表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The end of the world online ~不遇職・アイテムマスター戦記~  作者: 三十六計
第四章_立ち込める戦雲

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/107

58_弔いのかたち

 「それでよ、イベントは進めるのか?」


 大八車を牽きながらホレイショがアヤセに問う。


 「それなのだが、少し迷っているんだ」


 大八車の後ろを自身の腕とプリスの袖で押しながらアヤセが答える。


 二人は、人通りが無いバンボーの通りを、大八車を牽いて歩いている。木製の車輪は重い上に固く、動かすとガラガラとかなり大きな音が深夜の街中に響き渡る。時刻は午前一時を過ぎており、住民達も既に寝ているはずだから、騒音が迷惑にならないか心配だ。


 「荷車を借りることができたのはいいが、重いな……」

 「仕方ない。大八車自体が丈夫な木製だし、『積荷』が意外に重いのだから」

 「それは、本人の前で言うなよ」


 二人が大八車で運んでいるものは、酔っ払って寝入ってしまい、そのままタイムオーバーで強制ログアウトとなったノエルだった。

 このゲームでは、バイタル管理を目的として、現実世界の時間で連続五時間以上のプレイは制限されている(プレイ時間に応じてインターバルも定められている)。もし、制限を超えた場合は、強制的にログアウトされ、インターバルが本来の倍になるペナルティが課されることになる。ノエルはどうやらアヤセに出会う前から長時間ログインしていたようで、うっかり泥酔してしまったことで、ログイン時間超過の事前警告に気付くことなく強制ログアウトとなってしまったようだ。


 「しかし、強制ログアウトしたプレイヤーって、ピクリとも動かないし、体もカチコチに固くなるから荷台に載せるのも一苦労だったな。荷車の雰囲気もあって、本物のホトケさんを運んでいるみたいだぜ」

 「そんな気味が悪い。……しかし、強制ログアウトしたプレイヤーの姿がこうなるって初めて知ったな。さすがに道端でこうなったら恥ずかしい限りだ」

 「全くだ。硬直はハラスメント防止対策だろうから、ダメージを食らったりしないだろうが、それでもこんなみっともない姿は、目にしたプレイヤーの記憶に鮮明に残るだろうよ。俺もこうならないようにプレイ時間には、気をつけるぜ」


 荷台に載せたノエルにムシロをかぶせ、二人が向かっているのはバンボーの外にある宿屋である。タツゴローとオチヨからノエルを泊めてもいいと言われたが、おそらくペナルティがついた状態だと、ゲーム時間で七、八日はこのままだろうから、店の営業を考えるとさすがに好意に甘える訳にもいかず、大八車を借受け、近場の宿屋にとにかく押し込めることにした(バンボーには宿屋が無いので、一番近い東地区の宿屋でもそこそこの距離がある)。


 「それで、イベントの話だが、明日は王都城外に出かけて行先での結果次第でイベントを継続するか判断しようと思っている。いずれにしても狐陶庵を訪ねるのは、明後日以降にしてくれないだろうか?」

 「構わねぇぜ。で、どこに行くんだ?」

 「西部の国境付近だ。朝一番で王都を出れば、その日のうちに閉門時間まで余裕をもって戻れるはずだ。でも、自分もその前に一回ログアウトするかな」

 「止まれ! 貴様等何者だ!」


 突然、誰何の声が響く。声のした方に目を向けると五、六人の武装した男達がこちらに提灯を向けていた。


 「こんな夜中に荷車を牽いて何を運んでいる? 怪しい奴め。積荷を改めるので神妙にいたせ!」


 二人を不審に思い提灯をかざしているのは、バンボーの出入口の門に詰める門衛達であった。

 

 「おいおい、門番がいるなんて聞いてねぇぞ……」

 

 ホレイショが悪態をつくがもう手遅れである。


 「御覧ください。此奴等は死体を運んでおりますぞ!」

 「何と! しかも若い女子(おなご)ではないか! 貴様等、これをどう申し開きする!」

 「全く面倒なことになったな……。このままでは自分も強制ログアウトになってしまうぞ……」


 アヤセは、今晩何度目になるか分からないため息を大きくついて肩を落とした。

 結局、番屋に引っ立てられた二人は、疑いを晴らすのに手間取り、かなり長い時間足止めを食らった上、ノエルを運んでいたことについて、人騒がせであると何故か油をこってり搾られるのだった。


 ==========


 ―――二日後―――

 

 アヤセとホレイショは、狐陶庵の山門をくぐる。庭園は先日と変わらず、この季節を象徴する藤棚で藤の花が咲き乱れている。

 庭園で掃き掃除をしていたオサキは、山門からやってくる二人を見て、掃除の手を止め来客を出迎えた。


 「これは、アヤセさん、ようこそいらっしゃいました」

 「オサキさん、こんにちは。今日は先日お話しした大工を連れてきました」

 「大工のホレイショでさ。庵主様、よろしくお願いいたしやす」


 脱帽し、右手で前髪を掴む仕草を添え、珍しく丁寧な言葉でホレイショはオサキに挨拶する。


 「貴方が大工さんね。ホレイショさん……、確かオチヨから話を伺った覚えがあります。あの子とは仲良くされているようですね。これからもオチヨのことよろしくお願いします」


 オサキの慈悲深い微笑みと、アヤセの意味深な横目をそれぞれ向けられたホレイショは焦って冷や汗を流す。


 「そ、それでは、雨どいを見させていただきますかね。あと、他に直すところがないかついでに見るので、しばらく時間をくだせえ。相棒はそれまで庵主様のお相手を頼むぜ」


 そう言うとホレイショは、そそくさと逃げるように庵の裏側に消えていく。その様子を見てオサキは小さく笑う。


 「ふふっ、オチヨも良い人を見つけたようですね。でも、お相手にその気があるのでしょうか?」

 「本人は、年齢差と別の世界に妻子がいることを理由に断ろうとしているみたいです」

 「あら、そう。でも、それは冒険者にとって、障壁になりませんわ。……この世界ではね」

 「……」

 

 オサキの言っていることは真理をついている。ゲームの世界におけるプレイヤーの選択は自由、あとは本人の考え次第だ。


 「それで、お忙しいところ申し訳ございませんが、ホレイショが作業している間、お時間を頂戴したいのですが? 少し大事な話をさせていただきたいのです」


 アヤセの表情が真剣なものに変わったのを見て、オサキは頷く。


 「構いません。掃除は改めて行えばいいのですから」


 オサキの案内に従い、アヤセは先日と同じ庵の客間に通される。下足の上、畳敷きの部屋に正座してオサキと対面するアヤセ。開け放たれた縁側から、気持ちのいい初夏の風に混ざってホレイショが槌を振るう音やチーちゃんの鳴き声が微かに聞こえてきた。

 

 「アヤセさん、お話とはどのようなことでしょうか?」


 庭の景観や季節の移ろいを、ゆっくりと時を忘れて楽しめればどれだけ良いだろうかと考えつつ、アヤセはオサキの促しに従い、口火を切る。


 「人の出会いは正に一期一会。どこでどの様な方と(えにし)を結ぶかは分かりません。先日もアイテムマスターギルドの依頼を通じ、遥か東方から海を渡って来た王族の末裔の方との出会いがありました。今回出会ったその方は、自分の知り合いとも深い因果で結ばれている間柄だったのです」


 アヤセは、インベントリから一つのアイテムを取り出す。


 「!!」


 アヤセの目前に置かれたアイテムは、フィールドボス「タダミチの生霊」の初撃破報酬「カナエのペンダント」である。このアイテムは、ゲンベエ師匠の求めに応じて譲っていたのだが、昨日アヤセはラタスより鍛冶場に戻っていたゲンベエ師匠の下を訪ね、事情を説明して借り受けていた。

 

 「このペンダントをどこで……」


 アヤセは、直接オサキの質問に答えず、話を続ける。


 「ゲンベエ師匠は、今でも変わらず、同じ場所で、お二人との間に生まれたカナエさんの冥福を祈りつつ、刀を打ち続けています」

 「ゲンベエ殿は、今でもあそこに……?」


 衝撃を受けたオサキは息を飲む。そして、アヤセが続きを話すのを待った。


 「ゲンベエ師匠から事情はある程度伺いました。二十年前、タダミチにより愛娘のカナエさんが殺害され、バヤン川に投げ捨てられたことを。建立した墓標の周りに忌まわしい生霊が現れ、お二人を苦しめたことを。本当に痛ましい出来事に、オサキさんがどれだけ心を痛められたか察するに余りあります」


 アヤセはペンダントを手に取り、オサキの目前まで持っていく。アヤセに差し出されたペンダントを悲痛な表情で見つめていたオサキであるが、両手でそれを受け取った。


 「……これは、あの子の物で間違いありません。ゲンベエ殿からカナエが亡くなったあと、私があの鍛冶場を去ったこともお聞きになりましたね? あの人は私のことを恨んでいるでしょう。そのことは何も言わなかったのですか?」

 「はい、ゲンベエ師匠は、鍛冶場を出られたオサキさんの帰りを待っているとだけ言われました。それ以外何も伺っていません」

 「……! ゲンベエ殿らしいですね。私はいつもあの人の優しい心に甘えているだけ……」


 オサキは真っ赤に腫らした目を、懐から取り出した手拭いでそっと拭く。そして少し間をおいて、小さく息を吐くと、昔を思い出すかのようにポツポツと語り始めた。


 「あの人の作る刀剣は、どれも美しく、私の心を掴んで離しませんでした。若き日の私は、当代随一の鍛冶の腕前を持つあの人に惚れ込み、あの人を自分の物にするため、強引に迫ってお家のことも何も考えず、押し掛けで夫婦(めおと)の契りを結んで、駆け落ちせざるを得ない状況を作り出したのです」

 「……」

 「時折行商人が訪れる以外は、世俗と隔絶された場所で鍛冶場を開き、私達は幸せに暮らしていました。あの人の作るパンが非常に美味しかったことはよく覚えています」


 (当時からゲンベエ師匠はパン焼きの名手だったのか……)


 「やがて、私達の間にカナエも生まれ、家族が増えました。あの子は美しく成長するにつれ、父の仕事に興味を持ち始め、玄翁を持つのが運命で定められていたかのように鍛冶の道に進み、その才能を開花させたのです。もし生きていたらあの人をも超える存在になっていたかもしれません」

 「そこに現れたのがタダミチですね」

 「はい、私達は駆け落ちして世間から隠れるように暮らしていましたが、私は実家で理解のある者達と定期的な連絡をとっていました。その時の連絡役が実家で下男をしていたタダミチだったのです」

 「タダミチも鍛冶に大きな関心を持っていたと伺いました」

 「はい、タダミチもゲンベエ殿の神業に魅せられた者の一人です。本来、剣の腕が立つから連絡役を任されていたはずだったのですが、鍛治場を訪ねる毎に、あの人の弟子のようになって懸命に槌を振るっておりました。本人の鍛冶師の腕前は、あの人の言うところ相当なものだったようです」

 「……」


 タダミチは元々孤児だったそうだが、オサキの実家に引き取られ、奉公人として働いていた。オサキと実家の連絡役をきっかけに、ゲンベエ師匠と出会い、鍛冶師としての才能を見出されたのだが、同時にそれが悲劇の始まりでもあった。


 先ほどオサキも述べていたように、娘のカナエは偉大なる父をも超えると目されるくらいの才能を秘めており、いくら他より優れた才能があるとはいえ、タダミチはカナエの足下にも及ぶはずがなかった。

 孤児で身分も低いタダミチは、鍛冶師として名を成すことで人生の逆転を目論んでいたが、カナエという超えられない壁がある以上それが実現できず、次第に精神を蝕まれ、ある日誰もが予想もしなかった凶行に走る。

 タダミチは、自身にとってしがらみの多い王国を捨て、当時広く人材を集めていた帝国にカナエを無理矢理連れて逃避しようとした。しかし、国境線のバヤン川近くで抵抗され、激高したタダミチはカナエを斬殺、亡骸を川の流れに落として帝国に逃げ込んだ。以降、タダミチの行方は知れないが、噂では帝国において栄達を果たしたとも言われている……。


 以上が、ゲンベエ師匠から聞いた顛末である。なお、師匠はタダミチが帝国に向かう際にカナエを連れ出した理由が分からないと言っていたが、おそらく、タダミチはカナエを鍛冶師として憎む反面、一人の女性として愛していたのだろう。タダミチがカナエに、共に帝国へ駆け落ちしてくれることを願っていた可能性が高いとアヤセは推測している。



 境遇を挽回するための立身出世に鍛冶師としての名声、そしてカナエという美しい娘の心まで欲した野心と欲望の塊のようなタダミチであるが、アヤセはその行動が、必ずしも狂気によって引き起こされた訳ではないと考えている。


 (カナエがタダミチとの駆け落ちに応じれば、カナエを手中に収めて、今後鍛冶に関わらせないようにしやすいだろうし、もし拒否されても斬り殺せば自身の前にそびえ立つ巨大な壁を排除できるのだからな。どっちに転んでも本人は、帝国に逃げ込めば当代の鍛冶師として身を立てるチャンスを得るのだろうから、一見すると嫉妬や妄執に囚われているようで、実際の思考は驚くほど冷徹で打算的だ)


 「タダミチはカナエが亡くなった以降も私達を苦しめました。あの子の墓標の近くに夜な夜な生霊となり現われては、嫌でも私達をあの時に引き戻させるのです。特にあの子の月命日である四月二百十二の日に強い瘴気を発して凶悪化する姿は、見るに耐えません」

 

 オサキが言っているのはフィールドボス「タダミチの生霊」のことである。


 (自分が戦った「タダミチの生霊」はユニークボスだったな。言われてみれば、確かに遭遇した日は四月の二百番台の日だったような……。自分が初撃破の報酬が得られたのもこれが理由なのかもしれない)


 アヤセは以前攻略が比較的進んでいる王国内で初討伐のユニークボスがいたことに疑問を感じていただが、特定の年月日にしか現われないという条件であったのなら遭遇すら難しいのだから、討伐が成されていなかった理由として合点がいった。


 「……娘の墓前に現われるあの化け物を見る度に、私は後悔しました。私がタダミチを連絡役から外せば、私がカナエをタダミチに近づけさせないようにすれば、私がゲンベエ殿と彼の地に駆け落ちしなければ、私がお家を捨てず、父母の言いつけ通り許嫁と契りを交わしていれば、こんな悲劇に見舞われなくて済んだのではないかと。悔恨の念は、今でも私の胸の中を渦巻いて駆け巡るのです」

 「……」

 「私は、あの鍛治場にいることが耐えられませんでした。ゲンベエ殿を一人残し、何も言わず実家のあるバンボーに逃げ帰ってしまったのです。ですが、バンボーに戻ると父母が亡くなっていると聞かされました。何でも実家が火事になってそれに巻き込まれたそうなのです。火事によって、バンボーに定住した頃から伝わる貴重な家宝が多数失われ、私は残った僅かな財産を処分して、出家の後、住民の皆様のお情けに預かり狐陶庵に住まわせていただいているのです」


 そこまで語るとオサキは手拭いを再び目にあてた。

 

 (オサキさんの話だと、御両親は火事で亡くなったのか。オチヨさんは特に言っていなかったが、一つだけ気になることがあるから念のため確認しておくか)


 「火事で貴重な財宝が失われたとのことですが、例えば妖狐にまつわるものとか含まれていませんでしたか?」

 「御存知なのですか? 焼失した宝物の中に、妖狐の魂を封じたとされる宝玉も含まれておりました」


 (そうか。もし、それが「タマモの思念」だったら、フィールドボスの初撃破報酬で入手できたのも説明がつく。オサキさんの実家の火事にタダミチは大きく関わっている。シナリオとしては、思念を持ち出し放火、カナエさんの殺害時に紛失、生霊が回収して所持ってところだろうか)


 そのあたりは想像の域を出ず、オサキに確認したところで真相は判明しないだろう。ただ、大筋は間違っていないとアヤセは思う。


 「しかし、妖狐の宝玉は無くなって良かったのかもしれません」

 「えっ?」


 オサキから不意に飛び出した言葉の真意をアヤセは問い直す。


 「家宝の宝玉が無くなって良かったのでしょうか?」

 「はい。以前、妖狐が働いた悪事が全く伝わっていないと申しましたが、私の中では妖狐は何もしていなかったのではないかと思っています。聖人と妖狐が一緒にお堂に祀られているのもそれを裏付けているのではないでしょうか? 通常でしたら非道を働く妖狐が人々の信仰を集めることは考えられません。ですので、何もしていない妖狐を不当に閉じ込めるなど良いこととは言えないでしょうから、宝物が無くなってどこかで自由を取り戻しているのであれば、無くなった方が良いと申し上げたのです」


 オサキの言っていることが本当なら、オサキの先祖は先に住んでいた妖狐を酒宴でだまし討ちして、土地を奪ったことになり、伝承と事実が食い違うことになる。このことを子孫のオサキは快く思っていないようだった。


 「若い頃は、多感でしてね。伝承を調べて、家格やしきたり等、もっともらしいことを言いながら私達をこの大陸へ追い出した者達と変わらぬことを妖狐に対してしていたと思うと、そんなお家の言い付けで生きることに疑問を感じてしまったのです。ゲンベエ殿に惹かれたのもそういった事情があるかもしれません」


 (話は横道に逸れてしまったが、オサキさんの心の内や、タマモに関することが聞けたので、有為な情報を聞くことができたな)


 ゲンベエ師匠とオサキから事の経緯を大方聞き、アヤセは考える。


 (NPCのイベント関係は身内の不幸に偏っている気がして、(ごう)を背負わされる人達が可哀相だな。……それはともかく、オサキさんの一連の行動は、細部だと共感しにくいところがあるが、まぁ、個人的な感情はこの際置いておくとして、NPCはシナリオ通りに動いている訳だし、自分も実際にオサキさんの立場だったら、現実に絶望して同じような行動を取るかもしれない)


 現状としては、「タダミチの生霊」はアヤセによって討伐され、ゲンベエ師匠はオサキのことを今でも待っている。過去に辛い経験をしてきた二人がそれを乗り越え、ここからどの様に歩むか、そして、その際に自分に何ができるのかが重要だ。


 「ペンダントを御覧のとおり、『タダミチの生霊』は討伐しました。もう二度とカナエさんの墓前を汚すような真似をすることはありません。ゲンベエ師匠もオサキさんの帰りを待っています。ここでの生活もありますから、すぐにとはいかないでしょうが、師匠と一度お会いになってはいかがでしょうか?」

 「……」


 オサキは目を瞑り黙り込んでしまう。その様子から突然出て行ったきり、二十年も音沙汰もなく唐突に出家した姿を夫に見せることに、大きな迷いを抱いていることが察せられた。


 「今更私があの人に会うなんて、自分の愚かな行いを知っているからこそ恥を感じてしまいます。あの人は私を待っていると言いますが、私には会うことなど……、できません……」

 「オサキさん」


 アヤセは優しく声をかける。


 「確かにオサキさんの今迄の振る舞いは、ゲンベエ師匠や御両親をはじめ周りの人達を振り回し、それぞれの人生を大きく変えてしまったのかもしれません」

 「……」

 「ですが、御自身でも言われたとおり、カナエさんが亡くなられてから二十年間、後悔して、苦しんで、恥を忍んでオサキさんも必死に生きてこられたのではないでしょうか? バンボーの住民はそのことをよく知っています。そんなオサキさんの姿を見ているから、タツゴローさんやオチヨさん達は、オサキさんの力になりたいと思って、この狐陶庵に通っているのです」

 「……」

 「あと、一番大事なのはカナエさんの菩提を弔うということです。ゲンベエ師匠は墓標のすぐ側で『タダミチの生霊』が我が物顔で跋扈する姿に耐え、冥福を祈り続けました。オサキさんだって、この狐陶庵で今までの後悔を胸に抱え込んでカナエさんの菩提を弔っていたはずです。弔いのかたちは違えど、お二人の気持ちは二十年前と全く変わっていないのです。……御心配には及ばないかもしれません。オサキさんとゲンベエ師匠、お二人の時間は、カナエさんの導きによってきっと取り戻せるでしょうから」


 縁側の陰から鼻をすする音と小鳥の悲しそうな鳴き声がする。途中からホレイショとチーちゃんが話を聞いていたようであった。


 「アヤセさん……」


 目を真っ赤にしたオサキが、手ぬぐいで涙を拭いながら応じる。


 「……私も決心がつきました。あの鍛治場に戻ってあの人に直接会って、今までのことを詫びて、そしてカナエの墓前に花を捧げたいと思います。ありがとうございます。私の背中を押してくださいまして。本当に、ありがとうございます……」


 河原で「タダミチの生霊」と死闘を演じてから随分と時間が経ち、ゲンベエ師匠のイベントを長いこと放置してしまっていたが、動き始めたイベントと共に二人の時間も動きだして欲しいと泣き崩れるオサキの手を取りつつ、アヤセは願ったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ