。


誰も気づかなかった。風すら鳴らなかった。

ただ、侯爵の前髪が一筋、音もなく床に落ちる。


頬にかすかな冷たさを感じた侯爵は、青ざめた顔で身をすくませた。

命が今、刃先の一寸手前にあったことを、本能が理解していた。

静まり返る空間の中、ヘリオスの背後から一人の男が進み出る。


シュゼル・アストリアン。


整いすぎた顔立ちと、常人には捉えられぬ剣速。

侯爵を見据えるその瞳は、感情のない氷のような色をしている。

その存在がもたらすのは、沈黙すら凍りつくような威圧感だった。


「侯爵“ごとき”が、我が主の言葉を遮るとは……随分と勇ましいことだ」


彼もまた、魔術師を輩出する名門・アストリアン公爵家では“落ちこぼれ”とされた。

だが剣の才においては、騎士団長すら凌ぐと、誰もが気づいていた。

それを口にできる者は、誰一人としていなかったが。


構えなどしない。ただ、その一撃が“事実”として残されたのみ。

動く理由すら与えられず、侯爵はただ震えるしかなかった。


誰も動けなかった。軽口さえ挟めない。

ただ静かに、空気が一変していた。


ヘリオスが、僅かにシュゼルを振り返る。

その視線に、シュゼルは流れるような動きで頭を垂れ、彼の背後に戻った。

所作には一切の乱れも、迷いもない。


ヘリオスは頷くと、宰相たちに再び向き直る。

そして、懐から書類の束を取り出した。


「このような行いをする者に、国を任せることはできない」


そう言って差し出された証拠に、重鎮たちは目を奪われる。


リヴァレーナ王国の貴族との契約書。

合成獣の取引記録。

……そして、第一王子を「英雄」として即位させるための、筋書きそのもの。


文書を目にした彼らはざわめき始めた。

「なぜそれを持っているのか」という驚き。

そして、「そんな計画があったのか」という困惑。


明らかに動揺を隠そうとする者と、驚愕に言葉を失う者。

反応は二つに割れ、玉座の間には不協和音のようなざらついた気配が満ちていった。


第一王子が目を伏せる。

崩れそうな表情を押し殺し、唇を噛み締めている。


「国民をわざと危険にさらすなど、正気の沙汰とは思えない。しかもその犠牲を、即位のための道具にするなんてーー」

「だから、何だというのです?」


周囲が混乱する中、ただ一人、宰相だけが平然としていた。

それはもう、開き直りに近いといえる。


「国王の支持率は高い方が、国は安定します。そのために多少の犠牲が出るのは、当然のことです。

 民などいくら死のうと、国のためになれば良いではないですか」


あからさまな冷酷すぎる理屈に、どよめきが走った。

反論もできず、ただ目を逸らす者もいる。

玉座の間には、どこか焦げたような緊張感が漂いはじめていた。


だが、それでも誰も逆らわなかった。

宰相が今、絶大な権力を握っていることは、彼らが最もよく知っている。


宰相は、にやりと笑いながら言った。


「第一、国民とやらが大事なら、こんなところで“おしゃべり”をしている場合ではないのでは?

 今頃、街では魔物が徐々に暴れ出している頃でしょう」


段階的に被害を拡大し、最後に“見せ物”として大型の合成獣を討つ。

その筋書きは、すでに始動している。宰相は、そう言いたいのだろう。


だが。


ヘリオスは、わずかに口角を上げた。

初めて、宰相の表情がほんの僅かに揺れる。


「……何がおかしいのですか?」

「残念だけど、街に大きな被害は出ないよ」


ヘリオスは一歩踏み出すと、堂々と宰相と第一王子を見据えた。


その顔に浮かんだのは、これまで誰もーーシュゼルすら、見たことのない。

自信と覚悟に満ちた、誰もが息を呑むような笑みだった。


「俺の頼もしい仲間たちが、そこにいるから」


そこに立つ青年は、彼らの記憶にある"アリウス”とは、まるで別人のようで。


確固たる信頼を感じさせる、その言葉に。その姿に。

まるで光に魅せられたかのように、誰一人として彼から目を逸らせなかった。



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