蕭条無人(三/三)
あの金は、どうしてあそこにあったのだろう。
奇妙なことではあるが、考えられる可能性はひとつしかない、とも思っていた。自身のロッカーに不審なものがあることに気づいた本人が、こっそりとあの場所に移動させた、という流れだ。
とはいえ、普段の振るまいからすると、あの女は白を切るようなタイプではない気もする。あるいは、私が読み違えているのかもしれないが――何にせよ、このことは、どうにも釈然としなかった。
そんなことを考えていたせいで、私の視線は知らずその場所に釘づけになっていたらしい。そのことを、ふいに見咎められてしまう。
「淡島さん。そこ。あなたのロッカーじゃないでしょう」
振り向いた視線の先にいたのは、あのとき売上金を見つけた女――隼瀬だ。
この女。もしかして、何かに感づいているのだろうか。
何にせよ、この日の仕事は終わっていたし、長くおしゃべりしたい気分でもない。私は適当な言い訳をして、早々にその場から立ち去った。
しかし、間の悪いことに、彼女もまた帰るところだったらしい。思いがけず、一緒に店を出ることになる。
日の入りが早い冬のこと。外の空気は冷たく、暗がりの中で煌めくイルミネーションは、この時季の物悲しさを無邪気に刺している。
私は光が灯った街路樹からは目を逸らして、ただひたすら歩き続けていた。あの女が、私の後ろをついて来ていることを無視しながら。
それでも、相手は気にすることもなく、何気ない調子で、ふいにこう話しかけてくる。
「こんなこと、あまり言いたくないんだけど……その生き方をあらためないと、今にきっと痛い目に会うよ」
私はその言葉に振り返ると、背後に立っている相手と真正面から向き合った。
「……何のこと?」
「あなた、自分の失敗を人のせいに仕向けるのがうまいでしょう。そうやって、要領良くやってるつもりだろうけれども、いつまでも、そんなことが通用すると思わない方がいい」
私は相手の主張をせせら笑った。
「何それ。証拠はあるの? ただの言いがかりなら、やめてちょうだい」
隼瀬はため息をついてから、こう続ける。
「因果応報――だなんて説教するつもりはないけどね。絶対ではなくても、それはいつか、あなたにかえってくる……かもしれない」
そんな、あやふやなことしか言えないなら、確たる証拠があるわけではないのだろう。だとすれば、こんな会話に意味はない。とはいえ、何かしら感づいてはいるようだから、仕事を変えないわけにはいかないだろうけれども。
それでも、私は些かも動じてはいなかった。しかし、それは相手も同じらしく、彼女は怯むことなく私の目をじっと見返している。
そのとき、ふいにどこからか奇妙な――まるでカエルの鳴き声のような――音が聞こえた、気がした。かと思えば、彼女は突然、何かを持った手を私の方へと差し出す。
握られていたのは、奇妙に絡まったロープの束。
「これが、あなたの怖いもの?」
そう問いかけられて、私はふと幼い頃のことを思い出した。
どうして私は、あの子の人形を盗ったりしたんだっけ。たぶん、気に食わなかったからだ。私が欲しかった人形を、憎らしいあの子が先に手に入れてしまったから。
だから、それを持ち出して仕掛けを作った。うまくいけば、死んでくれるかもしれないと思ったから。
子どもが考えることだから拙いものではあったけれども、とにかくそれはうまくいった。当初の予定とは、違ってしまったけれども。
誰もそのことに気づかなかったのに、姉だけは何かに感づいたようだった。だから私は、姉も同じことになるよう仕向けてもいる。
計算違いがあったとすれば、姉の死を目の当たりにしてしまった者がいたことか。どうにか仕掛けを回収できたけれども、それを処分するのに手間取った。
あの子が大声でさわぐものだから、現場にはすぐに人が集まってしまったからだ。仕掛けを持っているところを誰かに見られでもしたら、何もかもが台無しになってしまう。早く何とかしなくては――そう考えた私は、焦った末に、それを近くにあった大きな樹の上に放り投げた。
それは手が届かないほど高いところに引っかかると、枝に絡まっていた蔦にうまい具合に紛れ込んだようだ。今にして思えば浅知恵だったとは思うが、結局のところ、それが見つかることはなく、私の仕掛けは誰にも知られずに葬り去られた。
だから、あれらはすべて不幸な事故。そういうことに、なっている。
それなのに――
「どうして、これが、ここに……?」
あのとき私が作った仕掛けは、遥か遠くの故郷にある樹の上に、今も引っかかったままのはず。
呆然と呟いた私に向かって、隼瀬はしれっとこう宣った。
「ああ……私、超能力を持ってるの。だから、あなたにとって怖いものと思うものを引き寄せてみた」
何をふざけたことを。それとも、本気で言っているのだろうか。
とても信じられるような内容ではないけれども、これがここにあるからくりが何なのか、私にはわからない。わからないなら、その言葉を受け入れる他ない。
そういうことに、なってしまう。
「……これを見せて、私にどうしろって言うの?」
私は苛立ちを抑えながら、そうたずねた。隼瀬は小さく肩をすくめている。
「別に。私はこれが何なのか知らないし。知ろうとも思わない。言ったでしょ。それはいつか、あなたにかえってくるかもしれないって。思わぬことで、足をすくわれることもある。そう忠告しておきたかっただけ」
「……それだけ?」
私がそう問い返すと、隼瀬はあっさりとうなずいた。
「それだけ。まあ、そういうわけだから。せいぜい肝に銘じておいて」
そう言って、彼女はそのロープを私に手渡した。そうして、早々にこの場を去ってしまう。
しばし呆気にとられていたけれども、これまで恐れていたものが今、自分の手元にあることに気づくと、私は知らず笑みを浮かべていた。
いつの日にか、自分の罪が暴かれることになるのではないかと思っていた。けれども、こんなものが、ひとつやふたつあったところで、何もくつがえりはしないらしい。だとすれば、恐れることなど何もない。
そういうことに、なるはずだ。
* * *
楽しくもないおしゃべりの後、ひとりで歩いていると、ふいに声をかけられた。
「お。本家の嬢ちゃんじゃないか。奇遇だな」
振り返った視線の先にいたのは、知り合いのおじさんだ。実家の近くに住んでいて、古い木を世話するという変わった仕事をしている。
「嬢ちゃんはやめてくださいよ。片桐さんこそ、こんな都会に何の用です」
「そう言うなよ。俺たちだって、四六時中、山の中にいるわけじゃないさ。しかし――嬢ちゃんと会うのは、本当に久々だな。たまには里に顔を出したらどうだ。家族とも、けんか別れしたわけじゃないんだろう? 相変わらず、妙な生きものを連れているみたいだし」
「連れて来たわけじゃないです。勝手について来たんです。私はあの家とは、もう関わりがないですから」
そう言い返しつつも、彼に会ったことで、私はふと、あることを思い出していた。
「そういえば……うちの庭に、人面樹、生えてませんでした?」
「ああ。あるな。それがどうした?」
あっさりとしたその答えに、私は思わず顔をしかめてしまう。
「何でそんなものあるのよ。やっぱり、あの家おかしい……」
そんな私の呟きに、片桐は苦笑いを浮かべている。
「どうした? そういえば、嬢ちゃんは小さい頃、人面樹を見て大泣きしたそうじゃないか。もしかして、どこかで人面樹でも見つけたのか?」
そんなものが、うち以外に生えているわけがない。片桐は単にからかっているのか――そうでないなら、私が苛立っていることに気づいているのだろう。
私はあらためて、さっきまでの会話を思い起こしていた。
彼女がどのように生きるかなんて、知ったことではない。それでも、あれでよかったのだろうか、という思いが、どうにも拭えずにいる。
「あれはきっと、人面樹なんかより――もっと怖い、何かですよ」
私はそう呟くと、冷たく凍えるほど透明な夜気に、白い息を吐き出した。




