清風故人(一/三)
午前中にひと仕事を終えた俺は、少し遅い昼食をとるために、村にある小さな食堂を訪れていた。
時間のせいか、客の姿はまばらだ。それでも工事の関係者がいるだけ、平時よりは多いだろう。そんなことを考えつつ見渡した狭い店内に、思いがけず知り合いの姿を見つけたので、俺は何の気なしにその向かいの席へと座った。
おつかれさまです、と声をかければ、相手からは、おう、とだけ返ってくる。運ばれてきたお冷やとおしぼりに手を伸ばしながら、適当に注文を済ませると、俺はあらためて目の前の男に目を向けた。
男の名は片桐と言う。常に作業着姿で、これ以外の服装は見たことがない。とはいえ、別に小汚いというわけでもないので、おそらく同じ作業着を着回しているだけだろう。
片桐もまた、俺と同じく村で行われている工事の関係者だった。しかし、実のところ、俺はこの男がどういう立場なのかを知らない。何もしていないというわけではないが、かと言って何をしているのかと問われたら、俺は答えに困っただろう。ひとまずは、助言者のようなもの、だと理解している。
とある村で新しいレジャー施設の建設計画が持ち上がり、勤めている会社がその企画から運営までを任されることになったのがすべての始まりだ。村おこしを兼ねたそれは、もともとあった寂れたキャンプ場を利用したもので、周囲からの反発もなく、事業は順調に進んでいた。
提案した企画が通り、若手ながらにその一画を任されることになった俺が、着工に当たって意気揚々と現地入りしたのがほんの一週間前のこと。周囲には後は見守るだけ、だなんて息巻いていたけれども、始まってみればいろいろと小さな問題は起こるもので、何だかんだ奔走しながら日々を過ごしていた。
そんな工事の始まりの日に、突然やって来たのがこの男――片桐だ。連れて来たのは地元の人たちで、何でも、工事のときには彼の指示の従う、ということが、かねてからの約束だったらしい。特に、木を切るときは必ずこの男に許可をとってくれ、と言う。
連絡の行き違いにより、そのとき初めてそのことを知った俺は、当初、もしや工事を快く思っていない村人の嫌がらせなのでは、などと邪推した。しかし、始まってみれば何ということはなく、片桐はこちらの事情も汲んでくれるし、計画に対する指示は明瞭。思いのほか仕事がやりやすい相手だった。昨今は環境問題なども配慮しなければならないだろうから、こういう人材も必要なのだろう、と今では納得してもいる。
愛想はないが、話しやすい。それでいて仕事はきっちりこなすこの男に、俺は好感を抱いていた。年上ではあるが、見かければお互いに声をかけ合う程度には、気心の知れた仲になっている。
とはいえ、いつもであれば俺の方が現場の苦労を聞いてもらうばかりだったので、片桐から話を振られるのは、実は珍しいことだった。
「何か、おかしなことがあったんだって?」
そうたずねられた俺は、少しだけ虚をつかれながらも、こう答えた。
「そうなんですよ。聞いてもらえます? 俺が……いや、私が現場監督と話していたときのことなんですけどね」
俺が思わず身を乗り出したものだから、片桐はさすがに苦笑した。そのときちょうど、彼の前には注文したらしい定食が運ばれて来る。
「俺相手に、そんなかしこまらなくてもいい……それで? 何があったんだ?」
箸を手に取りながらも、片桐はそう言って話の先を促した。俺はあらためて、そのあらましを語り始める――
それは、午前中に現場監督と話をしていたときのこと。
どこからともなく、ふいに大きな音が響き渡った。地震か、事故か。それくらいの衝撃で、何かとてつもなく大きく重いものが落ちたような、ずしんとした音が、その瞬間、確かにこの身を震わせていた。
それ以上は続かないようだとわかると、周囲の人々は何だ何だとさわぎ始める。もしも事故が起こったのであれば、大問題だ。心臓がばくばく音を立てているのを聞きながら、俺は音がしただろう場所を調べ始めた。
しかし、どれだけ探しても、その原因は見つからない。あれほどの音がしたなら、何の異変もない、なんてことは考えられないというのに。
結局のところ、音の出どころは見つからず、皆は狐につままれたような顔をして作業に戻っていった。
変わったことがあったとすれば、ひとつだけ。周辺を調べている途中、資材を固定していた金具のひとつに不具合があることがわかった。このまま放置していれば、それこそ大きな事故につながっただろう。その点は、不幸中の幸いだったかもしれない。
ひととおり話し終えて、相手の反応を待ったところ、片桐から返ってきたのはこんな答えだった。
「そりゃあ、天狗倒しだな」
「天狗倒し?」
俺がけげんな顔をしていると、片桐はこう説明した。
「山中で大木を切り倒す音がするんだが、探してみると、木なんてどこにも倒れちゃいない。そういう現象が起きたときに、天狗のしわざだってことで、そう呼ぶんだ」
この男が冗談を言うなんて意外だ。俺は真っ先にそう思った。
とはいえ、話しただけでは、その原因などわかるはずもないだろう。俺はひとまず、その答えで納得しておくことにした。そういうこともある、というだけの話だ。
ともかく、起きた問題はそれくらいで、この日の工事も無事に終了する。しかし、奇妙なことは、これで終わりとはならなかった。
それは、短い休憩時間をひとり過ごしていたときのこと。
場所は誰の姿もない、工事現場の果ての果て。別に人を嫌ったわけではないのだが、タバコの煙が苦手だったので、その結果、安らげる場所としてたどり着いたところがそこだった。
崖下にある平地で、そこから先は山になる。この辺りにはいずれコテージが建設されるらしいが、まだここまで工事の手が伸びてはいなかった。そのせいか、周囲には普段から人気もなく、その日も近くで見かけたのは下見に来たらしい男がひとり――それくらいだ。
そんなところで、缶コーヒーを片手にひとり佇んでいたときのこと。ふいに上空から何かが落ちて来て、俺の視界の端をかすめていった。
雨が降って来たのかとも思ったが、視線の先で転がっていたのは、豆つぶくらいの大きさの何か。もしかして、霰だろうか。そう考えているうちにも、その何かは突然の夕立のように俺の全身へと降りそそぎ始めた。
慌ててその場から離れると、それは途端にぴたりと止んだ――わけではなく、降っているのはそもそも俺の周りだけだったらしい。しかも、よく見ると、落ちてくるそれらは、どうやら小石のようだった。
わけがわからず、先ほどまでいた場所に目を向けていると、そのうち崖の上からひと抱えはある岩が転がり落ちて来る。
それを目にした俺は、さすがに思わずぞっとした。あの場所にとどまっていたら直撃していたかもしれない。そうなれば、ただではすまなかっただろう。
呆然としていると、どうした、と片桐が近寄って来る。気づけば、もう小石は降っていない。しかし、地面に目を落とした片桐は、そこに散らばっているものに気づくと、こう呟いた。
「今度は天狗礫か」
何も言えずにいた俺に向かって、片桐はこう説明する。
「どこからともなく飛んで来た石を、天狗が投げた石だってことで、そう呼ぶんだ」
俺は思わず顔をしかめてしまった。我が身に危険が及んだかもしれないのに、そんな冗談が受け入れられるはずもない。とはいえ、それならば、たった今起こったことは、いったい何だったというのだろう。
しばらくの間、困惑していた俺だが、冷静になってくると、徐々に別の理屈が浮かび上がってきた。
山なのだから、落石の危険くらいはある。小石はその予兆だったのかもしれない。そのわりには、四方八方から飛んで来ていたような気もするが――それについては、突然のことで混乱していただけだろう。
運がいいのか悪いのか。ひとまず、今回は小石のおかげで助かったらしい、と納得しておくことにした。それはそれとして、落石については、あらためて注意しなければならないだろうけれども。
「まあ、気をつけろよ」
俺が落ちついた頃を見計らって、片桐はこちらの肩を叩きながら、さっさとその場を去って行った。
その日に起こったことは、それだけだ。しかし、そうした奇妙なできごとは、まだ続く。




