88_ダミアンの孫②
「そう言えば、兄ちゃん『ズカン』って知ってる?」
夕食後の簡単な後片付けが終わったあと、ルネがアヤセに尋ねる。
「『ズカン』? 『図鑑』のことだろうか?」
アヤセは、ステータス画面を呼び出し、メニューの中にある「図鑑」を選択する。
「そうそう、それ!」
ルネは、部屋の片隅にある本棚から分厚い冊子を手に取り運んでくる。
「冒険者は空中に浮かぶ板(注:ステータス画面のこと)で見られるからいいよな。オイラ、ズカンを集めてんだ。兄ちゃんのズカンに載っていることを教えてくれよ」
「図鑑を集めている? 項目は沢山あるけどどんな情報が欲しい? 『プレイヤーの記録』という項目もあるが、変わった内容だと『累計死に戻り回数』というのもある。ちなみに自分の回数は二百九十二回だ」
「多っ! って、ちがうよ! オイラが集めているのは生き物の項目だよ!」
「ああ、生き物ね。あまり図鑑は埋まっていないと思うけど……」
アヤセがステータス画面から見ている図鑑は、言わばゲーム上のデータベースの役割を担っている。閲覧できる情報は多種多様で、その中にルネの言う動植物の項目があった。この「動植物」は、大陸に生息する生き物全般が対象になり、食材になる野菜や、釣りや漁で獲れる魚介類も含まれる他、モンスターまでも一括りにされているのが特徴だった。
「王都にいる生き物はほとんど見つけたんだけど、オイラ、王都から出たことがなくてさ。兄ちゃんラタスに行ったんだろ? だから、ズカンで埋まっているところがあったら教えてほしいんだ」
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【クエスト(NPC)】
ルネの依頼(1)
内容:ルネ少年のズカン「動植物」の項目を五個埋めよ
報酬:光彩のガラス玉×10、経験値100
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また思わぬところでクエストが発生した。どうやら報告するものは、動植物ならどれでも構わないらしい。自身の図鑑を閲覧したところ、特別な過程を経なくても本人が対象を目にすれば自動で登録される模様で、思っている以上に埋まっていた。適当なものを提示すればルネのクエストは問題無くクリアできそうだった。
「おっ、スゲー! やっぱり王都の生き物とはちがうなー」
=個人アナウンス=
ルネ少年から以下のアイテム等が贈呈されました。インベントリに収納されます。
・光彩のガラス玉×10
また、クエストを達成したことにより、経験値100を獲得しました。
「ありがとう、兄ちゃん。今度もよろしく。王都の外にはオイラが見たことない生き物が、いっぱいいるんだろうなー。あー外に出たいなー」
「ダメよルネ。王都の外は、あなたには危険すぎるわ」
マルグリットは、ルネをたしなめる。確かに彼女の言うとおり、ルネ一人ではモンスターが徘徊する王都の外に出るのは危険である。だが、少年の冒険心は中々抑えることが難しいようだ。
「姉ちゃんはいつもそればかり! そう言えば兄ちゃんって強いんだろ? だったらオイラを外に連れて行ってくれよ」
「ルネ! アヤセ様は、忙しいのですからそんなこと言わないの!」
「ちぇー、でも兄ちゃん、暇なときがあったら声をかけてくれよな」
(あれ? 流れ的にルネ少年からクエストが発注されるかと思ったが、そうではないのか。まぁ、今後も交流を続けていけば、自然に護衛系のクエストが出現しそうだな)
ルネのクエストはまた今度になりそうだったが、NPC関連のクエストの多彩さは各キャラクターに深みを感じさせ、思い入れも強くなる良い工夫だとアヤセは思った。
「さて、ルネも図鑑のことはこの辺にして、面子も揃っておるし、久しぶりに卓を囲むとするか。アヤセ青年は麻雀を打てるかのう?」
「麻雀でしょうか? え、ええ、多少は……」
(ゲームの中でも麻雀は麻雀なのか。それにしても、十歳のルネ少年がルールを知っているのか?)
「四人でやるのも久しぶりね。アヤセ様、お時間いただいても大丈夫でしょうか?」
「マージャンかー。オイラ負けねーぞ!」
(意外に皆やる気だな。まぁ、時間の余裕はあるし、特殊なローカルルールがなければあまり強くない自分でも、ある程度はできそうではあるが……)
既にダミアン老人はアヤセの返答を待たず、先ほどまで食卓だったテーブルに毛布を敷き、その上に麻雀牌を広げている。アヤセは、そんな様子を見て半荘くらいなら付き合ってもいいかなと思いながら、三人がいきいきした顔で行っている洗牌(注:簡単に言うと麻雀牌のシャッフル)に加わるのだった。
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「……駄目です。チーちゃんが寝てしまいました」
アヤセの手の中でチーちゃんは、気持ちよさそうに眠りにつく。
「仕方がないのう。残念じゃが、今日はこの辺でお開きにするか」
ダミアン老人が無念そうにゲームの終了を告げる。これでチーちゃんの一人勝ちが確定した。
結局、対局は半荘一回では済まず三回も行ってしまった。始める前にチーちゃんが麻雀を打てることが判明したので、アヤセに代わり面子に加わったのだが、驚いたことに召喚獣のメージロは相当の打ち手であり、ダミアン達はあっという間に点棒をむしり取られた。
その後、アヤセがルネと交代し雀卓に入ったものの、当然歯が立たず惨敗を喫した。三回目の半荘が終局し、四人は、チーちゃんからの負けをこれから取り戻そうと意気込んでいたが、夜に弱いチーちゃんは、勝負のことなどお構いなしに眠りについてしまったのである。
気が付いたら時刻は午後九時三十分を回っている。ゲームに夢中になり、随分長居をしてしまった。ルネもそろそろ寝る時間になるだろうから、そろそろお暇するべきだろう。
「チーちゃんも寝てしまいましたし、自分もこの辺で失礼させていただきます」
「ふぁあ~。オイラも眠くなっちゃったよ」
「じゃあ、ルネ、寝る支度をしましょう」
「ところで、皆さん寝る際はどうされるのですか? 見たところベッドが無さそうですが……」
「ああ、寝るときは、部屋を片付けてハンモックを吊っておる」
マルグリットとルネは、手際よく麻雀牌やテーブルセットを部屋の片隅に片付け、衣装箪笥のような家具からハンモックを取り出し、壁に取り付けたフックにハンモックを三つ掛けていく。一応これなら狭い部屋でも三人の就寝スペースは確保できそうだった。
「なるほど、生活の知恵ですね。ダミアンさん、今日は夕食に御招待くださいましてありがとうございます。マルグリットさんとルネ少年もありがとうございます」
「じゃあな兄ちゃん。また、ズカン見せてくれよな」
ルネは元気よく応じる。一方、ダミアンとマルグリットは視線を交わし、何か意思を確認し合うような素振りを見せた。
「アヤセ青年よ、またいつでも遊びに来なさい。出口まで送ろう」
「いえ、私がお送りします」
「しかし、メグよ……」
「私からの方がいいと思うのです。お願いします」
「そうか……」
意を決した顔を見せるマルグリットにダミアン老人は、それ以上何も言わない。アヤセも二人の様子の変化に気付いたが、この場では返答は得られないだろうと思い、尋ねるのを控えた。
「アヤセ様、出口までお送りします」
アヤセはマルグリットに先導され階段を降りる。
一階のアイテムマスターギルドの執務室は当然のことながら人気もなく明かりも灯されていない。だが、今夜は満月のため窓から差し入る月明かりが室内の一部を照らしている。
「あの、夜も遅くで申し訳ございませんが、もう少しだけお時間をいただけないでしょうか?」
「ええ、構いません。何か大事な話があると思っていましたから」
「……アヤセ様には、お見通しのようですね。ちょうどあそこの辺りが明るいですから、お話しはあちらでいたしましょう」
遠慮がちにアヤセを引き留めるマルグリットに対し、アヤセは快諾の意を示す。彼女はそれを聞き少しほっとしたような表情を見せた。
二人は月明かりが照らす窓際の応接セットへ移動し、ソファーに相対して座る。
「……」
「……」
月明かりに照らされたマルグリットの姿は正に「月下美人」と例えるに相応しい。
最も、当人は深刻な顔をして押し黙っている。祖父に対し自ら役を買って出たのはいいが、どのように話を切り出したらいいか迷っているように見受けられる。そんな彼女を見かねて、アヤセは、なるべく気軽な雰囲気になるよう努めて口火を切った。
「二人きりで話すのが今日は初めてでしたので言う機会が無かったのですが、今日サモナーギルドに出向きまして、マルグリットさんがガブリエル氏に預けた封筒を受け取りました。自分の適性に合った依頼を沢山紹介してくださったお陰で、貢献度ランクが無事に『3』に上がりました」
「そうですか。ご案内したクエストがお役に立ったようで何よりです」
「ですが、疑問に感じていることがありまして……。何故、本職のサモナーでもない一介のアイテムマスターにこうまでして便宜を図ってくれるのか自分には不思議で仕方がないのです」
(ダミアン老人が自分を私的空間に招き入れたことや、彼女のクエストの斡旋は、果たしてイベントの一環なのか測りかねる。一部のNPCにはAIが搭載されているらしいから、ゲームが進行するにつれ、自律的な行動を取るキャラクターも出始めているかもしれない。もし、そうだしたら老人や彼女を動かすものは、一体何なのだろうか?)
マルグリットは、アヤセに対し微かな笑みを見せ、疑問に答える。
「私がこうする理由でしょうか? アヤセ様とお会いして祖父と私とルネの生活、もっと言えば人生が良い意味で大きく変わりました。クエストの紹介や今夜夕食に御招待したのも、アヤセ様に対する私達なりの感謝の気持ちです」
「人生が? それは少々大袈裟ではないでしょうか?」
「そんなことはありません。アヤセ様が所属されるまでアイテムマスターギルドでは、依頼が全く消化されず、ギルド本部からも運営を問題視されていたのです。このままの状態が続いていたら、祖父は能力不足と見なされ解雇されていました。そうなると住み込みで働いている私達家族は、住む家を追われます。アヤセ様が多くの依頼を達成してくれたお陰で祖父は解雇を免れ、私達はこうして生活できるのです。私だってそうです。チーちゃんと仲直りできましたし、それに勧誘の件をギルドマスターか更に上の誰かに話してくださったのは、アヤセ様ですよね? アヤセ様にお話しした後、少しも経たずに勧誘が中止になって、男性冒険者の来客もめっきり減りました。私が本当に困っているときに、手を差し伸べてくれてことは、どれだけ嬉しかったことか……。それなのに私達は……」
マルグリットは目線を下に落とし、スカートをぐっと握りしめる。その様子はまるで後悔をしているかのような、自らの行いを恥じているかのようにも見える。しかしアヤセは、何故彼女が辛そうな様子を見せるのか見当がつかなかった。
アヤセがそのようなことを考えていると、目線を下に落としていたマルグリットは、何かを決心したようで、深呼吸したあとアヤセの目を見て語り出した。
「アヤセ様には、兎にも角にもまずは、私達のことを知っていただかなければなりません。私の本当の名前は、マルグリット=カトリーヌ=ヴァロア、元伯爵アレクサンドル=ロメリーノ=ド=ヴァロアの長女です」




