雀の群像劇
雀の群像劇
人生というものは、思い通りにならないものだと。自分は常々思う。
国内有数の武門の名家の次男として生を受けた。
厳格で野心家だが、偉大な父。そんな父とは正反対の小柄で少女のような風貌の、心優しい母。そして母によく似た、弟思いの尊敬できる兄。
父は厳しく実の息子にすら容赦がなかったが、母と兄は優しく、自分は何の心配もせずに日々を過ごしていた。家の後継ぎには父から一身の期待を傾けられている兄がいて、自分は精々その兄を支えるくらいでいいという気楽な気持ちだった。
転機は何だったのか。
母が死んだ時か。
その時の父の嘆きは凄まじいものだった。人目も憚らず泣き暮れ、ひと月以上人前に姿を現さなかった。家の隆盛しか頭に無いような父だが、母には心底惚れていた。妻の死は、屈強な武人である彼に深い傷を負わせた。
それとも、優しい兄が遊女を妻に迎えたいと言った時か。
兄が華南の遊郭に通っているという噂は、確かに自分も耳にしたことがあった。しかし、くだらない嘘だと決めつけていた。兄はそういうことに免疫がない上、貞操観念が処女並みにお固い。どうせ付き合いで断り切れずに入ったところを、たまたま見られた程度だろうと。だが、兄はなんと遊女に惚れ、その女を正妻にしようとしていた。
父の怒りは、家紋の色を現すかのように業火の如く燃え上がった。いつも父の感情を抑えていた母がいなくなり、その怒りは留まるところを知らなかった。結果、兄は勘当され、次の当主には自分がなることになった。
兄が父に勘当された後、父が決めた兄の許嫁だった娘は他所に嫁ぎ、代わりにその妹が自分に嫁ぐこととなった。婚姻の宴前の初の顔合わせ。邂逅一番に妻が言った言葉はこうだ。
――――お兄様には似ていらっしゃらないのね。
その言葉だけで十分だった。彼女が誰を好いていたのか、何のつもりでこの婚姻を受け入れたのか。兄が勘当され縁談が破談となった後、我が家の面目は丸潰れであり、誰も縁を結ぼうなどと言わなかったなかで、一人名乗り出てきたのだから。
だが別にどうでも良かった。自分とて、彼女を好いてはいなかったし、好かれたいとも思っていなかった。何もかもが、どうでも良かった。
しばらくして、息子が生まれた。
息子が生まれてから、妻とは干渉し合わない適度な距離を保った。所謂、家庭内別居だ。お互い好いた惚れたの関係ではない、そのほうが気を使わず楽だった。
次の転機は、兄の遺された妻と娘を迎えたことだろうか。
勘当されて以来、兄とは連絡を取っていなかった。だが、自分はどうしても兄の身の上が案じられ、秘密裏に調べさせていた。父が知っていたかは分からない。
報告によれば、兄は市井で妻と穏やかに暮らしているとのことで、ひとまず安心したのを憶えている。しかしその間もなく、火事になった町屋から子どもを助けようとして呆気なく死んだと聞かされた。本当にすぐだった。しかも、妻の腹には赤子がいると。
父にも急いで報告をしたが、一蹴された。父にとってしてみれば、息子を勘当する原因となった卑しい遊女の女と、その女の血を継ぐ子など、認知することすら厭わしかったのだろう。
言外に自分にも手を出すなと圧をかけられたが、それを無視してすぐさま兄の妻を探した。
そして何とか見つけたが、彼女はひどく憔悴しており、正直気が狂っているのではないかと思われる姿だった。このままでは腹の子も危ないと思い、父の許しも得ずに邸に迎え入れた。
父は何も言わなかった。代わりに言ってきたのは妻だった。
傍から見れば、夫がどこの馬の骨とも知れない女――しかも腹に子を宿した――を突然連れ帰って来たのだ。正妻として看過することはできなかったのだろう。加えて、かつて想いを寄せた男の妻だと言うではないか。心中穏やかでいられなかったのだろう。だが、自分には今更妻の意見を聞く気など更々なかった。
しばらくして、彼女は娘を出産した。れっきとした直系長姫の誕生だ。
姪はとても兄に、というより亡き母に似ていた。間違いなく我が家の血を引く姫だ。息子が生まれた時よりも、感極まるものを感じた。
産まれた孫娘を見て、それまで口を挟まなかった父が、この子を養女に迎えるようにと命じてきた。気が変わったのか、それとも利用価値を感じたのか。
姪は今、自分の実の娘という体で皇宮に出仕している。息子も、父も同様に中央にいる。
南の本邸にいるのは自分だけだ。秋に向けての準備は、こちらがすることになるだろう。我が家のれっきとした直系第一の姫のために、完璧な入内の支度を整えなければならない。それが、亡き兄への何よりもの弔いになるだろう――――。