因果人(三/三)
洞穴は思いのほか深くまで続いているようだった。
身を屈めて進んで行くと、そのうち行く手がほのかに明るくなっていることに気づく。のぞき込んだ先にあったのは開けた空間だ。
天井には電球が吊るされていて、一部をぼんやりと照らしている。中央には汚れた布が広げてあり、工具のようなものが散らばっていた。そして、光の届かない隅の暗がりには――
壁に寄せられた粗末な机の前に、作業着姿の男が座っている。こちらに背を向けているので、顔は見えない。しかし、腕捲りをした右手の、前腕部の辺りが妙に黒いのが目についた。傷跡か、それとも――
「そこにいるのは誰だ」
私は思わず、そう問いかけた。
男は身じろぎもせずに、こう答える。
「俺か? 俺の名は――桐生」
私は同行者の話を思い出していた。画家の女の元に通っていたという正体不明の男。こいつがそうに違いない。
「こんなところで、何をしている」
「おまえこそ、こんなところに何をしに来た」
桐生と名乗った男は、平然とそう返す。私は苛立ちながらも、それに答えた。
「私は殺人犯を探している。おまえがそうなのか」
そう問い詰めた私のことを、桐生はせせら笑ったようだった。
「おまえ、あの村の人間だろう」
私はうなずきもしなかったが、桐生は気にすることなくこう続ける。
「殺人犯を探しに、か。彼女を追い詰めて殺しておいて、犯人じゃなかったから、あらためて犯人を探しますってか?」
桐生は声を上げて笑い出す。しかし、ふいにその哄笑をぴたりと止めたかと思うと、大きな音を立てて拳を机に打ちつけた。
「ふざけるな!」
怒気を含んだ声と共に鋭い視線を私に向けて、彼はさらに捲し立てた。
「彼女は無実だった。それをおまえたちが追い詰めたんだろうが。自分だけ被害者だって面してんじゃねえよ」
おそらく、画家の女のことを言っているのだろう。しかし、だからこそ、わけがわからなくなっていた。この男は殺人犯ではないのか。だとすれば、今までのことは、いったい誰が――
「殺したのは俺じゃない。だが、誰が殺ったのかを、俺は知っている」
「そう。だったら、あなたが屍体を持ち出して、バラバラにしたのね」
涼やかな声は、私が発したものではない。地上に残してきたはずの同行者が、知らないうちに私の背後に立っていた。
「出たな。殺人者め」
桐生はそう吐き捨てる。
私は唖然として、女の方を振り返った。しかし、彼女は私のことなど意に介さず、冷たい視線で桐生をにらみつけている。
「そうね。でも、私の運はまだ尽きてはいないみたい。だから、あなたたちには死んでもらう」
女の手にナイフが握られていることに気づいたときには、彼女はすでに私の方へとその切っ先を向けていた。
女はそのナイフを流れるような動作で私の右上腿へと突き立てる。何のためらいもない行動に、私は身がまえることすらできない。
痛みに呻くだけの私の姿を見てとると、女はその横を通り過ぎて、ゆっくりと桐生へと歩み寄った。もはや立つことすら覚束ない私のことより、得体の知れない男の方を用心しているのだろう。
桐生は女の動きを軽蔑したような目で追っている。そうして、女が光の届かない暗がりの前を通った、そのとき。そこにうずくまっていた何かが、おもむろに起き上がった。
何か。それは、人の形をしたものだった。しなやかな四肢を持つ細身の女性の体。しかし、その体の首から上には、本来あるはずの頭がなかった。
頭のない化けもの――
しかし、その化けものは頭の代わりに別のものを首に乗せている。本来なら骨があるだろう部分に接ぎ木のように刺さっているのは、満開の桜の樹。
化けものは手にした斧を振り上げると、容赦なく女の頭に振り下ろした。斧は女の頭蓋骨を叩き割り、驚きの表情を浮かべた顔に食い込む。ナイフを取り落とした女が力なくその場にくずおれると、周囲にはみるみるうちに血だまりが広がっていった。
赤く染まった地面の上に、はらはらと桜の花びらが落ちていく。私はしばし呆然として、その凄惨な光景を見つめていた。
「こいつが屍体をぐちゃぐちゃにするから、きれいなところを選るのに苦労したよ」
桐生はそう言って、女の屍体を冷たく見下ろしている。
私は愕然としながらも、ゆらゆらと不安定に佇んでいる化けものへと目を向けた。その体のあらわになっている腕や足には、よく見ると継ぎ接ぎのような跡がある。
見つかっていない屍体の一部は、まさか――
「他の部分はともかく、顔だけはどうしても適当なものが見つからなくてね。だが、これでいい。彼女には、これが相応しい……」
「人の命を何だと思っている」
私は思わず、そう呟いた。しかし、桐生は女の屍体をあごで示しながら、冷淡にこう返す。
「殺したのはこの女だ。こいつはな、快楽殺人者なんだよ。あくまでも殺したのはこいつであって、俺じゃない」
信じられないことが次々と起こる中で、私の思考は混乱していた。しかし、どうにか考えを巡らせる。
私の妹を――若い娘たちを殺していたのは、頭を叩き割られたこの女だった。それでいて、この男は殺された者たちの屍体を集め、こんな化けものを作っていたらしい。しかし、なぜ――
桐生は私に向かって、冷たく言い放つ。
「おまえも、彼女を追い詰めたうちのひとりだろう。人殺しはおまえの方だ」
化けものがゆっくりと私の方へと歩み寄る。殺されるのだろうか。そう思ったが、恐怖のためか、それとも傷がひどいのか、私はその場から一歩も動くことができない――
「そこまでだよ。くそ野郎」
悪態と共に突然この場に現れた何者かが、目の前の化けものを蹴り倒した。かと思えば、素早く間合いを詰めて、身がまえる桐生につかみかかっていく。
その男も桐生と同じような作業着姿だった。男は桐生の胸ぐらをつかむと、怒気を含んだ声でこう詰め寄る。
「こんな外法まで使いやがって。何やってんだよ。おまえは」
桐生は必死に抵抗しているが、どうやら新たに現れた男の方が上手らしい。それまで見せていた余裕を失って、桐生は子どものように喚き出す。
「俺はただ、不条理を取り返しただけだ! 彼女が死ぬ必要などなかった!」
「馬鹿か。だからって、不条理に不条理で返してどうする。そんなことして、取り戻せるわけがねえだろうが。人として生きるからにはな。外れちゃいけねえ人の道ってものがあるんだよ」
男はそう言い返しながらも、暴れる桐生の腕をひねり上げた。桐生はそれでも足掻き続け、その拘束から逃れようとする。
「彼女に罪はなかった! 彼女を呼び戻すことの何が悪い! それとも、こんな不条理を黙って呑み込めというのか!」
「そうだよ。残念だが、世間には悲しいできごとなんて掃いて捨てるほどにある。それでも、道を失わずに生きている人が大半だ」
桐生の目には憎悪に満ちた炎が灯る。
深い悲しみに沈む者にそんな理屈をかざしたところで、容易に受け入れられるものではないのだろう。私には、その気持ちがわかるような気がした。
不条理に死んだというなら、私の妹もそうだ。妹は何も悪いことをしていない。男が言うように画家の女を追い詰めたわけでもない。むしろ、彼女のことを庇っていた。それなのに――
それでも、この不条理を呑み込まなければ、いずれはこんな化けものを生み出してしまうのだろう。
悄然としていた私に向かって、ふいに男が叫んだ。
「おい。後ろだ!」
その声に振り向くと同時に、いつの間にか背後まで迫っていた化けものが私の首を絞め上げた。私は突然のことに戸惑い、もがくことしかできない。
「しっかりしろ。死にたくなければ、その桜の樹を引き抜け!」
「やめろ!」
桐生の悲痛な叫び声が、暗い穴の中に響き渡る。
私は必死になって手を伸ばした。満開の桜の樹が屍体の内に深く埋まっているのが見える――いや、根を張っているといった方が正しいか。
目の前の化けものは、不条理に殺された者たちの成れの果てだ。どれだけ切に願っても、失ったもの、そのものを取り戻すことなどできはしない――
私はどうにかして桜の樹をつかみ取ると、その手に渾身の力をこめた。ぶちぶちと肉が千切れる嫌な音を立てながら、それは屍体から徐々に剥がれていく。
それでも完全に引き剥がすには、まだ足りない。
力尽きようとしている私に気づいた男が慌てたように身を乗り出すと、その隙をついて桐生が拘束から逃れてしまった。男が、くそ、と悪態をついたときには、すでに姿は見えなくなっている。
男は桐生を追うことなく私の元へとかけ寄ると、屍体と根一本でつながっていた桜の樹に手をかけた。男が力任せに引き抜いて、血まみれの桜を投げ捨てると、化けものは糸が切れたように動かなくなる。
どうやら命は助かったらしい。そのことに安堵した私は、胸を撫で下ろす間もなく気を失ってしまった。
あのできごとからしばらく経ったある日、作業着姿の男が私の家を訪ねた。
客間で向き合ったところで、男はあらためて片桐と名乗る。
「具合はどうだ?」
片桐は真っ先にそうたずねた。
右足の怪我はひどく、もはや以前のようには歩けないらしいが、あの状況で命があるだけましだろう。私は曖昧にうなずいた。
あの後に何があったのかを、私は何も知らない。気を失ってしまった私が次に目覚めたときには、病院のベッドの上だったからだ。聞きたいことが山ほどあるような気もしたが、今さら聞いたところで何にもならないような気もした。
だからこそ、私は片桐にこんな話を振る。
「桜は挿し木や接ぎ木で増やされるのだそうですね」
片桐は虚をつかれたようだが、すぐにこう返した。
「染井吉野については、まあ、そうだな。各地に広まっている樹は全て一本の樹から始まっている。同じ遺伝子を持つ、いわばクローンだ」
「あの家にある桜の樹の枝を、新しく切り落とした者がいるようです。跡が残っていたのだとか」
その言葉に片桐は、そうか、とだけ返した。
「また、あんなことが行われるのでしょうか」
その問いかけに片桐は、さあな、と答えを濁す。
私はそれ以上、何も言わなかった。
「何かあったら連絡をくれ。俺の仲間に話してくれるでもいい。各地を回っているし、右腕に刺青があるのがその証だ」
片桐はそう言って、右腕の袖を捲ってみせた。そこには何かの植物がまとわりついているような絵が刺青されている。
私はあの洞穴で見た男の姿を思い出した。
「そういえば、あの男の右腕は真っ黒でしたよ」
「あいつは、もう戻っては来られないところまで行っちまったからな」
片桐は悲しそうにそう言った。
彼が村から去ってからしばらくして、あの桜の樹は伐り倒された。家の方もいずれ取り壊されるらしい。
右腕に刺青のある男とは、二度と会うこともなかった。




