才子佳人(二/三)
この日は珍しく来客の予定があった。来るのは、あの人の盆栽を引き取ってくれるという人たちだ。
今までは私ひとりでどうにか世話をしてきたのだが、後々のことを考えると、やはりくわしい人に引き取ってもらった方がいいだろう――そう考えて、あの人の盆栽仲間から、そういうことを引き受けてくれそうな方を何人か紹介してもらっていた。
電話やメールでのやりとりは何度かしていたが、会うのは今日が初めてだ。そろそろ時間だろうと思っていたところ、ふいに呼び鈴の音が鳴ったので、私は急いで表へと出向いた。
門扉の前に立っていたのは、作業着姿の男性だ。思わずまじまじと見つめていると、彼は困ったような表情を浮かべながら、こう言った。
「あやしい業者じゃありませんよ。盆栽の件で、桜庭の代理でうかがいました。片桐と申します」
年の頃は四十代くらいだろうか。あの人の友人なのだから、同じくらいの年の方が来ると思っていたので、少しばかり反応が遅れてしまった。
「すみません。思っていたよりも、お若い方だったので……」
私がとっさにそう言い訳すると、片桐は苦笑した。
「旦那さんと交流があったのは、うちの里の長老でしてね。年の割には元気なんですが、遠方ですし、ちょいと重いものを持つのは難儀だということで、代わりに行ってこいと言われたんです。事前に連絡をしてなかったようで、申し訳ない」
頭を下げる片桐に、私は慌ててこう話す。
「そういえば、都合によっては別の方が来られるかもしれない、ということをおっしゃっていた気がします。桜庭さんとは電話でしかやりとりをしていなかったので、お顔を知らなかったものですから……こんなところで立ち話も何ですので、どうぞ中へ」
ひとまずお茶でも飲んでゆっくりしてもらおうかと思ったのだが、片桐は首を横に振った。
「いや。さっそくですが、盆栽の方を見せてもらってもかまわないですかね。忙しなくて恐縮ですが、この後にも用事が控えていまして」
片桐はそう言ったが、あるいは、ひとり暮らしの家に上がり込むことに気をつかったのかもしれない。それ以上無理強いはせずに、私は彼を庭へと案内した。
とはいえ、自宅の庭はそれほど広いわけでもない。玄関を横目に通り過ぎると、玄関を横目に通り過ぎると、家の南に面したところにこぢんまりとした空間が広がっている。そこにあの人の盆栽があった。
あの人が初めて世話した松を始めに、真柏や紅葉、それから梅――中でも、あの人が特にお気に入りだったのは榎の盆栽だ。
そのことを知っていたわけではないだろうけれども、片桐はそれらの盆栽を順に見ていくうちに、ふと榎の前に差しかかると、立ち止まってからこう呟いた。
「こいつは……」
そのとき、再び呼び鈴の音が鳴る。
もうひとり盆栽を見に人が来るはずだったので、その方だろうと思って、私は片桐にひとこと断わってから表の門扉の方へと向かった。
しかし、私はそこで、片桐のとき以上に面食らってしまうことになる。なぜなら、そこに立っていたのが、高校生くらいの男の子だったからだ。
それでも、対する少年は物怖じすることもなく、とても礼儀正しくこう名乗った。
「お約束していた宮古です。というか、僕はその孫なんですけど。祖父は少し遅れて来ます。その前に、盆栽を見せてもらってもいいですか?」
そういえば、訪れる予定のその方からは、盆栽が好きだというお孫さんがいるという話を聞いていた。とはいえ、ひとりで先にやって来るとは思わなかったが――
今日はどうやら、意外なお客さまが訪れる日らしい。気を取り直して、私は少年を庭へと促した。
「そう。いらっしゃい。もうひとり、先に盆栽を見に来た方もおられますよ。どうぞ、こちらへ」
示された方向へと進んで行った少年は、並べられた盆栽を目にした途端、すぐさまそちらの方へと引き寄せられていく。そうして、やはり榎の盆栽を前にすると、感心したようにため息をついた。
「へえ……これ、いいですね。根元に洞があって、形がおもしろいし。樹齢はどれくらいですか?」
少年は目をキラキラさせながら、そうたずねる。
しかし、私では彼の問いには答えられない。あの人は盆栽の素晴らしさをよく語ってはくれたけれども、くわしいことについてはあまり話をしてはくれなかったからだ。
榎の盆栽は灰色の幹も太くしっかりしていて、私の目にも立派なものには見える。それでいて、根元の部分には確かに小さな空洞があった。それでも、明るい緑の葉は豊かに生い茂っているし、これから秋が深まるにつれて、あざやかな黄色に染まっていくだろう。
どう話そうかと思案しているうちに、少年の言葉を聞いていたのか、代わりに声をかけたのは片桐だった。
「おう。盆栽が好きなのか?」
「……それが、何か?」
少年は少しばかり身構えた様子で、そう問い返す。
「うちに、山歩きを引退して、今は盆栽の世話をしてるじいさんがいるんだが……若いもんが盆栽好きだって知ったら、そのじいさんも喜ぶと思ってな。どうだ? 話し相手になってもらえないか。うちにも珍しい盆栽がそろってるから、いろいろとおもしろいものが見られるぞ」
「そういうのは、うちのじいさんだけで間に合ってます」
「まあ、そう言うなよ」
そんなやりとりがありつつも、おそらくは初対面だろうふたりは盆栽のことで話に花が咲いたようだった。そんなふたりを、ほほえましく思いながら見守っていると、ふいに三度目の呼び鈴が鳴る。
少年の祖父である宮古老人が来たのかと思って、私は出迎えのために門扉へと向かった。それ以外に、思い当たる来客の予定はなかったからだ。しかし――
そんな心づもりに反して、その場に立っていたのは、奇妙な格好をした見知らぬ男だった。
少年の祖父ではない。写真で見せてもらったことがあるので、宮古老人の顔なら知っている。そうでなくとも、男の服装は明らかに普通のものではなかった。
山伏装束、というのだろうか。頭には黒い頭巾を被っていて、白い法衣に手甲と脚絆をつけている。それでいて、胸元には特徴的な丸い飾り――名前は知らない――を垂らしていた。
山中であれば頼もしい存在かもしれないが、ごく普通の住宅街の中にあっては、その姿は滑稽でしかないだろう。にもかかわらず、その山伏は私が戸惑っていることなど意にも介さずに、堂々とした調子でこうたずねた。
「ここに、悪しきものがいるとうかがい参った。お調べいたしますが、よろしいですかな?」
山伏は私の返事を待つこともなく、ずかずかと門の内へと足を踏み入れてしまう。慌てて引き止めたが、近所の人からの依頼でやって来たと言い張って、引き下がる気配もない。どうやら、無理にでも押し通るつもりのようだ。
私は以前に、読経の声が聞こえる、と話していたことを思い出した。
それでも、今のこの状況には、ただただ困惑するしかないだろう。近所の人も、おそらくは気を回して頼んでくれたのだろうけれども、そもそも、このことを問題にしていたつもりはなかったからだ。それどころか、あの声にはむしろ――
「心配召されるな。悪しきものはすぐにでも祓って進ぜよう」
私の戸惑いを他所に、山伏はそう言って庭まで突き進んでしまう。
その先には盆栽を見ていたふたりがいて、突然のことに唖然とした表情を浮かべていた。異変を察したらしい片桐は、庭を歩き回り始めた山伏を横目に見つつ、私の元へと近づいて来る。
「どうかしましたか」
「いえ。それが……」
どう説明したらいいのだろう。そう迷っているうちにも、ふいにどこからか読経の声が聞こえてくる。
いつも聞いていた、あの声だ。
呆然としていた少年はいぶかしげな顔で辺りを見回し、片桐も何やら気がかりらしい表情を浮かべている。山伏の方も、むう、とうなったかと思うと、見えない何かに挑むかのように印を結ぶと、般若心経まで唱え出した。
どうやら、声が聞こえるのは私だけではないらしい。
辺りには威圧的な山伏の声が響き渡っている。張り上げられたその声は、いつものあの声を圧倒し、そのせいか、誰とも知れないその声は徐々に弱々しくなっていくようだ。
そのことを心配していると、片桐がふいにこう呟いた。
「全くの素人じゃなさそうだが、これじゃあ、あの木が死んでしまうな……」
片桐の視線の先には、あの榎の盆栽がある。
私は思わず首をかしげてしまった。あの声と榎の木に何か関係があるのだろうか。
視線に気づいたのか、片桐は私の目をしばしじっと見つめ返してから、こうたずねた。
「あの声のこと、どう思われます」
それは山伏のことではなく、どこからか聞こえてくる、あの人に似た声のことを言っているのだろう。
私は素直にこう答える。
「ただ不思議だな、と思っていただけで……どうにかしたいとは、考えていなかったのですが」
「だったら、あの山伏を追い返してもかまいませんね」
私は片桐の言葉にうなずいた。それを見た片桐は、山伏の方へと鋭い視線を向ける。
「角が立たないよう、納得の上でお帰りいただきましょう」
そう言って、彼はどこからともなく携帯端末を取り出した。発信した後、ほどなくしてつながったらしい相手に、彼はすぐさまこう切り出す。
「ちょっと頼みがあるんだが――」




