虎の姫君
虎の姫君 時系列は本編前
武門の名門・伯家。
国内で四本指に数えられる由緒正しき名家。
帝都に構えられた伯家の邸のうちの一つで、一人の夫人が先日送られてきた文を手に取っていた。
――――冬枯れの季節を迎えました。
従姉上におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
体調を崩されておられぬか、不肖の従弟ながら気にかかっております。
どうか御体ご自愛なさいますよう。
筆不精につき、手短とはなりますが時節の挨拶とさせていただきます。
律儀なことだ。丁寧な季節の挨拶の文。送られてくるようになったのはいつの頃からだったか、確か夫と婚姻してからだったような気がする。
天上天下唯我独尊、傲岸不遜な常の態度からは想像もできないほど、流麗な手跡。普段の粗野な態度を知る者たちにとっては信じられないことかもしれないが、彼は決して学や礼が無いわけでもないし、風流を解さないわけでもない。むしろ、敬愛する皇帝の傍らに立つに相応しい人物足ろうと、幼い頃から人一倍自己の研鑽に励んでいた。
従姉であった自分は、そんな従弟を傍でずっと見てきた。
「姉者」
数個年下の従弟と、彼女はいずれ結婚することになると親に言われていた。
今でこそ「伯系武官」と呼ばれる伯家に由縁を持つ家が多くあるが、それらは伯家の娘たちが軒並み他家に嫁いでいったことに端を発する。
後継ぎである息子がいれば、娘が家を出るのは自然だ。しかし今までの伯家は、嫁ぎ先の家格などを一切考慮してこなかった。そのせいで、庶民の中にでさえ伯家の遠縁を名乗る家が出てくる始末となった。そしてそれに反して本家は年々その人数を減らしていき、直系の男子は彼女の父と、その兄である伯家当主、そしてその息子である従弟だけとなってしまった。
帝国の四大貴族の一つの直系長姫に生まれた彼女には、当然皇太子――後の緑龍帝だ――の妃の一人にという話もあった。伯家ほどの家ならば、四夫人の地位は固い。
しかし、父と伯父はこれ以上血を薄めぬためにその話を辞退し、それぞれの子どもたちを番わせることにしたのだ。彼女はいずれ家の為に嫁ぐことを理解していたためすんなり受け入れたが、従弟が何の文句も無く承諾したのは意外に感じたものだった。
しかし残念なことに、彼女の両親はその後、彼女以外の子宝に恵まれることはなかった。必然的に彼女は家を継ぐことになり、従弟との縁談は数年で破談となったのだ。
それから数年後。
皇太子が皇帝になったのと時期を同じくして、当主であった伯父が死んだ。
戦場で死んだのでも、病で死んだのでもない。
殺されたのだ。――――実の息子に。
そして父もまた、甥の手にかかり死んだ。母はそれに絶望し、後を追うように自ら命を絶った。このことは公にはされていないが、知る者は知っているだろう。
父が死に、自分は当初の予定通り、決められた許嫁と婚姻して家を継いだ。その夫も病で死に早二十数年。
今は、亡き夫との間に生まれた一人息子と共にその主人に仕えている。息子の乳兄弟であり、自身が乳母を務めた人物だ。そして、紆余曲折を経て、従弟の養い子になった人物でもある。
(飛も大きくなったわ)
夫が死んだ時、まだ成人もしていなかった息子は今では妻も子もいる。
取り留めもなく物思いに耽りつつ、返信用の紙を取り出す。
――――先日文が届く少し前、所用で伯家本邸に行った際、彼女と従弟が生まれる前から伯家に仕えている老爺と会った。もう九十近いと思われる老爺は、まだまだ元気に勤めているようだった。
「ひい様がいらっしゃれば、殿も少しは大人しくなられますのに」
従弟は普段居城である西の白虎城にいるが、珍しく単身帝都に来ていたのだという。機嫌が悪かったのか茶器を二、三壊されたと、老爺は大きな溜息を吐く。
「”小雄”は相変わらず癇癪持ちね」
昔の呼び名で呼ばれたせいか、彼女もつい幼子を呼ぶ愛称を口にした。
彼の幼い頃はそれこそ、まさしく虎児のように癇が強く、気性が激しい子どもであった。気に入らないことがあると癇癪を起して地団太を踏み、物を壊す。高価な玉や陶器、装飾品、お構いなしだ。早々に匙を投げた親や使用人たちに代わり、宥め役になったのは彼女だった。それもあったのか、死んだ伯父は彼女くらいしか息子の嫁にはなれないと嘆いたものだった。
「ひい様が本邸に居られれば、殿も御心が安心されましょう」
何となく使用人たちは、彼女に本邸に入ってほしいと思っているだろうことは薄々感じていた。しかし、いくら息子に家督を譲ったとはいえ、分家である自分が本家に住まうのは如何なものか。息子は仕事で不在がちで、家内の取り仕切りを嫁に任せきりにするのも悪い。
「周りが怖いからやめておくわ」
ありきたりな台詞でそう言うのみだ。
よくも自分の両親を殺した相手と変わらず親戚付き合いできるものだと、我ながら思うが……。
父を殺したのだと、従弟は彼女に面と向かって告げた。傍から見ると何の罪悪感も持っていない不遜な態度だったが、彼女はその目に怯えの色が微かにあったのを確かに見たのだ。
(しようのない子……)
さあ返信を書こうと、彼女は筆を執った。返事が遅いと何気に気にするのだ、あの弟分は。