蕭条無人(一/三)
「ねえ。どうしてとったの?」
ひとりで遊んでいると、いきなりそうたずねられた。私は相手の目をじっと見つめ返すと、彼女が次に何を言い出すかを待つ。
私が何も言わないでいるのを、答えに困ったからだと思ったらしい。気をよくして、彼女はさらにこう捲し立てた。
「わたし見てたよ。ちどりちゃんがとったんでしょ? かなちゃんの大事なもの。かなちゃん、泣いてたよ。ねえ、どうして?」
彼女のしたり顔には、どこかおもしろがるような笑みが貼りついている。私は彼女のあからさまな振るまいを、心の中で嘲笑った。
「私が盗ったんじゃないよ。かなちゃんが無くしたの」
反論されるとは思っていなかったのか、彼女はムキになって言いつのる。
「ちどりちゃんがとったんでしょう。わたし見てたよ。ちどりちゃんが、かなちゃんのお人形を持って行くとこ」
私はふとあることを思いついて、彼女に向かって手招きした。
「いいよ。それじゃあ、見せてあげる。おいでよ。でもね、気をつけてね。私の言うとおりにしないとダメだよ。そうしないと、悪いことが起こるから」
そう言うと、不安に飲まれた相手は、従順にうなずき返した。私は彼女の前に立って、一本の樹を取り巻くように作られた大きなアスレチック遊具の上へと登っていく。
それは広場で一番大がかりなもので、ブランコとかすべり台とかツリーハウスとか、とにかく何でも詰め込んだような場所だった。人気の遊び場だったけれども、この日は雨がちだからか、辺りに人影はないようだ。
今は雨こそ降っていないけれども、空はどんよりとした雲に閉ざされている。
私はツリーハウスの端まで彼女を連れて行くと、そこに吊り下げられている、いくつかのロープのうちのひとつを指差した。
これは、つかまって上ったり、ぶら下がったりして遊ぶためのロープだ。しかし、このときばかりは、そこには汚れた人形が吊り下げられていた。
「かなちゃんの人形なら、あそこにあるよ。でもね、あの人形はもう取り戻せない。かなちゃんが、この樹を怒らせてしまったから。この樹は怖いんだ。ほら。よく見て……」
樹皮と枝葉の具合から、その樹には人の顔のように見える部分があった。この辺りの子どもたちなら、みんな知っている。始めはみんな怖がるのだけれど、何が起きるわけでもないから、そのうち平気になっていった。
それは相手も同じらしく、彼女はそちらには見向きもしない。ただ、吊り下げられた人形を食い入るように見つめている。
きっと取り返したいんだろう。大好きな友だちの大切なお人形を。
目的を果たした私は、気をつけて、とだけ声をかけて、彼女を残し、その場を後にした。
次の日。
冷たくなったその子の姿が発見される。遊具に吊り下がったロープをその細い首を絡ませて、彼女はそこで息絶えていた。
大人たちがいろいろと調べたようだけれども、それは不幸な事故ということになったらしい。それ以来、その遊具の周辺は立ち入りが禁止された。
ふと、幼い頃のことを思い出していた。
なぜだろう、と考えたところで、目に止まったのはイルミネーションのケーブルに絡め取られた街路樹の姿。照明が灯されている夜ならともかく、陽の光の下、葉の落ちた枝々を無数の線に囚われたその様は、どことなく寒々しい。そう思うと同時に、あのときのことが呼び起こされたのはこれのせいか、と合点がいった。
仕事の合間の休憩時間。五人の女たちが、ひとつのテーブルを囲んで席についている。別に仲良くするつもりもなかったけれども、こういうときは周りに合わせておくのが無難だ。そう思って、私もその一端を担っていた。
場所は近々オープンする予定のカフェの店内。さすがに内装についてはあらかた完成していたけれども、まだ細々としたものが散乱している。とてもではないが客を迎えられる段階ではない。そんな場所に、私は新しいカフェのオープニングスタッフとしてアルバイトに来ていた。
同じように席についている女たちも、似たような境遇の者たちばかりだ。何人か別の支店から来た者や手伝いらしき者もいるが、いずれにせよ知り合ってから日は浅い。
そんな状況で交わされる会話なんて、大抵はたわいもないものになる。
「昨日の休みには、映画館に行って来たんですよ」
と誰かがふいに話を振れば、
「何の映画?」
と誰かが何の気なしに問い返す。
「ホラー映画です。あんまり有名なやつじゃないですけど」
「この時期にホラー……? 好きなんだ。そういうの」
そんな感じで、彼女たちは映画の話題でひとしきり盛り上がっている。私はどうにも気乗りがしないので、ぼんやりと物思いに沈んでいた。
そのうち、そのことを見咎められたのか、誰かにこうたずねられる。
「どうしたの? ずっと外見てるみたいだけど」
内心では面倒に思いつつも、私は愛想よくこう答えた。
「ちょっと街路樹を……もう、イルミネーションの時期なんだなって」
とっさに、ブラインドの向こうに透かし見ていたものについて話していた。それでも意識は思考の中にあって、何を見ていたわけでもないのだけれども。
そんな心の内など知られるはずもなく、相手は納得したように、ああ、とうなずいている。
「言われてみれば……でも、そんなに珍しいものでもないでしょ?」
「それとも、そこに死体でも吊り下がってましたか」
という、からかい混じりの発言は、先ほどまでホラー映画のことを話していたがための悪乗りだろう。普段であれば軽く受け流すのだけれど、このときの私は、なぜか相手に仕返しをしたくなってしまった。
「かもしれません。無意識に、そういうものがないか、探していたのかも。そういえば……昔、それと似たようなことがありまして。地元の話ですけど」
と、あたかも今、思い出したかのように話し始めたのは、先ほどまで知らず回想していた幼い頃のできごとだ。
「小学校の中学年くらいのとき、かな。ツリーハウスみたいなアスレチックで事故があったんです。それで、同い年の女の子が亡くなってしまって。遊具のロープが首に絡まったみたいで」
思いがけない話に、息を飲み恐れる者、あからさまに顔をしかめる者、うれしそうに身を乗り出す者、表向きには素っ気ない者――と反応はさまざまだ。
私はこう続けた。
「もともと、そのツリーハウスがあった樹には、人の顔みたいに見えるところがあって。呪われているって噂されてたんです。しかも、そんな事故があったものだから、遊具は立ち入り禁止になってしまって……」
楽しい話でもないと思うのだが、ホラー好きの女は目を輝かせている。
「へえ。人の顔のある樹ですか。そんな妖怪いた気がします。人面樹、でしたっけ」
「妖怪って……本当に好きなんだね……」
呆れたように呟いたのは、アルバイトのリーダーを任された女だ。そのとなりでは、それまで無関心そうだったひとりが、ふいにこう話し始めた。
「違いますよ。人面樹は『和漢三才図会』にもあるように、人の生首みたいな花を咲かせるんです。その花は笑いはするけど人語は解さず、そのうちしぼんで落ちてしまう。不気味ではあっても、大した害はありません。そう怖がるものでもありませんよ」
「いや。なんでそんなにくわしいのよ」
そう指摘されると、相手は少しだけばつが悪そうな顔をしながらも、早口でこう捲し立てた。
「別にくわしくありませんこれくらいは単なる雑学です決して私が特殊な家系に生まれたとかではありません」
「そんな風に否定されると、余計あやしく思えるんだけど……」
違いますって、と否定する姿に、皆がひとしきり苦笑し合ってから、そのうちのひとりが、ふいに話を元に戻した。
「それで……それって本当の話なんですか?」
問いかけたのは、五人の中では一番年上の女だ。おっとりした彼女は、どうやら私の話を本気で怖がっているらしい。
私は無言でうなずいた。少し話しすぎたことを自覚しながらも、話したところでどうなるわけでもないと思っていたので、私はさらにこう続ける。
「本当です。しかも、この話には続きがあって。その事故の後、亡くなった子のお友だちが、夜にその場所をひとりで調べに行ったみたいなんです。そうして事故の現場に着いた、ちょうどそのとき――」
私はそこで一旦、口をつぐんだ。言いづらいことを口にするとき、そうするように。それは単に、相手の気を引く効果を期待しただけなのだれども。
そのことを確認してから、私はおもむろに口を開く。
「上から突然、人が吊り下がってきたんです。首吊りの死体が――」
「え? な、何で?」
驚いたような声でそう問い返したのは、ホラー好きの女だ。そういうものが好きだと言う割には、耐性があるわけではないらしい。
私は淡々と、こう答える。
「ちょうど首吊りの現場に居合わせてしまった、ということらしいです。いや――それが首吊りだとしたら、下りて来たのは死体じゃなくて、そのとき死んだってことになるのかな……それで、そのもうひとつの死も、事故で亡くなったと思われていた子と関わりがあったんじゃないかって話で……」
たとえホラーが好きだとしても、この流れにはさすがに戸惑ったらしい。彼女は困ったような顔をして、しきりに首をかしげている。
「えーと、それはつまり……もともとの事故は、呪いとかじゃなくて、殺人だったってことですか? だとすれば、その話は人怖系ですね……妖怪にも、樹とか――上から何か下がってくるのがあったはずなので、それかと思ったんですけど」
「何か下がってくるって……好きなわりには、くわしくはないのね……」
バイトリーダーは冷めた調子でそう呟くと、相変わらず素っ気なくしていたひとりに向かって、いたずらめいた笑みと共に、こうたずねた。
「どう? それについては何か知ってる? 妖怪博士さん」
「誰が妖怪博士ですか」
妖怪博士は大きくため息をつくと、それでも、こう話し始めた。
「いわゆる下がりの怪ですよね。釣瓶落としとか。下りてくるだけのものもありますけど、人を食う、といった話もあります。下りてくるのも釣瓶だけでなく、他の物や生首とか……馬の首なんかもありますね」
「やっぱりくわしいじゃない」
笑い混じりにそう指摘されて、妖怪博士はやはり、むっとした顔をしている。その表情をぼんやりとながめていたところ、視線に気づいた相手がこう問いかけた。
「何か?」
はっとした私は、とっさにこう答える。
「樹から下りてくるだけなら、怖くはないかな、と思って。だって、その樹に近づかなければ、害はないわけだし。その怖いものは――その樹から、離れたりはしないんでしょう?」
そう言うと、相手は、そうかもね、とだけ返してから、すぐさま目を逸らしてしまう。その代わり、当初は顔をしかめていたはずのバイトリーダーが、面白そうにこう言った。
「それにしても、うまいね。話」
どうやら、私の言ったことを作り話だと思ったらしい。ホラー好きの女が戸惑ったようにさわぎ出す。
「え? 嘘だったんですか? 嘘? 本当? どっち?」
そんな彼女を横目に、バイトリーダーは腕時計に視線を向けると、早々に立ち上がって、こう告げた。
「ほら。もう時間だよ。休憩終わり」




