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古木守抄  作者: 速水涙子


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鬼面嚇人(三/三)

「おい。近頃、この辺りで背の高い化けものが出るって話があるんだが。それ、おまえのことだろう」


 呼びかけに応じて、声がした方へと意識を向けると、そこには男がひとり立っていた。


 男の視線は、真っ直ぐに彼の目の前にある木へと向けられている。周囲には他に誰もいない。だとすれば、彼が話しかけている相手は、どうやらわたしで間違いないらしい。


 わたしは()()()()()である一本の一位(イチイ)の木の影から、にじみ出るようにして彼の前に姿を現した。


 わたしの顔を目にした男は、驚くことも怯えることもなく、むしろ、呆れたような表情を浮かべている。そのうち、わたしがいつまでも言葉を発しないことを奇妙に思ったのか、彼はこう話し始めた。


「何だ? 話しかけられたことに驚いたのか? 今まで誰にも見つかっていなかったようだからな。どうも、悪さをしているわけではないようだが……世間では、妙な噂になっているぞ、おまえ」


 わたしが無言で見返していると、しばらくしてから、男はいぶかしげに顔をしかめた。


「もしかして、話せない口か」


 肯定の意を示すため、ゆっくりと首を縦に振ると、男は呆れたように肩をすくめる。


「まあ、いい。とにかく、登山者を助けようってんなら、もうちょっとやり方を考えてくれ。物好きどもが、おまえのことを探してるんだとよ。山になじみのないやつらが押し寄せた上に、遭難者が出る、何てこと、おまえも望んじゃいないだろう」


 わたしは再び首を縦に振った。男はため息をつきながらも、こう続ける。


「よし。わかったなら、それでいい。俺の名は片桐(かたぎり)。おまえみたいなのを世話するのが仕事だ。くれぐれも気をつけてくれよ。俺だって、おまえを伐りたくはないんだからな」


 男はそう言うと、あっさりと踵を返してしまった。どうやら彼は、わたしに忠告するためだけに、ここまで来たらしい。


 木々を分け入り進んで行く男の後ろ姿には、危なげなところはどこにもない。わたしは彼のことを見送ると、しばし浅い眠りについた。





 男が二人、山道を歩いている。


 少しずつこちらに近づいているようだが、姿はまだ見えていなかった。今はただ、辺りに話し声だけが響いている。


「急に山登りをしようだなんて、何かと思えば、山中に出没する奇妙な男の噂、ですか。また変なことに首を突っ込んで……それにつき合ってる俺も大概ですけど」


 呆れたような物言いに対して、もうひとりの男はあっさりとこう答えた。


「現れるのは、背が高くて怖い顔をした男の人らしいよ。それで、見上げれば見上げるほど大きくなる見越し入道が出たって話になっていてね。ぜひ見てみたいと思って」


 男の声はどこか楽しげで、そのせいか相手の方は大きくため息をついている。


「見てみたいって……簡単に言いますけどね。それ、ただの不審者だったらどうするんです。今の時代に、妖怪が出た、とかさわいでいるなんて、だいぶ時代錯誤ですよ」


 ぼやくようなその言葉を、もうひとりは快活に笑い飛ばした。


「何ごとも、始めから否定してかかるのはよくないよ。すべての可能性を考えた上で、それでもわからないことがあれば、それが本当の不思議――真怪(しんかい)だ。僕はそれを探し求めている。そのためには、この目で見極めないといけない」


「はいはい。社長の大好きな井上(いのうえ)円了(えんりょう)先生でしょ。もう何度も聞きましたって」


 山道の砂利を踏む足音と共に、彼らの気配は徐々に近づいて来る。


「本当の不思議じゃない、とわかるなら、それはそれでいいんだよ。そうだなあ……ヒダル(がみ)って知ってるかい? 山道を歩いていると、飢餓感におそわれて動けなくなることがある。それは行き倒れて死んでしまった霊の仕業だとかで、そう呼ばれていたんだけど……今だと、激しい運動による低血糖症状――いわゆるハンガーノックのことだろうと言われていてね。ヒダル神に憑かれたときには、何かを食べればいい、という対処法も、糖分補給と考えれば理にかなって――」


 話に夢中になっている男と違って、もうひとりの方は、いち早くわたしのことに気づいたらしい。歩く足元に注意しながらも、彼は一位の木の根元に腰かけたわたしの姿に、ちらりと目を向けている。


 そのうち、もうひとりの方もその視線を追って、わたしの姿に目を止めた。


「こんにちは」


 その言葉には無言でうなずいて、わたしは目の前を通り過ぎようとするふたりに、赤い木の実を差し出した。ひと目見て、男はそれが何であるかを言い当てる。


「これは……イチイの実ですね。いただいてもいいんですか? ありがとうございます」


 わたしは首を縦に振った。男は早々に手を伸ばしたが、もうひとりはわたしのことを気にしながらも、疑わしげな表情で、こっそりとこう呟いている。


「……それ、食べられるんですよね」


「大丈夫だよ。ただし、種には毒があるから、飲み込まないように」


「相変わらず、何でも知ってますね。社長は」


 そう言いながら、男はようやく赤い実を口にした。


「真怪かどうかを見極めるためには、知識は必要だからね。そうでなくとも、知識があって困ることはない。逆に、ちゃんとした知識がないなら、似たような木の実でも、自分で判断して食べちゃダメだよ。毒があるかもしれないからね。例えば……ドクウツギとか」


 何がおかしいのか、そう言って声を上げ笑う男に対して、もうひとりは、なぜかうろんな目を向けている。


 さて、と言って、男が辺りを見回し始めたので、わたしは彼らが行くべき道を指で差し示した。それを見て、男は納得したようにうなずく。


「ああ。こちらですね。どうも、ご親切に……」


 もうひとりも一緒に頭を下げると、ふたりはまた山道を歩き始める。しばらくして、話し声がわずかに届くかどうか、といったところまで遠ざかると、男のひとりがこう言った。


「あの人……屈んでるから、よくわかんなかったですけど、妙に背が高くなかったですか? 下手すりゃ二メートルくらいありますよ」


「地元の人かな? 見回ってくれてるのかもね。僕は慣れているから大丈夫だけど、あの分かれ道、ちょっとわかりにくかったし」


 鳥の鳴き交う声の合間にも、彼らの会話は続いている。


「社長って登山の趣味なんてありました? それとも、やっぱり、例のツチノコ探しの集まりですか?」


「そうそう。この前にも会合があってね。これには、専門の学者さんだって参加してるんだよ」


「専門ってツチノコの? それ、本当にちゃんとした学者先生なんでしょうね……」


 一陣の風が吹き、ざわめく葉ずれの音が辺りに響いたかと思えば、それが収まる頃には、声はもう聞こえなくなっている。しばしの間、山をさわがせていた彼らの気配も、やがては木立の向こうに消えて行った。

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