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06 青

 


 アンティークな食器、真鍮の小物、革のノートに羽ペン、細かい模様が美しい鏡。瓶詰めのお菓子も並んでいる。


 城下町の雑貨屋に二人は来ていた。


「滅多にお客さんもこない家だからほとんど食器もないんだ。」とイリスの生活に必要な物を購入しにきた。


「君の家が決まったら持っていってもいいからね。」と言う言葉はイリスの気持ちを少し暗くさせたが、その言葉を今は忘れてしまうほどに、イリスの胸は弾んでいた。



 この雑貨屋は学生時代にもよく来ていた店だ。

 それでもこんなに気持ちが晴れるのは、雑貨屋に入るの自体二年ぶりだからだ。ベルトラン家に嫁いでからは、屋敷と採掘場の往復でそれ以外出掛けたことはなかった。


 手に取ったティーカップに目を奪われる。白地にコバルトブルーで描かれた花と鳥。白と青だけのシンプルな物だが、縁取りのデザインの凸凹も楽しい。


「それ気に入った?」


 隣からアンリが声をかけてくる。イリスは素直に頷いた。


「すごく。」


「じゃあ買おうか。」


 その言葉には素直に頷けないでいると、


「お金のことは気にしないで。僕あんな家には住んでるんだけどお金は結構あるんだよ。」エヘンと冗談めかして言った。自慢気な口調だが嫌味はなく、イリスへの気遣いなのだとわかる。


「ありがとう。じゃあこれにする。」


「イリスはブルーが好きだったよね。」


「そうだったかしら。」


 二年間働くだけの日々だった。義姉の使い古した服や小物だけを与えられ、給金もなく自身で何かを購入することもなかった。

 自分の好みを考える時間も、考える必要もなかった。



「自分の好きな物を忘れていたわ。」


 心配そうな顔をしたアンリと目が合う。勘がいいアンリにはその意味を悟られたかもしれない。心配させないようにイリスは慌てて続けた。



「でも、思い出したよ!青が好きだったわ、アンリの瞳の青。」


 そう、この色が好きだった。

 普段は穏やかな漂うような青が、魔法や成績を争っている時の強い眼差しの青が。


「えっ。」


 心配そうにこちらを見ていたコバルトブルーが揺れる。アンリの顔が少し赤くなるのを見て、大胆なことを言ったことにイリスは気づく。


「このティーカップの青、本当にきれいだわ!それにこの手書きの模様も!」


 誤魔化すように声をあげて、ティーカップに目を落とした。うまくアンリの顔が見られない。



「ティーカップと同じ柄の食器もあるよ。これにする?」


 アンリの声からも少し動揺が見られた気がしたが、それには気づかないふりをして話を戻すことにする。



 雑貨屋で様々な小物を見ていると、イリスは自分を取り戻していくようだった。

 ブルーが好き、花柄が好き、柔らかい生地の服が好き、書き心地のいいペンが好き、ナッツの入ったクッキーが好き。

 小さな好きを一つずつ思い出して、イリスはイリスを取り返していく。


 二年間、全部閉じ込めていた。繰り返される色のない生活で、鮮やかな気持ちを思い出したくなくて。



 お会計を済ませて、袋に詰めてもらったものをギュッと抱きしめてイリスはつぶやいた。


「好きなものを思い出していくのが嬉しい。」


 手の中にあるものは、全部自分の一部で愛おしい宝物の感情だ。こんなに幸福な物を忘れていたなんて。


「あんまり抱きしめると割れるよ。」


 注意しながらも、アンリも嬉しそうに笑ってくれる。


 ふとレジの横を見るとアクセサリーがいくつか並んでいる。

 その一つに見覚えがあった。コバルトブルーのペンダントだ。

 爪ほどのガラスの中に花模様の小さな銀箔が見える。


 ――同じものを持っている。いや、持っていた。


 ベルトラン家に嫁ぐ前にこの雑貨屋で買ったことを思いだす。

 大した値段の物ではなかったが、イリスが肌身離さずつけているのを目ざとく見つけた義姉に奪われていた。


 そうだ。密かなアンリへの気持ちを閉じ込めておきたくて、嫁ぐ前に買ったのだ。

 実父に売られ、話すこともできない男に嫁ぐ。それならば心だけはペンダントに閉じ込めておこうと。


 二年前の淡い想いを思い出して、心が揺れる。

 あの日義姉に奪われてからなくしてしまった感情だ。

 それは恋というには淡すぎるし、思い出というには眩しい。


 今からでも、この恋をやり直せるかしら。


 きっとアンリはイリスが結婚したいと言ったなら結婚してくれるだろう。

 アピスが結婚を望むならフローラは受け入れるしかない。


 でも、アンリはイリスを縛りたくないと言ってくれたのだ。


 得意の治癒魔法を磨き、王族の治療も任されるようになったアンリ。二年でアンリは遠い場所までいっている。

 イリスはずっと学生時代のままだ。夢もわからなくなって、ずっと同じ場所にとどまって。

 未亡人だというのに恋愛経験すらなく、学生時代の小さな恋心まで思い出してしまった。


 イリスもアンリのことを縛りたくなかった。



 ・・


 日が暮れる頃、リビングには色とりどりの雑貨で埋まっていた。


「ありがとう、アンリ。」


 食器や洋服、リネン類など、すべて生活を送るのに最低限の物ばかりだがイリスは言葉に詰まるほど嬉しい。

 一つずつ手に取って確かめる、どれも愛しく思える。


「あのベルトラン家にいたのに。」


 アンリはそんなイリスを見て小さくつぶやく。


「夜会よりも働く方が好きなの、ほら元々貧乏な家だったからね!」


 心配させないようにイリスは笑顔を作って見せた。あの日アンリが助けてくれたときのイリスの服装を見れば普段どんな物を与えられているかはわかったかもしれない。

 アンリもそれ以上は何も言わず、ペアで買ったティーカップにお茶を注いでくれている。


「アンリ、肩に白い花が生えてるわ。」


 ティーカップをテーブルに運んできてくれるアンリの肩に小さく咲いた花を見つける。


「ああ、本当だ。」


「治療しましょう。」


「これはまだ同化してないから、大丈夫だよ。」


 一呼吸してから提案したイリスの言葉は、いつも通りの笑顔でかわされる。


「同化してからだと遅い。」


「うん、わかった。」


 イリスが譲らないことに気づき、アンリはカップを載せたトレイを置いた。


「じゃあ、こっちにきてくれる?」


 イリスは椅子から立ち上がり、アンリの元へ進んだ。

 自分から言い出したことなのに、治療キスのたびに身体はぎくしゃくする。


「お、お願いします。」


「僕からするの?」


 緊張して声が上擦るイリスをアンリはニコニコ見下ろしている。

 イリスはコクンと無言で頷き、目を閉じた。


 肩に手が置かれたことを熱で知る。目を開けていても緊張するが、目を閉じていても、いつその瞬間が訪れるかわからなくてドキドキする。

 一向に唇は重ならず、イリスが目を開けるとアンリの青い目が輝いている。子供のような顔だ。


「な」


 イリスが「なに?」と紡ごうとした唇は塞がれて言葉は出てこなかった。

 文句を目で訴えたいが、青い瞳は閉じられていて、自分だけが恥ずかしい。


 また数十秒触れるだけのキスが続いて、またイリスの呼吸が続かなくなった時にアンリは離れた。


「なんでそんな意地悪するの。」


「緊張してるイリスが可愛かったから。」


 前回のキスから気づいていたが、アンリはキスの時にいたずらっこの顔をする。


「医療行為なので、いたずら禁止です。」


「次回からは気をつけます。」


 そう笑うアンリだが、いつのまにか肩においてあった手は腰にまわされていてゆるく抱きしめられている。


「医療行為です。」


「気をつけます。」


 アンリは腰から手を離して上にパッとあげた。


 やっぱりアンリは二年の間に遠くに行っている。こんなにスマートなキスをするなんて。

 恥ずかしいし、さみしいし、でも嬉しさも混じってしまって悔しい。


「アンリ、時間を決めてしない?朝とか昼に。」


「どうして?」


「キスと思うと恥ずかしいからよ。薬を飲むみたいに食前、食後と決めましょう。」


「本当に薬だ。」


 あははと笑いながらアンリはまたいたずらっこの顔になって


「じゃあ朝の回はイリスからキスしてね。」と要求を出してきたのだった。

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