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03 キス

 

 アンリがイリスの手を取って転移した先は、ベルトラン家の前だった。

 いつもと違うのはそこにズラッと騎士達が並んでいること。


「無事にアピスを保護したよ。家族が監禁していたみたいだから中にいる人たちを捕らえてくれる?」

「はっ!」

「それから彼女の地元にいる妹も保護してほしい。そちらにも向かってくれるかな?」

「はい!」


 アンリが騎士の一人に伝えると、部隊は屋敷の中に突入していった。


「じゃあ僕たちは先に王都へ行こうか。」


 アンリはイリスの手を取ったまま、停めてある馬車に連れて行く。

 前を歩く彼を見ながら、いまだに信じられない気持ちでいた。


 アピスの痣が浮かんだあの朝、義父に報告へ向かう前。

 フローラはどんな人だろうと想像した。今の生活を抜け出せるならどんな相手でもいいと思った。

 まさか知り合いが選ばれるだなんて、こんな偶然があるんだ。


 これは本当にアンリだろうか。卒業後すぐにベルトラン家に嫁いだから二年は会っていない。二十歳になり少し大人びた気もするが、面影は全く変わらないままで。毎夜瞼を閉じた先に見たアンリのままだった。



 馬車に乗り込んでもアンリはイリスの手を取ったままだ。


「大変だったね。」


 アンリは労るように優しく言って、手首に残る痣を撫でた。ロープできつく縛られていたから内出血を起こしている。アンリの手のひらが少し光ると痣は薄まった。


「僕が治癒魔法得意だったの覚えてる?

 今は王都の医局で治癒魔法の研究をしたり、治療する仕事をしてる。」


「もちろん覚えてるわ。夢を叶えたのね、すごい。」


 学生時代に二人で語った夢、アンリは治癒魔法のプロフェッショナルになると言っていた。


 イリスは自分の得意な分野、したかったことがもう思い出せない。学生の頃はあれだけいろんな選択肢とたくさんの夢があったのに。

 夢を叶えたアンリと、ずっと採掘場に閉じ込められていた自分とは大違いだ。イリスはどこかアンリを遠く感じてしまった。


 痣がどんどん薄まっていく腕を見ながら、イリスは気づいた。

 アンリの右手の薬指の爪が、白い花に変わっているのを。

 そして、身体の温度が一気に下がるのを感じる。



「待ってアンリ!私の治療よりも貴方よ!」


 怒涛の展開で頭からすっぽり抜け落ちていた。アンリはフローラで、五日間も放置されていたことを。


「僕?」


 イリスの手首に集中していたアンリが不思議そうに顔を上げる。


「アンリ、花蜜病はどこまで進行しているの?さっき身体に花が生えたと言ってたよね?」


「うん、でも初期だと咲いては勝手に抜けるみたいなんだ。抜ける時に痛みもないし……引っ張ると痛いんだけどね。まだその段階だから大丈夫だよ。」


「この爪は?」


 イリスはアンリの右手を取って、花になっている爪を見せる。


「あ、本当だ。なんかオシャレだね。」


「これも抜けるの?」


「これはもう同化しちゃってるかもしれないな。同化するとその後は散ってしまうみたい。」


「えっ!」


 身体が震えるのを感じる。イリスがすぐに申請出来なかったせいでアンリの病状が進んでしまっている。


「焦らなくても大丈夫、怖くないよ。ただ……キスしてもらわないといけないんだけど、いいかな?」


「も、もちろんよ!今すぐしましょう!」


 自分がアピスだとわかった時から、フローラとのキスは想像していた。

 しかしまさかそれが知り合いだとは思わなかったから、想像していたよりずっと恥ずかしい。

 しかもイリスにとってこれは初めてのキスなのだから。


「ふふ、焦らなくても大丈夫だよ。今はイリスも疲れてると思うから、回復してからでも。」


「嫌よ、今させて欲しい。」


 確かにイリスも躊躇した。医療行為とはいえ、友人と、初めてのキスをするなんて心の準備は全くできていない。


 でも、怖かった。アンリを失うかもしれない恐怖を拭いたくてすぐにキスをしたかった。


「お願い、怖いの。」


 アンリの手を取ったままのイリスの手は震えていた。震えるイリスの手をアンリは握り直した。


「うん、わかった。」

「アンリは優しすぎるわ。」


 この五日間アンリだって不安だったはずだ。進行を止めるためにかすかな手がかりを元に僻地まで来てくれたのだから。

 それなのに、命に関わる自分のことよりもイリスの痣を気にするだなんて。こんなにイリスを大切に扱ってくれる人などいなかった。



「えっと、じゃあムードもなんにもないけど、いいかな?」


 アピスがフローラにキスをするのは義務なのだから、当たり前に受け取ってくれていいのに。

 アンリは握っていたイリスの手を自分に引き寄せて、キスをした。


 人生初めてのキスだ。イリスは緊張してこわばっていたが、アンリのキスがあまりにも優しくて、ここ数日の恐怖がほどけて少しだけ涙が出た。


 触れるだけのキスを数秒続けてからアンリは身体を離した。


「ごめんね、ありがとう。」


 照れた顔で微笑むアンリは十八歳の頃のアンリのままだった。


「つ、爪。大丈夫かしら!?」


 照れくささを誤魔化してイリスはアンリの手を確認する。そういえばまだ手は繋いだままだった。恥ずかしさがまたこみ上げる。


「まだ花みたいだね。」


 右手を確認するが、まだ爪ではなく小さな白い花のままだった。


「も、もう一度する?」


「ううん、とりあえずもういいよ、ありがとう。」


 そう言ってアンリは手を離した。


「どうして?大丈夫なの?」


「うん、そんなに焦らなくてもいいよ。イリスもまだ驚いてるでしょ、君の相手が僕だって。」


「それはそうよ。まさかこんな偶然があるのね。いつ気づいたの?」


「さっき屋敷に入った時だよ!ベルトラン家といえば君が嫁いだ先だからまさかとは思ったけど。」


「そんなに驚いているように見えなかったけど。」


「あの辺境伯の前では冷静でいないとね。」


 そう答えるアンリの顔は大人びていて、イリスの知らない顔だった。

 辺境伯の前ではと言うけれど今だって冷静に受け止めている。


「えっと……花蜜病のペアは結婚が義務付けられていて……噂ではご主人を亡くして独り身だと聞いてる。結婚の方向でいいのかな?」


 そう切り出したアンリはこちらを気遣っているようだった。


「もちろんよ、アンリと結婚するわ。」


 きっぱりと答えたイリスに少しアンリは動揺しているようだった。その顔は昔のままのようで安心する。


「でも再婚になるけれど、貴方はいいの?」


「もちろんだよ。」


 アンリも今度はきっぱりと答えた。そしてまたイリスの手を取って治療を再開し始めた。


「でも急がなくていいよ、本当に。傷が治ってからで。」


 アンリの優しい声を聞いていると、イリスは段々とこれが現実だと理解できてきた。



 ・・


 夜、二人は宿の一室にいた。

 王都までの道は長く、日が暮れてきたので宿を取ることにしたのだ。


 ツインベッドの広い部屋ではあるが、男性と二人で夜を過ごすのは初めてのイリスは少し緊張していた。


 先程アンリが「イリス・ミィシェーレ」と宿屋の帳簿に記入していたのを見て、なんともくすぐったい気持ちになったのもある。

 宿屋には夫婦と思ってもらった方がいいということでそう記入しただけなのだが、近い未来に自分がミィシェーレ夫人となることを強烈に意識してしまったのだ。


 夕食を取り、あとは寝るだけだ。

 ベッドは二つあるのだから緊張することはないとイリスは言い聞かせながら、アンリを盗み見た。


 アンリは特に意識している様子もなく、今回の顛末の報告書をデスクで書いている。

 アンリは緊張していないのだろうか。女性に慣れているのだろうか。学生の頃アンリは本当によく言い寄られていたし、卒業後の彼はどうだったのだろうか。

 今回普通に結婚を受け入れたのなら独身なのだろうけど、恋人や婚約者はいなかったのだろうか。彼の女性に対するスマートな対応を思えば恋人がいたほうが自然だ。


 二年離れていると、今のアンリのことは何も知らないのだと気づく。


「どうかした?」


 イリスの視線を感じたアンリがこちらを見た。こんな優しく見つめられることはベルトラン家ではなかった。


「ええ、と。花は大丈夫かなと思って。」


「そういえばさっきキスしてくれたからかな。あれから生えていないね。」


「そうなの!?それはよかった。あ、そうだ、また今からする?」


 進行を抑えるためにキスは何度かしたほうがいいだろうとなんの気無しにイリスは提案してみた。


「しないよ。」


 拒絶の言葉とは裏腹にアンリの顔は真っ赤に染まっていた。


「こんな夜に二人きりで泊まっているのに、できないよ。」


 どうして?と聞こうとしてやめた。医療行為と思えなくなってしまうかもしれない、そうイリスも思ったからだ。

 アンリの表情が伝染してイリスの頬も赤くなる。


「そ、そうね。焦りすぎたわ。顔を洗ってくる。」


 熱い頬をパタパタさせながらイリスは部屋を出ていった。



「……まさかイリスがアピスだなんて………困ったな。」


 まだ赤い顔のままアンリはぼそりと呟いた。

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