1.風に運ばれた手配書
静かな森の木々が風に揺れて、陽の光を地面に運ぶ昼下がり。
青年は大きく深呼吸しながら、空を見上げた。
ふわふわとした短い金髪に、明るい茶色の瞳。
大きく伸びをしたあと、穏やかそうな目元をぱっちり開きながら、呟いた。
「すっかり暖かくなってきたな〜」
「……おい、ヘリオス。何ぼんやり空見てんだよ」
背後から聞こえたハスキーボイスに青年ーーヘリオスが反応し振り返ると、そこには目を細めた一匹の黒猫。
いや、正確には「猫の魔物」である。
額についた血のように赤い宝石と、背中に生えた漆黒の羽が、普通の動物でないことを物語っている。
そもそも、しゃべってる。
「ウィスカ!お疲れ〜。別にぼんやりしてたわけじゃないって。ほら、ちゃんと木の実は集めたし」
そう言いながら、かごを見せる。
確かに、数日分はありそうな実がかごの中にごっそり入っていた。
ウィスカは呆れたように
「のんびりしてるようで、妙に仕事は早いんだよな」
とぼやいた。
そしてため息混じりに手招きした。
「獲物、獲ってやったぞ。あっちにいるから運ぶの手伝え」
「本当?相変わらず強いな」
食料調達に出かけたときは、大抵ヘリオスが木の実や薬草を集め、ウィスカが獲物を仕留めている。実際に戦ってるシーンは見たことないが、どうやら魔法が使えるらしい。
この小さい体で猪でも熊でも仕留めてしまうのだから恐ろしい。
そんな事を話しながら獲物のところに向かう途中、強い風が吹いて思わず目を閉じた。
同時に、顔になにかがバサッと貼り付く。
「わっ!?」
「ヘリオス!?」
わたわたしながら顔についた「なにか」を剥がすと、それは人相書きのようだった。
正確には、指名手配書といった方がいいかもしれない。
「WANTED」という大きな文字、人相書き、名前、肩書、そして懸賞金の金額がはっきりと書かれているそれを、ヘリオスは不思議そうに見つめる。
「どこから飛んできたんだろ」
するとウィスカはヘリオスの頭に飛び乗り、一緒に手配書を眺めた。
「森の外に貼られてたモンが、この風で飛んできたんじゃねーの?それにしても、海賊かよ…」
そこに描かれていたのは、12歳前後といった感じの幼い顔立ちの少女だった。
この人相書きと海賊船の船長という肩書が、どうにもミスマッチで混乱する。
「こんな可愛い子が、海賊船の船長なのか?全然そんな感じしないけど……」
「……可愛いか??」
「あれ、何か変なこと言った?」
顔をしかめるウィスカに不思議そうに問いかけるが、返事はなかった。
実際、人相書きの少女は美少女と言って差し支えない整った顔立ちをしている。
可愛いという表現は特に違和感のないもののようだが、なんとなくウィスカには不満だったらしい。
「まあいいや。それよりシュゼルが帰ってくる前に、獲物運んでおいた方がいいんじゃねーの?」
「あ、そうだった!急ごう」
とっさに飛んできた手配書をかごに一緒に突っ込むと、ウィスカの仕留めた獲物の方に走り出した。
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森を駆け抜けると、日が傾きはじめていた。
獲物の大鹿を抱え、小屋へと戻る道すがら、ヘリオスは頬に当たる風を心地よく感じていた。
ーーこれも、いつもの日常だった。
小屋に戻ったヘリオスは、早速解体作業に入った。
以前はかなり時間がかかってしまったが、慣れてきたのか手際も良くなった気がする。
とはいえ、まだ手や腕どころか全身血まみれになってしまうが、それでも上達はしている方だ。
「あいかわらず、すげー格好になってるな……」
解体作業を終えて達成感のある顔をしているヘリオスを、半眼で眺めるウィスカ。
その時、ふと物音がしてヘリオスが振り返る。
「あ、シュゼルが帰ってきた。おーい、シュゼル〜」
「ちょ、そのまま行くのかよ!?」
小屋の奥の方から歩いてきた人物は、フードを目深に被っていて顔は見えないが、誰だか確信を持てた。
ヘリオスが手を振りながら駆け寄ると、フードの青年はピタッと固まる。
「ヘリオス、出迎えてくれるのは嬉しいが。……すごいことになっているぞ」
顔から服から全て血まみれになりながら、満面の笑みで駆け寄ってくる姿は、なかなか衝撃的である。
苦笑気味に発せられたその言葉に、ヘリオスは言った。
「え?あ、そうそう、大鹿の解体してたんだ。ウィスカが仕留めてくれて、結構キレイに捌けたんだよ」
見た目のことを言っているのにややズレた回答だが、フードの青年ーーシュゼルは、フードを外しながら小さく息を吐く。
プラチナブロンドの長い髪と切れ長の青い瞳。
誰もが見惚れてしまうような美しい容姿を持つ彼は、小さく息を吐いた。
そして、ヘリオスを見てぼそっと「まあ、そんなところも可愛いんだが……」と小さく呟くと、指を鳴らす。
同時に、ヘリオスの体が淡い光りに包まれ、体についた血がきれいになっていった。
「洗浄」という生活魔法だ。
「相変わらず凄いな、ありがとうシュゼル」
「これくらい構わない。ヘリオスも解体お疲れ様。上手に出来るようになったなんてすごいじゃないか」
そう言いながら、ヘリオスのふわふわ髪を撫でながら小さく微笑む。
ここにもし女性がいたら、その笑顔に卒倒してしまうレベルだ。
ただ、ここにいるのはヘリオスとウィスカだけなので、ウィスカが冷ややかに見つめてるだけだった。
「僕も魔法覚えたいな、便利だし」
「まあ、そのうちに」
この世界の生き物には、多かれ少なかれ一定以上の魔力が備わっている。
だが、魔術師になるにはある程度の才能とかなりの努力が必要とされていた。
とはいえ生活魔法レベルであれば、実は誰でも数週間(魔力操作に慣れていれば数日)あれば習得できる。
しかし、ヘリオスの世話を焼きたいので、敢えて教えていない。
そんなシュゼルの心情を知ってか、呆れつつウィスカも黙ってる。
この平和な日常を、なんだかんだ気に入っているのだ。
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「そういえば、今日こんなもの拾ったんだ」
夕飯の支度を終えて食事を始めたころ、思い出したようにヘリオスは懐から紙を取り出した。
昼間に風で飛んできた、指名手配書だ。
「ああ、これか。町中にも貼られていたな」
「指名手配ってことは、悪いことした人なのかな」
「必ずしも悪人とは限らないが……少なくとも、懸賞金をかける理由はあったのだろう」
含みのある言い方にヘリオスは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
「少なくとも、私たちに関係はない。海賊なんて野蛮なものと関わる必要はないし、そもそも森に来ることもないだろう」
そう言うと、食事を続ける。腹を満たし、体もほどよく重たくなる。
焚き火の火が、パチパチと小さな音を立てた。
静かな夜だ。
いつもと変わらない、平和な夜。
洗浄魔法でキレイにした食器を棚に戻し、片付けを終える。
外はすっかり暗くなって、そろそろ眠る時間だった。
ーー何だか、いつもより森の空気が淀んでいる気配がするのが気にかかる。しかい確信もないため、とりあえず寝ることにした。
「おやすみ。シュゼル、ウィスカ」
「ああ、おやすみ」
「おう」
それぞれがベッドに入り、就寝する。
森の中では虫の声だけが、かすかに響いていた。
こんな日常がずっと続くのだと、そう思っていた。
ーー空気が動いたのは、三人が寝て二時間ほど経った頃だった。