57_動き出すイベント
「せぇんぱぁ~い、飲んでますかぁ?」
「ええ、飲んでいます」
「ノエルをこんなに飲ませて~、何かあったら責任取ってくださいねぇ~!」
「……もう止めておいた方がいいですよ。それに、何もないから責任を取ることもありません。ところで気になっていたのですが、どうして自分のことを『先輩』って呼ぶのですか?」
「先輩は先輩ですよぉ! ノエルは第四次組で~、先輩は第三次組ですからぁ、ノエルより先輩は、先輩なんですぅ!」
「それは、当たり前では? その理屈だと、ホレイショや他のプレイヤーだってほとんど先輩になってしまいますよ」
「そうです、そうなんですぅ! だけど、先輩はノエルの特別なんです~。だから、ノエルは『運命のひと』である先輩のことを、愛を込めて『先輩』ってお呼びしているんです~!」
「だから、あれほど『運命』なんて言葉が、あてにならないって言っているでしょうに……」
ノエルはアヤセの言葉もどこ吹く風で話を続ける。
「だから、先輩も先輩らしくノエルに接してくださぁい!」
「聞く耳持たずですか……。それで、先輩らしくとはどういうことでしょうか?」
「まずは、その敬語! そしてさん付け! ノエルは~、先輩のカワイイ後輩なんですからぁ、呼び捨てにして、ビシッと言って欲しいんです~。ノエル、言うこと何でも聞いちゃいますから~。あ、でもいきなりエッチなことはだめですよぉ。そういうことは、もっとお互いのことを知ってからです~。いや~ん、先輩のスケベ!」
「……」
……頭が痛いのは、飲み過ぎのせいでないことは、アヤセも分かっている。
「それでは、呼び捨にして敬語を止めれば自分の言うことを聞いてくれますか?」
「もちろんですぅ。あ、でも……」
「はいはい、エッチなことは言いません。……それじゃあ、ノエル、少し休みなさい」
「は~い、お休みなさぁ~い」
そう言って、ノエルは畳の上でコテンと横になり、十秒もしないうちに寝息をたて始めた。その寝顔をアヤセとホレイショはげんなりした様子で見つめ、そしてお互いに顔を見合わせる。
「……寝たようだ」
「ああ、そうだな。しかし、予想もしなかった荒れっぷりだったぜ。今になって疲労がドッと押し寄せて来やがった」
「何を言っているんだ。彼女を調子づかせて飲ませたのは自分だろう? 今は静かになったが、こんなところで寝かせておくわけにもいかないぞ」
「それはそうだが……。お前さんがそれを言うのか?」
アヤセとホレイショの酒席に飛び入りしたノエルは、当初はおそるおそる日本酒を口に運んでいたが、ホレイショが盛んに勧めたため、杯を重ねるにつれ次第に飲み方が大胆になり、アヤセが気付いた頃には手遅れになるほど出来上がってしまった。
アヤセは昼間に、ノエルの思い込みの強さを目の当たりにしていたが、したたか飲んだ彼女の勢いはそれを遙かに上回り、酔っ払いの扱いに自信があったホレイショすら手に負えなかった。
ノエルは昼間以上にアヤセを「運命のひと」と言ってしきりに好意を伝えてきたが、アヤセはそれが気の迷いであると言って譲らなかった。ホレイショは当初、ノエルを躱す方便としてアヤセはその様なことを言っていると思っていたが、どうやらそうではなく、アヤセはノエルにとって良い相手が、この後きっと現われると本気で考えているのだと気付いた。二人の会話は微妙に噛み合わず、その度にホレイショは両者に酒を勧めて場を取りなしていたのも、ノエルが泥酔した理由でもある(アヤセは杯にあまり口をつけていなかったが、ノエルは勧められる度に杯を飲み干して酒を注いでもらっていたので、二人の間で酒量と温度に大きな差が生じてしまった)。
「彼女の思い込みというか、意志の強さは大したものだ」
「思い込みで言ったらお前さんもそう変わらないと思うぞ……。ノエル嬢にとっては、お前さんが一目惚れした相手でもあると同時に、王国に無事入国できた恩人でもあるんだ。彼女がお前さんに助けられた経緯を語った時の顔を見ただろ? 恋慕だけじゃない、感謝や憧れも彼女の感情の中に多く占められているってことは分かったよな?」
「ああ、何となく。しかし、これだけ過大評価されたら少し手に余るな……」
「全くお前さんってヤツは! あれだけ想われているのなら男冥利に尽きるってものだろうが。……まぁ、お前さんの考え方はともかく、気が無いってことを本人に伝えたのだから、後はノエル嬢次第だ。だけど、彼女が今日のことを覚えているかな?」
二人は、畳で横になり幸せそうな顔をして寝入るノエルを見る。確かにホレイショの言うとおり、この調子だと目が覚めたら今晩のことなど全て忘れている可能性もありそうだ。
「……」
「俺とお前さんが思っていることは多分同じだ。確かに彼女は『変わった面』があるが、第四次組の初心者であることに変わりはない。フレンドがいるのか分からんが、それこそ色々とゲームのことを教えてくれる『先輩』の存在は心強いはずだし、何よりお前さんのことも諦めきれねぇだろう。明日から俺達の周りは賑やかになるぞ」
アヤセは、しばらくノエルに目をやって黙り込んでいたが、やがて大きなため息をつく。
「ま、邪険に扱うと今日みたいに面倒なことになるぞ? だから、接し方にも気を付けろってことだ」
「一応、努力はしてみる。しかし、先が思いやられるな……」
「あの、ノエルさん寝ちゃいましたか? 何かかける物を持ってきましょうか?」
オチヨが声をかけてくる。目の前に酒があると、ノエルが見境なく飲んでしまうため、注文をしばらく控え、オチヨにも下がってもらっていたが、ノエルの声が聞こえなくなり静かになったので、様子を見にきたのであった。
「ああ、頼む。うるさくなっちまって、面目ねぇ」
「今日は、お客さんも少ないですから、大丈夫ですよ。でも、お客さんが沢山来る日もありますから次は気を付けてくれって、お父ちゃんも言っていました」
「済まねぇ……」
「済みません……」
二人は平身低頭してオチヨと厨房奥にいる店主に謝る。
(※お酒を飲む時は、周りの迷惑もよく考えましょう。)
「ところで追加で注文はされますか? 見たところお二人は、あまり飲んでいないように見えましたけど…」
「実を言うと、ノエル嬢にほとんど飲まれちまったからな。少し飲み直すか。軽いつまみと合わせて徳利をくれるか。熟成樽のヤツを頼むぜ」
「それじゃ、お酒とおつまみを二人前お持ちしますね」
「オチヨさん」
注文を受けて下がろうとするオチヨにアヤセは声をかける。
オチヨはアヤセがノエルのことを迷惑がっている様子を見ており、特に考えもせずこの店にノエルを連れてきたことに、多少なりとも後ろめたさを感じているようだった。
「何でしょうかアヤセさん。もしかして、ノエルさんを連れてきたことを怒っています? ノエルさん、カノジョさんじゃなかったのですね。ごめんなさいっ!」
「いや、オチヨさんは自分とノエルの関係を知りませんでしたし、善意で彼女を連れてきたことは分かっていますから、謝る必要はありません。実は、教えてもらいたいことがあって声をかけさせていただいたのです」
「そうだったのですね。私に分かることでしたら良いのですけど」
「先ほど、ノエルに声をかけたのが孤陶庵の前だと言われていましたが、オチヨさんは狐陶庵と庵主様のことを御存知でしょうか?」
「ええ、もちろんです。今日だって庵主様にお届け物をするために孤陶庵に行って、帰りにノエルさんに声をかけたんです」
「オチヨさんは、オサキさんと知り合いなのですか?」
「はい、お父ちゃんも他の人も庵主様と知り合いですよ。みんな昔からお世話になっているんです。もし、狐陶庵や庵主様について知りたいことがあればお父ちゃんに聞いてみたらいいです。手が空いたら話ができるか聞いておきますね」
狐陶庵とオサキのことを知っている人物は、意外に身近にいた。これでオサキの言っていたことが分かるかもしれないとアヤセは期待を持った。
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客足が伸びなかったオチヨの店は、今日最後の客が店を出たので、いつもより早い看板となった。ただ、店内にはまだ、アヤセとホレイショと寝ている間に強制ログアウトになってしまったノエルが残っている。
「……残り物だがこれでも食え」
「おっ、蕎麦がきか。残り物にしちゃあ上等過ぎるくらいだぜ。ありがとよ大将」
オチヨの父親で寡黙な店主ことタツゴローが、熱々の蕎麦がきを手に、上がり席にやってくる。
「今日は看板だ。誰かが大騒ぎしたからな」
「うっ……!」
器にのった蕎麦がきに箸をつけようとしていたホレイショの手が止まる。
「冗談だ。たまにはこういう時もある」
「いずれにしても騒がしくしてしまい、申し訳ありません。それと、お話しを伺う時間を設けてくださいましてありがとうございます」
「……アヤセか。それで、何が聞きたい?」
「お父ちゃん、狐陶庵と庵主様についてよ」
後片付けを終えて座敷席に加わったオチヨが補足する。
「はい、タツゴローさんとオチヨさんはオサキさんと知り合いと伺いましたが」
「ああ。俺達以外にも知り合いは沢山いる」
「そうそう。オサキさんのこと知らない人はバンボーにいないと思いますよ。リセイだってよく訪ねて来ますしね」
「リセイ?」
蕎麦がきを肴に熟成樽の特製酒を楽しんでいた、ホレイショが疑問を差し挟む。
「おそらく『里正』という官職のことだろう。簡単に言うとバンボー住民の顔役みたいなものだ」
リセイは、管轄区域の戸籍管理、徴税、公共設備の整備や治安維持の義務を負う役人で大抵、その区域の有力者が任命される。正確には王国官吏ではないが、権限が幅広いため、考えようによってはリセイ制度によって、バンボーに住民自治が与えられているともいえる。それで、ここで注目すべき点は、そんな住民統治の要であるリセイが、言わば一介の隠者であるオサキを頻繁に訪ねているということだった。
「オサキさんは、相当顔が広い方のようですね」
「当たり前だ。血筋も確かだからな」
「そうよね。オサキさんは王族の家系だし、お父様もリセイをされていましたから。出家した今でもバンボーでは、それなりに名が知れていますので孤陶庵に自然と人が集まって来ますよ」
「王族の家系……。オサキさんは高貴な方だったのですね」
おそらく東方の新大陸にある、バンボー住人の祖国での話なのだろうが、王族と言うからには、王都への移住に際して中心的な役割をオサキの祖先は担っていたに違いない。
「そうなんですよ! 王族でしかも召喚術に優れた一族の血を引いているんです。それほどの方なのに、私達みたいな庶民にも分け隔て無く接してくれるのですよね」
「召喚術ですか……。お堂の妖狐を封じた聖人もオサキさんの先祖と伺いました」
「よく知っていますね。言い伝えでは、妖狐を封じたのは庵主様のご先祖様だと言われています」
「ただ、庵主様には召喚術の才はない。残念だ」
「ところで、オサキさんは、御自身の家系は自分でお終いだと言っていましたが、それは本当でしょうか?」
アヤセの問いに、タツゴローとオチヨは顔を見合わせて残念そうな顔をする。
「まぁ、そうだ」
「私達もすごく残念だと思っています。カナエ様さえ御存命なら話は大きく変わっていたはずですけどね」
(カナエ? 聞き覚えのある名前だが、同一人物だろうか?)
「カナエ様は、庵主様の娘だ」
「オサキさんにお子さんがいたのですか!? 出家されているからいないと思い込んでいました」
「庵主様の御出家はカナエ様がお亡くなりになった後ですよ。それまではご結婚もされ、お子様もいらっしゃったんです」
「若気の至りだ」
「……どういうことでしょうか?」
「庵主様のお相手、つまりカナエ様のお父上は、庵主様のお家の格が釣り合わない方でした。若かった庵主様は、ご家族の反対を押し切ってお相手の方と駆け落ちなさったのです」
「駆け落ちとは、オサキさんも大胆な行動をしますね」
「俺が餓鬼の頃の出来事だったが、バンボー中が大騒ぎだったな」
「好きな人と添い遂げるため、お家まで捨てる庵主様って情熱的ですよね! 私も庵主様みたいな恋をしたいなー」
そう言いながら、オチヨは一人で酒を飲んでいるホレイショに目を向ける。ホレイショはお猪口を口に運んでオチヨの視線に気付かない振りをしていた。
(ホレイショの奴、先ほど自分に「それだけ想われていれば男冥利に尽きる」とか何とか言っていたよな? これじゃあ、自分にどうこう言えないぞ)
アヤセは煮え切らない態度のホレイショに冷めた目を向けるが、これも気付かない振りをされる。
「全く、冒険者共は女泣かせが多いな。話を戻すぞ」
タツゴローの台詞の真意は測りかねるが、その態度から察するに、ホレイショのオチヨへの対処は、今のところ上手くいっていないようだ。
「そうですね。それで、駆け落ちした二人は、どの様に暮らしていたのですか?」
「庵主様から以前聞いた話だと、王国西部の国境近くでひっそりと暮らしていたそうです。カナエ様もすぐに生まれてそこで育ったそうです」
(王国西部の国境、か。バヤン川の近くかな?)
「でも二十年前にカナエ様が亡くなられて、庵主様はバンボーに戻られました。その頃には、既にご両親もお亡くなりになっていて、元々ご兄弟もいらっしゃらない庵主様は天涯孤独の身になられましたので、世俗を捨て御出家されました。狐陶庵にお住まいなのは、私達住民が、カナエ様の菩提を弔う場所として是非活用して欲しいと半分無理に願って留まっていただいているのです」
「オサキさんにそんな過去があったなんて知りませんでした。カナエさんが亡くなられた原因は何なのでしょうか?」
「それは……、カナエ様のお話をされることも滅多にありませんから、分かりません。その時の庵主様、とても寂しそうで見ていられません」
「内容的にも、確かに話したくないことなのかもしれませんね。あと、オサキさんと駆け落ちした相手は、どの様な人ですか?」
「貧乏鍛冶師だ。名前は知らん」
「でも、腕は良かったって話よ。庵主様はそれを見初めて一緒になることを決意したと言うじゃない。やっぱり男の人は、お金より能力で選ぶべきよね~」
「違う。女を守り抜く甲斐性だ」
何故かホレイショと一緒にタツゴローに睨まれ、その視線に居心地の悪さを感じつつもアヤセはオチヨ親子との会話の内容を思い返す。
(今の話を聞いて大体背景が分かってきた。これは以前、自分が後回しにしてきたイベントも関係している。「タマモの思念」に対するイベントかと思っていたが、どうもゲンベエ師匠の話も絡んでいるみたいだ)




